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青の住人  作者: 濱野 十子
六章 青の在処
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「馬鹿で言うことを聞かない放蕩息子だが、それでも真朱は僕の可愛い子供だからね」

「……じゃあ、私は?」

血が飛び散った橋桁に、流れ落ちた涙の粒が溶ける。

 カチは震えた。

 体の芯から凍えるほどの大きなこの絶望は、ブルーが感じているものだ。

「海へ還るといい。おやすみ、ブルー」

 三発目の銃弾は、ブルーの額を割った。悲鳴すらも上げられず、無力な体はすがりついていた手摺りを乗り越え、呆気なく落下した。

「あ、あぁ……そんな、こんなことって」

 響く水音に、カチは拳を握った。最悪の裏切りに、ブルーは何一つ言うことを許されないまま、殺されたのだ。愛を求める人の手によって。

 震えるほどの怒りが感情を支配する。

真朱の……それに加えて自分の複雑な感情が交じり合い、カチは叫ぶ代わりに唇を噛みしめた。

 手の平に爪を食い込ませ、口腔に血の味が滲み出すほどに強く歯を立てても、高ぶるばかりの感情を持てあます。

「リドフォール! アンタ、なにやってるんだよっ!」

 血を吐きながら、真朱は吼えた。

「何を怒っているんだい、真朱? お前を助けてあげたんだよ」

「……だとしても、アンタは最低な親だよ!」

 立ち上がろうと身じろぎする真朱に、リドフォールは肩をすくめる。表情や仕草には、ブルーを殺めたことへの呵責などは一切、欠片ほども感じられない。

「僕は、あの子の親であったことは一度もないよ。ブルーが勝手に僕を父親扱いしていただけさ」

「酷い。ブルーは、あなただけを頼りにしていたんですよ!」

立ち上がり、カチはリドフォールの金色の瞳を見つめた。

 笑みに隠された本心を探ろうとしてみた。

 だが、平常心を保てない現状では正確に感じ取ることは不可能だった。絡まった糸のように、正体の掴めないリドフォールの内面に、カチは戸惑うばかりだ。

「知っていたよ。群れをなくしたブルーには、僕と真朱しか繋がる存在はなかった。だとしても、僕には何の関係もないこと。ブルーは研究の中で発生した生命体。他のマーフォークと一緒の存在でしかないな」

 リドフォールは、まだ暖かい銃口をカチへと向けた。

「特別なのは、真朱だけさ。彼女との間に生まれた命は、真朱だけだった」

「なぜ、その愛情をブルーにも向けられないの!」

「なぜと言われてもね。理由は言ったとおりさ」

 気味の悪いほどに濃厚で、一方的な感情に、カチは嘔吐感さえ覚える。

「――特別? ああ、そうだろうな。アンタはあの時、確かにそう言っていたよ」

 口腔に溜まった血を吐き捨て、真朱はよろめきながら立ち上がった。とはいえ、ブルーに負わされた怪我の回復具合は、あまり良くはなさそうだった。

 手摺りに掴まらなければ立てない有り様の真朱に、カチはいてもたってもいられなかった。咄嗟に、庇うように前に出る。

「何もかも、研究のため。アンタには、それしかないんだ」

 侮蔑の混じる真朱の言葉に、すっとリドフォールの顔から笑みが消える。

「真朱。僕はね――」

 シェルターに響く激しい揺れに、リドフォールは言葉を切って視線を天井に向けた。

 分厚い隔壁に覆われている天井が、断続的にブルブルと震えているように見える。上昇によるものではない。外部からの衝撃だ。

『――カチ! 聞こえている? 早くシェルターから脱出しなさい!』

「ノートさん、脱出って? なにが起こっているんですか」

『連星政府はシェルターを大気圏内で破壊するつもりよ! ステーションの隕石迎撃システムが起動したのを、確認したわ!』

 シェルターを脅かす揺れに、カチは血の気が一気に下がるのを感じた。くらくらと視界が揺れるのは、気のせいではないだろう。

「シェルターが撃ち落とされる?」

「なんだって! 貸せっ」

 真朱はカチからサイレンスを取り上げ、装着する。

 ノートと言葉を交わすうち、真朱の表情からは見る見る血の気が失われていく。蒼白にさえ思える顔色は、緊張した面持ちと相まって今にも倒れてしまいそうだ。

「リドフォール! そこを退け!」

「邪魔をする気かい?」

「馬鹿なことを言ってるんじゃない! わかっているのか? このまま上昇を続ければ、死ぬのは俺やオマエだけじゃない、シェルターにいる何万ものアンピトリテが、全て蒸発するんだぞ!」  

 銃を向けているリドフォールの表情は、まるで変わらない。

 威嚇なのか。断続的にシェルターを打ち付ける攻撃は、致命的な損傷を負わせるまでには至っていない。だが、このままで終わるわけもない。

 戦場が拡大するばかりの宇宙空間にあって、外敵を討ち滅ぼすための兵器は進化し続ける一方なのだ。巨大なシェルターを破壊するほどの威力を持つ兵器は、恐ろしいことに、ごまんと存在している。

