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青の住人  作者: 濱野 十子
二章 ほしよりの使者
9/40

最後の一欠けを飲み込んで、カチは、ほっと息をついた。

「あいつって、誰でしたっけ?」

「リドフォール・レイ・スクーノト・アルビレグム連星議員。地球日本特区を担当している者だよ、可愛いお嬢さん」

 ゆったりと、詩でも読むような柔らかい声が部屋に響いた。

「待たせて、すまなかったね」

 カチと真朱が座る椅子の後ろ。スライドするドアから現れたのは、背の高い男だった。

「初めまして。君が、真朱が保護したアンピトリテだね。嬉しいよ、会いたかったんだ」

 カチは椅子から立ち上がり、振り返る。

 リドフォールはアルビレグム特有の目を細め、にこやかに微笑んでいた。

「あの……カチです」

 緋色の髪は三つ編みに束ねられ、毛先は膝に達するほどに長い。

 細身の体を包む、かっちりとした黒いスーツとは対照的に、ファーのついた幅の狭いマフラーが、首にぐるりと巻き付けられていた。

 大した装飾をつけていないのに、派手な印象を与えるのは。整いすぎた美しい相貌のなせるわざか。

 リドフォールは足元に敷かれた毛足の長い絨毯を踏みしめ、カチの前までやってくると、白い手袋を填めた右手を差し出してみせた。

『ようこそ、地球へ』

 音のない声が脳裏に囁き、カチは飛び上がる。

「リドフォール!」

 真朱の怒声が響くのをどこか遠いところで聞きながら、カチは頭を強く叩かれたような衝撃に、目を白黒させていた。

「こ、声。……声がっ!」

 驚きすぎて、ばくばくと高鳴る心臓を押さえる。

 今の声は何だったのだろうか?

 確かめるようにリドフォールに視線を向けると、相変わらずのにこやかな笑みが返された。

「いや、すまないね。アルビレグムとしての習性が抜けなくて」

 リドフォールはそのまま、混乱しているカチの横を通り過ぎ、大きな窓へと歩いていった。リドフォールの一挙一動を睨むようにして見ている真朱に、カチはそわそわしながら切り出した。

「アルビレグムの習性……ですか?」

「僕たちアルビレグムは、言葉を介した意思疎通を持っていない」

 窓で区切られた街並みは浮島であることを感じさせないほどに広く、雄大に見える。

 リドフォールは海に向かって傾いてゆくばかりの日差しを背にし、続けた。

「簡単に、想像しやすく言えば念波……テレパシーでアルビレグムは意思の疎通を図っていたんだよ。わかるかな、カチくん」

 分からない――と眉をひそめれば、リドフォールは声を上げて笑った。

「今、君にしたようなことをしていたんだよ。七十年前、月面地球人と同盟を結ぶ前まではね。僕は、こう見えても古参のアルビレグムだから、いまだに、声を発して意思疎通するには慣れていないんだ。驚かしてすまなかった」

 リドフォールは腰を折り、視界にかかる前髪を掻き上げながら視線を戻した。

 それからリドフォールは窓伝いに移動し、作業机の前で立ち止まる。

「さて。本題に入ろうか」

 作業机の引き出しから長細い箱と、手の平大の長方形をしたディスプレイを取り出し、リドフォールはカチと真朱の向いに置かれている椅子に座った。

「連星政府の議員といっても、カチくんは、きっと理解できていないだろうね」

 年齢は真朱よりも少し上だろう。二十代の半ばか、それ以降。彫りの深い顔をしているが、口調は見た目と反してとても砕けている。

 良く言うのなら、親しみやすいといったところか。

「教える暇もなく、アンタに呼び出されたからな」

 棘をはらませた真朱の苛立った声に、リドフォールは微笑を苦笑に変えた。

「急な呼び出しで、すまなかったとは思っているよ。代わりに、と言うわけではないが、ハイウェイでの騒動は穏便に処理しておこう」

そこで言葉を切り、再度、リドフォールはカチへ顔を向けた。

「今、この太陽系にいるアルビレグムは、別の星系から戦火を逃れてやってきた亡命の民でね。大災厄に見舞われた地球を、途方に暮れて見ていた月面地球へ高度科学を提供するかわりに、安住の地を手に入れたんだ」

