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青の住人  作者: 濱野 十子
六章 青の在処
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 どこを見ているのか分からない、虚ろな目をした幼い少女が相変わらず、電子の中に閉じこめられていた。

 いや、その表現はいささか間違っていた。ディスプレイに映る姿は、虚像でしかない。システムが都合の良いように作り出した幻影だ。その証拠に、映像からは何の感情も読み取れなかった。

「比喩ではない。そのままの意味だよ、カチくん。僕の体の中には、トランジエントの体の一部が移植されている。具体的に言ってしまえば、小さくて可愛らしい心臓が、ここにあるんだよ」

 リドフォールは、呆然とするカチと真朱を嘲笑うように肩を上下させた。

「古来、地球人の昔話に、人魚の肉を食べると不老不死になるという伝承があるのを知っているかな? ふふ……海の女神を食べた僕は、何になったと言えばいいかな?」

「知るかよっ」

 真朱は眉を吊り上げ、激高した。

 カチも、自分の胸を指さしてみせるリドフォールを、呆然と見ることしかできなかった。理解が追いついてこないのだ。

「どうして、そんな真似をしてまで? リドフォールさん、あなたは本当に、こんなことで同胞を救えると思っているのですか?」

「勿論だよ。我々にはアンピトリテが必要だ。アカシャの声を消すためには、女神たちに犠牲になってもらわなければならない。僕は、宇宙へ行かなければ!」

 銃を手に取っているリドフォールの周囲を、流れ込んできたアカシャの群れが取り囲む。殺風景な室内は、にわかに騒がしく――眩い光に満たされる。

「それは、アカシャの願いだわ!」

 訴えるカチに、リドフォールは銃を向ける。

「――黙れ! アカシャに支配されているのは、オマエのほうなのだ、アンピトリテ!」

「銃を下ろせ、リドフォール!」

 真朱はカチの前に出て、銃を構えた。

 向き合う銃口、絡み合う視線。殺気だった二人は狂気を挟んで向き合う。

「いいや、支配ではないな。お前はアカシャそのものといっても良いだろうね」

 肩を揺らして笑うリドフォールに、カチは狂気を感じた。あまりにも強い感情は、もはや、アカシャに煽られてのものか、元々持ち合わせていたものか、区別をつけることすら全くできなくなっていた。

「長い眠りの中でアカシャと精神を融合させ、共存関係にある存在がアンピトリテだよ、カチくん。地球人でありながら、地球人にはあり得ない力を持って独自の進化を遂げた新しい脅威が、君らだ」

