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青の住人  作者: 濱野 十子
六章 青の在処
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 目尻が熱く焼け、こぼれ落ちる涙は頬を伝って顎へと流れていく。

「ありがとう、カチ。今、リドフォールを撃っていたら、俺はたぶん……おかしくなっていた」

 耳元で呟かれる声に、カチは頷いて答えた。

「いつだって、殺してやりたいと思っていたんだけどな。いざとなったら、なぜか怖くなる。まだ、震えているよ。……なさけねぇよな」

「真朱さんは、優しいから」

「俺が? ……どうやったら、そんな言葉が出てくるんだかね。笑わせてくれるじゃないか。冗談としちゃ、上出来だ」

本気で言ったつもりなのに苦笑されたカチは、真朱を思い切り突き放した。

 しかし、よろめいたのは、逆に突き飛ばしたほうのカチだった。真朱は押された勢いを上手く使って、負傷を感じさせない機敏な仕草で立ち上がった。

「ノート、聞こえるか?」

 インカムを引き寄せ、倒れたまま動かないリドフォールを一瞥してから続けた。

「シェルターの軌道修正を試みる」

『無茶よ!』

 即答された真朱は、渋い顔を作る。だが、どのみち引き下がる気はない。無茶を承知しているからこそ、言ったのだ。

『たとえ軌道を修正できたとしても、シェルターへの砲撃が中止されるかどうかは分からないのよ!』

「そこを何とかするのが、お前の仕事だろう?」

『尻ぬぐいをさせられる身にもなってみなさい! 私は貴方のママじゃないんだから!』

「分かってる。有能で頼りがいのある上司だよ」

 余裕さえ言葉の端に感じさせる真朱の声に、曇りはない。少しでも迷えば、成功することも失敗するだろうし、むろん奇跡など望むこともできない。

 時間を浪費することは許されない状況と長年の付き合いからか、ノートは早々に諦めて溜息をついた。

『時間がないってことだけは、忘れないで頂戴。無理だと判断したら、すぐに脱出するのよ。――たとえ失敗しても、あなたたちのせいじゃないわ』

 失敗はつまり、シェルターにいる何千何万というアンピトリテが死ぬことを意味する。インカムを支える真朱の手が見る見る強張るのをカチは見た。

『罪は命で償えないことを忘れないで。ちゃんと生きて帰ってくるの』

「ああ、約束するよ」

 通話を終了した真朱は、インカムを持ち上げ、深く息をついた。

「行きましょう、真朱さん」

 シェルターを脅かす揺れは、いよいよ激しさを増している。時間がないのだと言ったノートの声が、ふと脳裏に甦る。

 ……急がなければ。

 真朱は「来るな」と制止することはなかった。真っ直ぐに視線を向ければ、そのまま返してくる漆黒の瞳には自分の姿が映り込んでいた。

 真朱も同じように見ているのだろうかと思うと、知らずに笑みがこぼれてしまう。

「ずいぶんと余裕だな。もしかしたら、蒸発するかもしれないんだぜ」

「怖くなんかありません。真朱さんが一緒だもの」

「俺も、ずいぶんと買いかぶられたもんだな」

 肩をすくめた真朱は口元を僅かに緩め、嘆息してみせた。

 直後、くるりと踵を返して橋の先にある半開きの扉に視線を向けた。とにもかくにも、あの先へ行かなければ始まらない。

「さあ、一仕事はじめようか」

 その声を合図に、二人はリドフォールが入ってきた扉の先へ向かって走り出した。

 漂うアカシャは何をするでもなく、ふわふわと雲のように漂うだけだ。行く手を遮ることはない。

 開きっぱなしのドアをくぐって踏み入った先は、赤い絨毯が敷き詰められた部屋だった。木目調の壁に囲まれた、目に痛いほど鮮やかな赤に、カチは圧倒される。

 目の前には、巨大な装置がいくつも並んでいた。

「ここが制御室ですか?」

「いや、この先だ」

毛足の長い絨毯を踏みしめると、所々、しゃりしゃりと堅い感覚が靴底に触れる。恐らくは、ブルーが破壊したカメラの破片だろう。

真朱は気にすることなく歩いて行き、両開きの扉の前に立った。

「……行くぞ」

「はい」

 追いつくのを待ってから歩を進める真朱の横に並んで、カチは息を潜めて進む。柔らかい絨毯の感覚からしっかりとした床へと移行し、部屋の雰囲気も無機質なものに取って代わった。