 リドフォールは人差し指を天井へと向けた。指し示すのは遙か上空にある月だろう。

「当初はいろいろと問題もあったね。特に、言葉の問題は大きかったよ。それでも、長い時を一緒に暮らしていれば、互いの間に妥協も生まれてくる。種族の壁を越えて協力しあおうという風潮もいつしか生まれ、地球人とアルビレグムによる政府が誕生した。それが、連星政府だよ」

「つまり……みんな、仲良くしようということですね?」

「ごくシンプルに言ってしまえば、そうなるだろうね。幸いにも、地球人とアルビレグムの外見は、この目の色をのぞけばそう違わない。遺伝子上でも共存関係を結ぶのに支障はなかったしね」

 リドフォールは首に巻いたファーに尖った顎を埋め、肩をすくめてみせた。

「僕はその連星政府の議員であり、完全保護区の管理と完全保護不可侵生物の保護に関わらせてもらっているんだ。広い意味で言えば、真朱とノートの上司になるだろうか」

 真朱へ目配せするリドフォールに釣られ、カチも隣を仰ぎ見た。

 不機嫌であることが明らかに見て取れる横顔に、リドフォールが短い溜息を漏らす。

「完全保護区というのは、何ですか?」

「君たち、アンピトリテが数多く眠っていると推測される海域のことだよ」

 リドフォールはタッチパネル式のディスプレイを操作し、画面上に真っ青の地球の映像を呼び出した。

「基本的に、海から引き上げたモノは、引き上げた人間の所有物になる。けれど、全てにそれが適用されては、秩序なんてあったものじゃない。だから、アンピトリテが存在していると思われる、人口過密の大都市があった地域は何者の干渉も許されない保護区となっているんだ。ちなみに君は、日本の横浜という地域の人間だったみたいだよ」

 次いで、ディスプレイにスクリューが付いた長方形の箱の写真が表示される。

「これは、何ですか?」

「お前が乗っていた救命ポッドだよ。これに乗って、お前は海岸に打ち上げられたんだ」

「多くのアンピトリテは救命ポッドではなく、とある装置に入ったまま地上に打ち上げられる」

「とある、装置?」

「システム・クレイドルと言われている、生命維持装置だそうだ。地球人も、なかなか優れた科学力をもっていたようだ。文明の終演が超自然災害というのは、皮肉だね」

 ディスプレイに、楕円状のカプセルが映し出された。これが、システム・クレイドルと言われるものなのだろう。

「シェルター機能の故障や、地殻変動の衝撃による損傷といった外的要因が作用して、地上に打ち上げられていると考えられている」

 映像を消して、リドフォールはカチに詰め寄るような勢いでテーブルに片手をつき、身を乗り出して言った。

「カチくん、君は救命ポッドで打ち上げられた時点で、とっても希有な存在なんだよ! シェルターから自分の意志で脱出してきた証拠だ」

「でも、わたしは何も覚えていません。今だって、自分が人間だという自覚すらないんです」

「しかし、君は自分が何者であるのか、疑問に思うことができるだろう?」

椅子に座り直し、リドフォールは一息いれて続けた。

「他のアンピリトテは、思考することすらままならない。自分が人間であるのか問うこともできない。君のような例は滅多にない」

「思考できない?」

 核心を突くようでいて、遠回しにしているようにも聞こえる。カチはどういうことなのかと首を傾げるが、答は真朱の咳払いによって遮られた。

「本題に入るんじゃなかったのか?」

「ああ、そうだね。すまない、真朱」

 ぽんと小さく手を叩いて、リドフォールはディスプレイと一緒にテーブルに置いた紙箱をカチに向かって押し出した。

「開けてみてくれないかな、カチくん」

 リドフォールに促されるまま、カチは箱を取り上げた。

 何らかの加工が施されているのか、表面がつるりとしている。

 手触りが心地良い箱は、金色のネジ式の金具で、開かないように固定されていた。

 カチはつまみを回し、金具を外す。

「ペンダント?」

 紙箱の中に入っていたのは、革紐のペンダントだった。小指の爪ほどの大きさの、正方形をした銀製ペンダント・ヘッドがついている。

「アイディー・カードはそのペンダント・ヘッドに入っているよ。本来なら、カードは体内に埋め込まれるのだけど、完全保護不可侵生物への医療行為以外の干渉は禁止されているからね」

