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青の住人  作者: 濱野 十子
六章 青の在処
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 撃たれたのだと理解すれば、寸秒の遅れで、猛烈な痛みが襲い掛かってくる。意識を手放してしまいそうなショックに、視界が眩んだ。

 生ぬるく熱を持った鮮血が腕を流れる感触は、途方もなく気持ちが悪い。

 初めて感じる激烈な痛みに、呼吸さえもままならないほどの震えが全身を支配した。

「リドフォール!」

 真朱はもう一挺の銃を手に取り、リドフォールへと向けた。赤いレーザーサイトが、白い額に、小さな点を印した。

「真朱、この僕に――お前の親である僕に、銃を向けるのか!」

「俺は忘れちゃいない! タワーでアンタが俺に言ったことを、俺は忘れちゃいないぞ!」

 怒声が交差する。

 高ぶるばかりの緊張に、カチはいけないと感じた。止めなければという思いが、痛みと恐怖を意識の端へと押しやる。

 撃たれた衝撃を、カチは足を踏ん張って耐えた。体を劈く痛みに出かかる悲鳴を、どうにか飲み込む。

 銃を向けて対峙する二人を見つめた。銀色の光が揺らめいている。淡く発光し、明滅する、それらがアカシャだ。カチは断定した。

 人々の意識を引っかき回す、極小の脅威が持つ美しさは、趣味の悪い皮肉のように思える。

「僕に銃を向けるのか、真朱!」

「先に銃を手に取ったのは、お前だ、リドフォール!」

「……撃ってはだめ! 真朱さんっ!」

 言葉だけでは、加熱された怒りを冷ますことはできない。

 無情に響く銃声に、カチは絶望しかかる自分を懸命に叱咤した。強張った顔のリドフォールへと向け、自身の力を発動させる。

「だめよ!」

 加減していられる余裕はなかった。

 放たれた力は、宙に躍るアカシャを吹き飛ばし、秒速三百五十メートルで襲いかかる銃弾に晒されるリドフォールをも吹き飛ばした。

 赤い髪を鮮血のように散らし、壁に叩き付けられたリドフォールは、悲鳴もなく俯せに倒れる。意識を失っているのだろう、力なく投げ出された四肢はぴくりとも動かない。

「あなたの意志であったのだとしても、本意じゃない。だから、撃ってはだめなんです、真朱さん。アカシャに引きずられては、いけません」

 手摺りに寄り掛かり、カチは喘ぐ。しかし、ようやっと絞り出した声は弱々しい。瞬時に、片端から消えてしまう。

 だが、真朱には届いていたようだ。

「助けられちまったか……」

 ホルスターに銃をしまい、真朱は手摺りにすがりついた。ようやっと、立っているカチへと駆け寄ってくる。

「すまないな。守るって言っておいて」

「一緒に行くと言ったのは、私ですから」

 真朱はバックパックから包帯を取り出した。疲労をひしひしと感じる掠れた声に、カチは黙って頷く。

「応急手当にもならないが、我慢してくれ」

 血が流れる上腕の銃創に、真朱は包帯を少しきつめに巻き始める。

 熟れた熱と痛み。生々しい傷跡が真新しい包帯の中に隠れてゆくのを黙って見つめた。

「殺してやりたいほど、憎んでいたのは確かだ」

 包帯を巻き終わった真朱は、震える声を飲み込むように言葉を切り、俯いた。

 泣いているのだとわかり、カチは左手を真朱の背中に回して引き寄せる。

 肩に涙の感触が落ちても、知らないフリを決め込んで、コミュニティーを再び構成しようと漂うアカシャを見上げた。

「それでも、こんな感情が俺の中から出てくるとは思わなかった」

「アカシャが、真朱さんにそうさせたんです」

 カチは腕の力を強くし、瞼を閉じた。

 脳裏に浮かび上がってきたのは、炭化した肉の饐えた臭いが充満する、アンピトリテの霊廟である旧タワーの光景。

 熱に肌を焼かれ、煙に喉を焼かれた真朱とリドフォールが対峙している光景だった。煤が雪のように、ふわりふわりと漂っている。

『待ってください』

 炭化したマーフォークの惨状を呆然と見つめ、事態を理解できないでいる真朱に、リドフォールは人々の注目を向けた。

『この子の処分を待っていただきたい』

研究対象であるマーフォークの子供、それも劣性型を己の実子であると公言していたリドフォールは、この時も、何一つ迷う素振りもなく、馬鹿みたいに凛とした声を響かせた。

『たった今、この場所で起こった出来事を、貴方たちは見たでしょう。この子に発現した再生能力は、目を見張るモノがあるとは思いませんか? アルビレグム、月面地球人の双方にとって、有益であるとは、思いませんでしょうか?』

 人の形を残す炭を踏み壊し、銃を構えて真朱に詰め寄る兵士の群れが足を止める。

 変わり者として有名だったリドフォールだが、学者としての地位も名もある。

 そんなリドフォールの一言に、背後に控えていたマーフォークの年若い精鋭部隊は、嫉妬の混じる視線を真朱へと突きつけた。

なぜ、こんなモノを庇うのか。

 無言であっても、場に漂う雰囲気は包み隠さず、ただ独り生き残った真朱を批難していた。

沈黙した思念遮蔽装置を前にして、精神浸食を恐れて打ち震える多数のアルビレグムは、自分たちに恐怖を抱かせた存在を生かしておくものかと息巻いている。

 リドフォール以外、誰一人として真朱の存在を許す者はいなかった。

『見ての通り、幼い子供だ。ならば、驚異的な再生能力を持って、罪を償う機会を与えてみては、どうでしょうか?』

響くリドフォールの声も、真朱にとって真の救いとはならない。

 結局は、リドフォールの提案が呑まれ、国家機関の“備品”として生存することを許された。だが、有無を言わさずに背負わされた罪は、厳密に言えば真朱が負うべき罪ではないのだ。

 暴動を起こしたのは大人達であり、決して真朱ではない。

 あえて罪を問うのであれば、真朱の罪は大人たちを止めきれなかったことだろう。同じように巻き込まれ、死んだアンピトリテの群れへの贖罪を真朱は探し求めているように、カチは思った。

「心の何処かで、信じていたんですね。だから、こんなにも悲しいのですね」

 気づけば、カチは泣いていた。


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