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ノートが手配した車に乗り込み、カチと真朱は引っきりなしに頭上を旋回するヘリコプターから逃げるように、日本国庁舎の裏口に到着した。
ずぶ濡れのままの二人を出迎えた黒いスーツ姿の役人たちは、海水が染み込んでしまったシートに嫌そうな顔を浮かべたものの、何も言うことはなかった。
カチと真朱は、それぞれシャワールムに案内された後、地上三十階建ての巨大な建物の一室に通された。そこの客室で、目的の人物が現れるのを待っていた。
かち……こち……と、古めかしい雰囲気が、むしろ作り物っぽさを助長している振り子時計の音が、客室の中に響いていた。
通された部屋が何階にあるのか分からなかったが、全面ガラス張りの窓からは整然とした街並みがよく見えた。
綺麗な光景であることは認める。だが、見飽きないほど素晴らしいわけでもない。
クリーニングされ、糊の利いた制服は着心地が良く、窓からは暖かい日差しが燦々と降りそそいでいた。
あまりの気持ちよさに眠気を誘われたカチは、昼食の代わりにと用意されたハムサンドを両手で抱えたまま、大きな欠伸を漏らした。
「寝るか食うか、どっちかにしろ、こぼれたぞ。……つか、寝るなよ」
ぺし、と軽く頭を叩かれた。カチは慌てて残りを頬張り、スカートの上に散らかっているパンくずをはたき落とした。
柔らかいパンにハムとレタスが挟まっているだけの、いたって簡単な軽食ではある。でも、味は悪くはない。
それに、カチにとっては「食べる」という行動自体が新鮮だった。不満を感じるわけもない。
「おいしかったです」
「全部、月からの輸入ものだがな」
素っ気なく言って、真朱は最後の一つを掴み上げて口へ放り込んだ。
「パンに使われてる小麦も、レタスも、ハムに使われている豚も、全部がすべて月面プラント製だ」
「この地球では、作られていないんですか?」
「地球の食料自給率はゼロだ。窓の外を見てみろよ、海ばかりだろう?」
真朱に言われるまま、カチは窓へ視線を持ってゆく。
確かめるまでもなく、大海原が街を取り囲んでいた。背の高いビルに渡されている電線が海風に煽られ、揺れている。
「塩害が酷いのさ。建物の腐食を防ぐだけでも大変なのに、作物まで面倒は見きれない。それに、ゼタフロートは限られた土地だ。農業に回すだけの余裕がないんだよ」
食べるのが早い真朱は、カチが二度三度ほど口を動かす間に、すっかりハムサンドを平らげてしまった。
「まあ、輸入物だからって味も品質も問題はない。安全性だって高いんじゃないかね。資源はなくても、技術は腐るほどあるからな」
指についたバターを舐め取って、真朱は皮肉げに肩をすくめた。
「とにかく、早く食えよ。いい加減、あいつもやって来る頃だろうしな」
カチは残りのハムサンドを口の中に押し込んだ。顎を必死になって上下させ、咀嚼する。
口の中に広がる「味」という感覚。
シロイルカであったときには存在しなかった味覚は、とても素晴らしいものなのだなと、カチは思った。
何もかもがはっきりとしない不安ばかりの胸中が、たとえ一時のことだとしても、柔らかいものに満たされてゆくようだった。