「わたしが……アカシャ?」

 頭を強く叩かれたような衝撃を感じ、目が眩む。血の気が一気に下がり、吐き気によろめいた。

「アンピトリテを知るということは、即ちアカシャを知ることになる」

「やらせないさ、リドフォール!」

 銃を握り直し、真朱は頭を振った。

「また、お前は僕に銃を向けるのかい?」

玩具(もの)じゃないんだよ、俺たちは。命があって思いがある、ちゃんと生きている!」

「親に銃を向けるなんて、いけない子だね」

「シェルターを止めろ。オマエと心中する気はない!」

 リドフォールは肩をすくめる。

「シェルターは落ちないよ」

 核心めいた言葉に、真朱は眉を顰めた。

「――真朱さん、空が」

 産毛が逆立つ悪寒を覚え、天井を振り仰いだカチは宇宙ステーションで光が爆ぜるのを見た。

 光だけで、爆音の伴わない光景は、まるで絵空事のようであった。だが、散らばった破片が大気圏で灼熱に焼かれる姿は、異常なまでに生々しく青い空に映し出されている。

「外壁と隕石迎撃システムを焼いただけか。さすがに、丈夫に建造されているね。だが、次はどうかな?」

 何の愁いもないリドフォールの声は、いっそ清々しいほどだ。

『次弾のエネルギー装填まであと、五分です』

 事務的な声で、トランジエントの幻影は告げた。

「月の隕石迎撃システムも乗っ取ったのか!」

「運命連結装置の力は、実に素晴らしいね。苦労して手にした甲斐はある」

 白い肌に刻まれた紋様が、笑い声に同調するように明滅する。

「本気なのか、リドフォール」

「ここまで来て、冗談だと思うのかい?」

「いいや」

 ――銃声が響く。

「おやおや。撃ったのかい、真朱?」

 悲しそうに、今にも泣き出しそうな顔を浮かべ、リドフォールは壁に穿たれた穴を振り返った。

「なんだ、今のは」

「銃を避けたの……?」

 足を狙った真朱の銃弾は、リドフォールに当たることはなかった。外したのではない、かわされたのだ。

「あいにく、トランジエントの能力を持っているんだよ、僕は。遠い先のことを見ることは難しいが、ごく近い未来のことは良く分かるんだ」

 自慢げなリドフォールを後押しするように、『残り、二分です』というアナウンスが響く。

「宇宙ステーションには、たくさんの人がいるはずです! その人たちを、殺すんですか!」

 真朱を押しのけて前に出たカチは、向けられる銃に怯むことなく声を張り上げた。

「何事にも、尊い犠牲はつきものだよ」

 迷いのない返答は、止める気は最初から、持っていないのだと伝えていた。

 戸惑っている間にも、時間は容赦なく刻まれてゆく。猶予はない。

『……カチ』

 呼ばれ、反射的に振り返ったカチは、ディスプレイの中の少女に違和感を覚えた。ほんの少しのズレ。見た目では分からない、カチだけが感じ取れる確かな気配。

「オフショアなの?」

「ハッキング? 無駄なあがきだな、オフショア。優先順位は、トランジエントのほうが上だろう!」

 リドフォールの怒声を浴びて、カチは体を強張らせた。触れるだけで殺されてしまいそうな殺気が向けられる。

「撃たせるかよ!」

有無を言わさず、真朱に押し倒されたのと、ほぼ同時。狭い室内に銃声が響いた。標的を外したリドフォールの弾は数度、跳弾して灰色の壁に飲み込まれる。

「走れ、カチ」

「はい!」

 視線で示された物陰に向かって、カチは駆けた。真朱はその後ろに続き、リドフォールへと向けて引き金を引いた。

 狙いをつけていないため、当たりもしなければ、掠りもしない。いや、たとえ狙って撃ったのだとしても、当たらなかっただろう。

 案の定、リドフォールは余裕の笑みを崩すことなく平然と銃弾の中に立ち、物陰へと走り込む二人を追い立てるように応戦する。

『残り一分です』

 響く声は、もとの機械的な口調に戻っている。気のせいだったのだろうか。焦る胸中を持てあますカチの隣で、真朱は銃に弾を込め直し、深く息をついた。

「カチ、これをつけろ。話があるらしい」

「サイレンスを?」

 いくらマーフォークとはいえ、アカシャが大量に漂う中をサイレンス無しでいるのは危険だ。躊躇すれば、真朱は嘆息して強引にサイレンスを押しつけてきた。

 持っていても役に立たないし、ゆっくりしている時間も僅かだ。カチはサイレンスを被り、耳を澄ませる。

『カチ。あなたの力が真朱を導く』

「オフショア? どういう意味ですか」

『オフショアは、運命連結装置と接続したままだ。支配権をオフショアに戻すことができれば、月の隕石迎撃システムの照準をステーションから逸らせることもできるだろう』

「支配権を取り戻すには、どうすればいい?」

 気づけば、吐息が触れ合うほどの位置にまで真朱が身を寄せていた。

『装置への連結は集中力がいる。それが途切れた瞬間、支配権はオフショアへ自動的に移行する。あとは、強制的に支配権を移されるまえに、オフショアが終わらせる』

「つまり、リドフォールの気を逸らせば良いってことだな」

 カチはディスプレイに映る少女を見つめた。

 オフショアと同じ顔を持つトランジエント。三人姉妹の一人。リドフォールに心臓を喰われた憐れな少女は、じっとリドフォールを見つめている。

「そろそろ諦めて出てくるんだ。誰にも僕は止められない。認めたらどうだい?」

「……くそっ」

 物陰から身を乗り出し、真朱は狙いをリドフォールの足へ定めて引き金を引く。常時なら百発百中に近い命中率を持つのだが、未来を垣間見られるリドフォールには、思わず苦笑いが込み上げてくるほどに当たらない。

『カチ。あなたの力が全ての明暗を分ける』

 弾を撃ち尽くした真朱は、カチの隣に屈み込んだ。マガジンを取り出し、手早く装填する。

 だが、いくら撃とうと、決して当たらないのでは、現状を変えることはできない。

「わたしの、力?」

『そう。絶対反響定位能力』

『次弾発射まで、残り三十秒』

 オフショアの声と同じ声で、カウントダウンが進む。

 銃の装填を済ませ、物陰から立ち上がった真朱をカチは振り仰いだ。

 リドフォールは、もはや撃つ気すらないのだろうか。銃口を前にして、不気味な微笑みを浮かべている。

「つくづく諦めが悪いね、真朱」

「当然だ。何千人もの命が掛かっているからな」

「義理立てする必要はないんじゃないかな? たとえ尊い命なのだとしても、彼等はお前に何をした? 存在を認めず、抹消しようとしただろうに」

 リドフォールの棘のある言葉に、真朱の表情が歪む。

 そう、確かにリドフォールの言うとおりだ。マーフォークをこの世から排除したのは、その存在を生み出した彼等なのだ。

 戦地へ駆り出され、命を落とし。それでも無償の愛をもって尽くしたマーフォークたちの怒りと絶望は、真朱の心の中にも確かにある。

 僅かに生まれた迷いを、カチは真朱の中に感じた。

「お前には殺していい理由があるだろう? 僕はお前の怒りを癒やしてあげられる。お前を苛む声を消してあげられるんだよ」

 リドフォールを包むアカシャの光が、銃を構えたままの真朱へと流れてきた。

 拒む間もなく、自身の中に沈めた悔恨の思いが引きずり上げられ、無理矢理に脳裏に散りばめられた。胸の饐える、どうしようもないむかつきが真朱を襲う。

 理不尽なまでの怒りが、腹の底に吹き溜まるような感覚に真朱は震えた。制御しなければならないのは分かっている。だが、それができない。

「しっかりして。流されてしまわないで、真朱さん!」

 アカシャに浸食されつつある真朱を、カチは後ろから抱きすくめた。

 強張った体の震えごと、回した両手でしっかりと抱きとめ、背中に顔を押しつける。想いがしっかりと伝わるようにと、規則正しい心臓の鼓動をすり合わせた。

「確かに、お前の言うとおりだ。俺には復讐する動機はあるのかもしれない。だとしても、やられたからやり返して良いなんてのは、理由になんかならない!」

 真朱は銃を構え直し、鋭い視線でリドフォールを睨み据える。

「少なくとも、俺の痛みは、そんな程度で消えるとは思えない」

「あくまでも、僕の邪魔をするのかい?」

 カウントは二十を切った。

 青い空に、太陽とは別の強い輝きが現れる。月の隕石迎撃システムが放つ、赤みを帯びた光が陽炎のように揺らめいているのが見えた。

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