「邪魔はさせないよ。僕にはマーフォークを救う使命があるのだからね」

「この状況をわかって言っているのか、リドフォール」

 眉を顰め、呟かれる真朱の声は、怒りというよりも困惑が滲んでいる。

 カチも、リドフォールが何を考えているのかわからなかった。

 状況を無視している言動や行動もそうだが、多面感応能力をもってしてもリドフォールの真意を感じ取ることができなかったのだ。

「マーフォークを救うという使命。……本当に、それは貴方の意志ですか?」

「ああ、そうだとも。アルビレグムが多重幻聴症候群から解放されるためには、アンピトリテの献体が必要だ。そのために、僕は彼らを連れて宇宙へと行かなければならないんだよ」

 リドフォールの感情は、まるで洞窟の中で反響する声のようだとカチは思った。同じ言葉なのに、響き方が違うだけで厚みを増す、不協和音。

 まるで、人混みの中に放り込まれたような圧迫感に、脂汗が滲んだ。

「お願いです! 銃を下ろして、道を譲ってください! このままでは、本当にたくさんの命が失われてしまいます!」

 カチはリドフォールに向かって一歩、踏みよった。

 頭上から降り注ぐ照明の光を反射する銃身は、てらてらと輝き、狙いをカチへと定めている。しかし、怯んではいけないと、カチは唇を噛みしめた。

「シェルターは止まらないよ。誰にも、止めることはできないだろう」

 微笑むリドフォールの顔を、銀色の光が照らす。

 カチは驚いて足を止め、生ぬるい風と共に舞い上がってくる光の粒を呆然と見やった。

 雪のように……いや、むしろ泡のように、ふわふわと吹き上げてくる銀色の光の粒は、銃を構えるリドフォールの周囲を取り囲んでゆく。

「なにが起こっているの?」

「――宇宙に行かなければならないんだよ」

 それまで、余裕を崩さなかったリドフォールの声にはじめて苦悶の色が混じった。サイレンスを耳に押さえつけ、脂汗を滲ませている。

「アカシャの声を、消すために必要なことだ! なぜ、わからない!」

 声はヒステリックに響いた。全てを見知ったかのように、常に平静を保っていた姿からはとても想像できないほどの狂態に、真朱の顔色も変わる。

「リドフォール。アンタ、まさか多重幻聴症候群なのか?」

「黙れ、真朱!」

 リドフォールは銀色の光がたゆたう空間へ向け、引き金を引いた。

 重さを感じない光の粒は、簡単に砕ける。だが、瞬時に何事もなかったかのように、元の集合体へと戻っていった。

 嘲るような光景に、リドフォールは無駄だと知りつつ、引き金を引いた。何度も何度も銃声は鳴り響き、装填された弾が尽きるまで止むことはなかった。

「僕が……この僕が、多重幻聴症候群であるなんてことは一切ない。僕はアカシャの、アンピトリテ研究の第一人者だったんだよ。その僕が病気だなんて絶対にあり得ないだろう!」

 息を切らし、大きく肩を上下させながら、リドフォールは銃のマガジンを取り替えた。たどたどしい手つきは、彼らしからぬ稚拙なものだった。

「脆弱な地球人と一緒にしないでくれたまえよ!」

 アンピトリテが目覚める仮定で発生した水。そのたまり場から尽きることなく生み出される光に、カチは既視感を覚えていた。

「あなたは、アカシャの意志に操られている」

 宇宙へ行くことに固執する意志。

「シェルターのアンピトリテたちと同じだわ!」

 もともと地球人である彼等が、なぜ宇宙を切望するのか。豊かな大地ではなく、空虚が広がるばかりの宇宙を望むのか分からないでいた。

 だが、その望みがアンピトリテ自身のものではないのだと仮定すれば、少しは理解できるような気がした。

 砂粒のような極小の存在であるアカシャは、今、この時もコミュニティーを形成しながら空間を漂っている。あつまり、固まるのが彼等の本能なのだろうか。

 隕石と共に宇宙からやって来た……いや、やって来てしまったものであるのなら、アカシャが宇宙へ帰ろうとする心情は、分からないでもない。

「アカシャが貴方を駆り立てている」

「――黙れ! この僕が、アカシャに操られるなど、断固としてありえない!」

「お願い、落ち着いてください。今やっていることは、貴方の本心であると、本当に確信を持って言えるのですか!」

 リドフォールの表情が、苦悶の形に歪む。銃を突き出している右手は、引きつけを起こしたかのように震えていた。

「リドフォールさん!」

「煩いっ!」

 怒声と共に、銃声が響いた。

「――あっ!」

 右腕に熱を感じた。

 わけも分からず、呆然としたまま視線を向けてみれば、目の覚めるような鮮紅色の血しぶきが、視界に散った。


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