着けるようにと促すリドフォールに頷き、カチはペンダントを首に下げた。

「真朱、携帯端末を。必要書類をダウンロードしよう」

 ディスプレイを片手で操作しながら、開いている左手を突き出すリドフォールに、真朱は面倒臭そうに溜息をつき、腰に巻いたバックパックから記憶メモリを取り出して手渡した。

「電子書類とは別に紙面に出しておいてくれ」

「資源の無駄遣いは、感心できないね」

小さなディスプレイを、滝のように流れてゆく無数の文字の羅列。それら全ては集約され、真朱の取り出したメモリに流される。

「今、この時点でコードネーム・ベルーガ。つまり、君のことだね、カチくん」

 赤みの強い眼球に、金色の瞳孔。アルビレグムであることを象徴する目を細めてリドフォールは続ける。

「個体名カチは、連星政府から認定された完全保護不可侵生物であることが認められ、その身柄は、環境保護機関に預けるものとする」

「……はい」

 いまいち理解できないが、一応カチは頷く。

 真朱もリドフォールも完全な理解は最初から期待していないのか、疑問符を語尾に滲ませるカチに何も言うことはなかった。

「……で、お前の本当の用事はなんだよ? カードを渡すためだけに呼んだわけじゃないだろう」

「だいたいの想像は、ついていると思うけどね」

 足を組み、頬杖をつくリドフォールに、真朱はこれ見よがしに眉を吊り上げて舌打ちをした。

「ああ、ついてるよ。だから、さっさと言えよ」

 苛立った感情を押し殺す声に、カチは驚いて腰を浮かしかけた。真朱の緊張が伝わってきて、肌がピリピリと突っ張るのを感じる。

「そう、興奮しないでくれたまえよ」

 リドフォールは口元を緩めて笑ったが、真朱を見つめる目は鋭い。

「隠しても意味がないしね。単刀直入に言えば、カチくんの協力が欲しいんだ」

 金色の目が向けられ、カチはどきりとして慌てて真朱を見た。

「やっぱりな。分かっちゃいたが、胸くそ悪い」

 苛立った真朱は敵意が滲む鋭い視線をじっと、牽制するように向けている。

「協力って、何ですか?」

「なに、簡単なことだよ。君の体を調べさせて欲しい。特殊なアンピトリテとしてね」

 真朱の苛立ちを無視して、リドフォールは相変わらずの穏やかな口調で言った。

「宇宙の囁きの脅威にさらされている、我々アルビレグムを助けて欲しいんだよ」

「宇宙の囁き? 何ですか、それは?」

 聞き返すカチに、リドフォールは溜息を一つ吐いて続けた。

「アカシャと言われる、全宇宙に存在し、地球人類の文明を破壊した隕石と共にやってきた記憶微小生物だよ。大地を飲み込んだ海に沢山存在していると言われているんだ」

「残念だったな」

「真朱さん?」

 リドフォールの声を押しのけ、真朱はわざとらしく音を立てて立ち上がった。

「アンピトリテへの研究は禁止されている」

「本人の同意があれば、問題はないさ。カチくんは覚醒レベル・フォーだよ」

「こいつはまだ、自分で自分の意志を選択できるまで行ってはいない」

 鼻先に真朱の指が突きつけられた。

 カチはなんだが馬鹿にされているような気がして、むっ、と頬を膨らませた。しかし、真朱は取り合わない。

「ふむ。まあ、お前の言うことは間違ってはいない。むしろ、そう言われてしまっては、僕も立場上、不用意に食い下がることはできないね」

 リドフォールは「残念だ」と肩をすくめ、立ち上がった。

「ほら、立てよ。いくぞ」

「は……はい」

 促され、立ち上がった。真朱もリドフォールも背が高いので、小柄なカチはまるで壁に挟まれているかのような圧迫感を覚えた。

