ツナガルナニカ 第一部
――事のはじめは、昨日に遡る。
私は、いつもどおり執務室の部屋の掃除を手早く済ませると、これまたいつも通りソファベッドにだらしなく横になっている先輩の体を揺すって、夢の国から引き戻しにかかった。
「先輩、起きてください。今、コーヒーいれますから」
「んー、あと5分後にしてくれ」
「だめですよ、それでなくても、不規則な生活をしてるんですから。寝るのは夜だけにしてください」
だんだん先輩の生態についてわかってきた私は、そう急かした。
それにしても、未だに先輩が一級エージェントであることには疑問を覚える。
生活能力破綻者のいい加減な先輩だが、死者の魂を天上へ送る成功率は、99%を超えているという。そのギャップが、いまいち納得できない。
一級エージェントなら、それなりの品格とか厳かな雰囲気とかがあってもいいのではないだろうか。
もっとも、それは私の勝手なイメージではあるけれど。
到底エリートには見えない先輩は、私の激しい揺さぶりにとうとう根負けして、寝ぼけ眼で上半身を起こすと、ボーッとした表情のままボリボリ頭をかいた。
「実習生」
「遊馬です」
「コーヒーを入れてくれ」
「はいはい、今持ってきますね」
どちらが面倒を見ているのかわからない、こんな生活(まだ2週間ちょっとだけど)にも、いい加減慣れてきた。いつもどおり、インスタントコーヒーをつくると、
「どうぞ」
と、今は掃除してきれいになっているものの、つい先程まで書類の散乱していた机に差し出した。
先輩はコーヒーを一口はこんで、熱い息を吐く。
「うまい。やはりコーヒーはインスタントに限る」
コーヒーをカップの取っ手と支える左手で大切そうに包み込んだ、子供のような格好で、先輩が、ふとつぶやいた。
「実習生」
「遊馬です。いい加減、名前覚えてください」
「実習生、お前、こんなにコーヒーをうまく入れられるのに、なんでDランクなんだ? 掃除もできるし、いい家政婦に……」
「インスタントコーヒーなんて、誰が入れても同じです。私はいいエージェントになりたいんです。このやりとりは以前やりました。死活問題なんです」
先輩は、「ふん」、と鼻を鳴らすと、
「お前は一級エージェントにこだわっているようだから言っておくが、俺はお前がエージェントになれるかどうかになんか興味がない。俺が考えてるのはお前が将来受け持つクライエントのことだ。……まあ、それで、なんでDランクなんだ? 俺はごくごく普通の生徒だと思うが」
私は「うっ」と言葉を詰まらせて、赤面しながら答えた。
「教授たちには、エージェントにむいてない、と言われ続けてます。エージェントの仕事は人間の魂を天上界に送ることなのに、私はすぐ感情的とか、感傷的とか、人間に感情移入してしまって、人間とか死者の幸せとか、そういう無駄なことにこだわりすぎるって……。自分とクライエントの境界ができてないという評価……みたいです」
「ふむ、まあ、一理あるな。クライエントに振り回されたら、うまくいくこともうまくいかなくなってしまうことがある。象牙の塔の教授どもが言ってることもあながち間違ってない。……だがな」
先輩はコーヒーをもう一口飲んで、続けた。
「俺は思うんだ。確かにこの仕事は大変だ。教授どもは、この仕事に幻想を抱くなと言っているのだろう? この仕事は、楽しくないかといえば、それは楽しい。しかし、その楽観的な理想にはなんの根拠もないんだからな。理想を追うなんて青臭いこと言っていられる仕事ではない、それが通説だ。だが、その青臭さを、いつまでも持っていなきゃいけないのがエージェントだと思うんだがなあ……」
そう言って、また頭をかく。
相変わらず意味不明だが、なんとなく、わかる。わかるような気がする。
先輩は、養成機関の教授たちとは、やっぱり違う。
――何が違うのか、それはよくわかってないのだけれど。
――RRRRRR
机の上に置かれた電話が鳴った。
先輩は肩をすくめた。
「おや、仕事だな。実習生、情報部から資料を取り寄せて、簡単にまとめておいてくれ」
執務室に仕事以外に電話がかかってくることは皆無だ。
情報部も、クライエントの訪れる時刻くらいしか連絡事項はなく、後はエージェントにお任せだ。依頼の電話より事前にクライエントの資料が、データベース化されて送られてくるシステムになっている。手際がいいと言えばいいが、要するに情報部の手抜きだ、というのが、先輩の持論だ。
「はい」
と、私は頷いた。
先輩は頭をぼりぼり掻いて、
「と、その前に、コーヒーをもう一杯入れてくれ。まだ俺の灰色の脳細胞が寝てやがる」
いつも通りやる気なさそうに言うと、「やれやれ」と言いながら受話器を取った。




