プロローグ
時計の針は、朝の7時半を指していた。
光の線を描き出すような朝日が気持ちいい。
空気が澄んで、息を大きく吸い込むと、日常の穢れが浄化されるような朝だ。
遠くからは、かすかに小鳥の鳴く声が聞こえてくる。
このところぐずついていた天気はなりを潜め、今日も快晴だそうだ。
しかし、こんな日に限って、残酷な現実がやってくる、否、それを伝えなければならない私たちの仕事に、少し憂鬱な気分だ。
もともと、先輩の今回のアプローチ法には私は大きな疑問を覚えている。
――知らないほうがいい真実だってある。私にはそう思えて仕方なかった。
「――情報部によると、明日香ちゃん……椎名明日香さんの生活は、順調そのものみたいですね。明朗快活、清純な性格な中学3年生で、友達も多いみたいです。家族仲は最高。羨ましいほど幸せな生活を送っているようです」
「んー」
私の報告に、相変わらずやる気のなさそうな間延びした声で応えると、先輩は頭をボリボリかきながら、
「情報部からの情報はいつも曖昧すぎるんだよな。それにいつもやっつけ仕事だ。そんな紋切り型な情報を与えて、現場がどう動けばいいかなんてそっちのけだ。一度、ロッキングチェアーに座った仕事から、現場に来てみればいいんだよ。そうは思わないか?」
ぶつくさ文句を言った。
情報部の不満を私に振られても、どうしようもないのだけれど。
「でも、本当にこの方法で行くんですか? 私には理解できません。真実を告げることで、かえってクライエント――弥生さんの心の隙間が広がってしまうような……」
軽く先輩の言葉をスル―して私が不安そうに言うと、先輩はじろりと私を睨んだ。
「実習生」
「遊馬です」
「――実習生、真実と事実を一緒にするんじゃない。事実はひとつだけだとしても、真実は人の数だけある。重要なことだぞ」
先輩は、細かい訂正をした。
「はあ……」
意味がわからない。
私は気のない返事をして、言葉を濁した。
私たちは、小ぢんまりとしているが瀟洒な2階建ての椎名邸の前で、朝早くから明日香ちゃんを待っている。
二階にある明日香ちゃんの部屋のカーテンは30分前くらいから開いているから、もうとっくに目覚めて、朝の準備をしているはずだ。
私は待つことは苦手ではないが、朝に弱い先輩は不満たらたらだ。
「そろそろ登校時間のはずなんだがな。やはり、情報部は無能ぞろいだ」
何度目かの愚痴を先輩がひとりごちた時、玄関の扉が開き、
「いってきまーす」
という元気な声が聞こえた。
わずかに栗色がかった少しまとまりのない髪、卵型の愛嬌ある顔立ち。
それが、やや古風な紺色の制服とマッチしている、魅力的な少女だった。
朝から生き生きとして闊達とした様相が、真面目で元気な中学生らしさを強調している。
「先輩、明日香ちゃんです。本人です」
「よし、行くぞ」
先輩がそう言ったところで、私はまた躊躇いの表情を浮かべた。
「本当に、いいんでしょうか?」
不安そうなわたしの声に、先輩は、飄々とした態度で応える。
「俺はこれがベストとはいえないまでも、ベターだと思ってる。来ないのなら、置いていくぞ」
「ま、待ってください。私もいきます」
私は慌てて先輩の後を追った。
明日香ちゃんは軽い足取りで、通学路を歩いてくる。
その前に立ちふさがるように、先輩と私は、明日香ちゃんの視界に姿を現した。
前方を塞がれて、ちょっと戸惑った表情を浮かべた明日香ちゃんに、先ほどの飄々とした態度とは打って変わって、先輩は重々しく口を開いた。
「椎名明日香さんですね?」
「え? あ、はい……どちら様ですか?」
訝しげに、明日香ちゃんは尋ねた。
「朝早く、唐突にすみません。私は新藤といいます。こっちは、二階堂。実は、明日香さんに悪い知らせを持ってきたのです。気をしっかり持って聞いてくださいますか?」
突然の乱入者と、わけがわからないであろう展開に、明日香ちゃんは「?」マークを全身で表して、小首をかしげた。
「あ、はい……」
先輩はわざとらしく沈痛な面持ちを作って、用意された衝撃の告白を告げた。
「――明日香さん。実は、あなたの『本当の』お母さんが、お亡くなりになりました」
「――え?」
困惑の表情を浮かべ、明日香ちゃんが答えた。
先輩の意図は相変わらずわからないが、私はこの後の展開が全く見えないまま、何を言っているかわからないといったふうな明日香ちゃんを見ながら、ただ押し黙った。