「残念だが、今はおとなしく見送るしかなさそうだ。でも、覚醒レベル・ファイブになって君が僕らに協力したいと思ったら、連絡して欲しい」

 すっと差し出される右手に、カチも反射的に手を伸ばし――握手を交わした。

『待っているから』

「――っ!」

 響いてくる声に驚いて、カチは振り解くようにリドフォールの手を離した。

「くだらないことで呼び出すなよ。余計な仕事はしたくないんでな」

「そう怒らないでくれよ、真朱」

 真朱の口を軽くあしらうリドフォールは、微笑をカチに向けた。

「カチくん。良い返事がいただけるのを心待ちにしているよ」

「ご、ご期待に添えられるかは……わかりませんが」

 おどおどしながら答え、カチはとりあえず頭を下げた。真朱は既に出て行こうとリドフォールに背を向けている。

「まあ、カチくんのことは置いておいて、真朱」

「なんだ?」

 真朱が急に立ち止まったので、カチは躓いた。

 そのまま、バランスを崩して転びそうになったところを真朱に受け止められる。

「体の調子はどうかな? しばらく検査をしてないみたいだけど、庁舎に来たついでにしていかないか」

「それは……」

 肩を掴む強い力に、カチは驚いた。

「ま、真朱さん。ちょ、痛いです!」

 抗議の声を上げると、体を支えてくれていた手が離れた。体が軽くなるような錯覚に、カチは蹈鞴を踏んだ。

 そんなカチを見もせず、真朱はリドフォールへ掴み掛かっていった。

「それは命令か? リドフォール」 

「真朱さん! 止めてください」

 放っておけば殴りかかって行きそうな真朱の剣幕に、カチは慌てて背中にすがりついた。

「いいや。個人的な申し出だよ」

 襟を掴み上げられるリドフォールは、それでも余裕を崩さずに変わらぬ調子で言った。真朱はその態度が気にくわなかったのか、表情を一瞬だけ険しくさせたものの、カチの制止に従って手を離した。

「……命令でないなら、従う道理はないさ」

 苛立ちを押さえ込んだ、唸るような低い声を叩きつけて、真朱はリドフォールから離れた。

「それは、残念」

 マフラーの位置を直しながら、言葉の通りに残念そうに肩をすくめるリドフォールと、いまだ鋭い表情の真朱を交互に見つめ、カチは険悪な空気に、どうしたものかと嘆息した。

「お前のバイクは、日本国庁舎内のドックで修理をしているよ。新造潜水艦イサナも最終点検を行なっている。どうせ暇なんだろうから、見学して行くといい」

「気が向いたらな」

 真朱は素っ気なく言って、リドフォールに背を向けて歩いていってしまった。

「あ、真朱さん! 待ってください!」

「ああ、そうだった」

 呼びかければ、真朱は「やれやれ」と嘆息して立ち止まった。存在をすっかり忘れていたような素振りに、カチは唇を尖らせて苛立ちを示した。

「なあ、リドフォール」

「なんだい、真朱」

 真朱はためらうように軽く首を振って、続けた。

「オフショアの妹……オルカ・トランジエントは、元気にしているか?」

 質問に、リドフォールは、ゆっくりと頷いた。

「元気にしているよ、今もね」

「……そうかい」

 頷いて、真朱は再び歩き出した。

 カチは歩幅の違いから、足早になって後を従いて歩いた。

「環境保護機関に戻るぞ、カチ。よそ見をせずに、ちゃんとついて歩いてこい。はぐれたって知らないからな」

「子供じゃないんですから、大丈夫ですよ!」

「どうだかね」

 ささやかな抗議はあっけなく、肩をすくめられるだけで流されてしまった。

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