 硬質的な光があちらこちらでちらつき、灰色の壁に反射して瞬いている。

 しかし、明滅する光よりも目を惹いたのは、壁に埋め込まれている巨大なディスプレイだった。

 画面いっぱいに映し出されている少女の顔に、カチは驚いて声を上げた。

「オフショア! どうして?」

 アンピトリテの証である銀の髪がふわふわと揺れる中、虚ろな瞳で虚空を見つめる顔は間違いなくオフショアのものだった。

「これは……どうなっているんだ?」

 困惑を隠しきれない真朱は、眉を顰めたままディスプレイに近づいた。その下にある操作パネルへ、両手を置く。ところが――。

「操作を受け付けないだと!」

 乱暴に叩こうが、優しく滑らそうが、操作パネルのどこを叩いても、映像は切り替わらない。ロックされているのか。

 いや。

「無理だよ、真朱。シェルターの機能の全ては、僕がもらった」

 振り返れば、口元を持ち上げるだけの薄い笑みを浮かべて、リドフォールが立っていた。多少は足元がおぼつかないようにも見えるが、あの衝撃をまともに受けたのだ。歩くどころか、立つことさえ難しい……はずなのだが。

「いいや、違うかな」

 驚くカチと真朱を尻目に、リドフォールは黒いスーツの上着を脱ぎ捨てた。

 質の良い布で作られた上着は、ばさりと音を立てて床に広がり、その上に痩身を固めていた衝撃吸収に特化した防御ベストが落ちる。

「全ての機能は、運命連結装置の管理下にある。そうだろう、オルカ・トランジエント。先読みの姫よ」

 女性をエスコートするように、リドフォールはディスプレイの中に漂う少女へと優雅な仕草で手を差し伸べる。

 むろん、少女から手を伸ばされることはない。だが、手の代わりにと、天井を覆っていた隔壁が一斉に降りた。

 射し込む、強い太陽の光。

 どれくらい海上から離れているか分からないが、痛みを感じるほどの日差しの中に、はっきりと宇宙ステーションの輪が認められた。

「どうなっている、ノート?」

 真朱はインカムに向かって怒鳴り声を上げた。

『……運命連結装置の支配権が、月のトランジエントに取られた?』

 聞こえてきた声は、質問に対しての返答ではない。

「おい、ノート?」

 騒然とした雑音が、ノートの声と共にサイレンスのスピーカーから流れ、声が良く聞き取れない。混乱が強すぎて、状況を把握しきれていないようだ。揉めているのかもしれない。

「だめだね、理解できていない。ノートには、止めることはできないようだよ、真朱。彼女たちには頼れないが、お前はどうするつもりかね」

「どうするも、このまま上昇を続ければ、シェルターは撃ち落とされてしまいますよ!」

「さて、それはどうかな」

 首の傷を隠すファーの位置を直し、リドフォールは得意げな顔で両手を広げた。

「僕はね、何でも知っていた」

 光を撒き散らす熱線が、大きな窓の間近を垂直に落下してゆく。足元をふらつかせる幾つもの振動は、次第に強くなってきているように思える。

「知ることができたんだよ」

 ただ独り、余裕の構えでいるリドフォールの体に紋様が浮かび上がったのを見て、カチは声を上げた。見覚えのある複雑な線を絡め合わせる紋様は、運命連結装置に繋がれたオフショアの体に浮かんでいたものと同じように思えた。

 驚いて真朱を振り仰げば、血の気の薄い白い肌に脂汗を浮かべている。

「馬鹿な! 運命連結装置を扱えるのは、オルカだけだぞ」

「ああ、その通り。過去を遡るオフショア、現在を見据えるレジデント、そして未来を予見するトランジエント。オルカ三姉妹の能力を利用した、大型情報統制機はユニットであるオルカの生命反応がなければ、操作できないシステムになっているね」

「なら、何故オマエが使える?」

 よくできました。と、手を叩くリドフォールに、真朱は怒声で返した。褒められたところで、喜ぶようなことではない。ふくれあがる苛立ちと不快感をすぐそばで受け取ったカチの胸の内は、重くざわついている。

「女神の肉をくらったんだよ。だからさ」

「肉を……くらった?」

 鸚鵡のように反芻して、カチはディスプレイを振り返る。


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