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青の住人  作者: 濱野 十子
六章 青の在処
33/40

 エレベーターは二人が乗りこむのを待ってから扉を閉め、性急な早さで上昇を開始した。

 目的の階へと直通になっているのか、行き先を選択するパネルはない。ただ、階を表示するディスプレイだけが忙しなく動いている。

「行き先は、メイン・コントロール・ルーム。つまりは、このシェルターの中枢部分。そこに、リドフォールとブルーがいるってわけか」

 二十階を指したところで、エレベータが止まる。カチは壁際に追いやられた。

 真朱は銃を構えたまま、外の様子を探るよう、慎重に身を乗り出す。

「こそこそ行動する必要はない、不意打ちなんてしないよ。だから、さっさと出てきたらどうだい。殺してやるって言ったろう? 派手にやろうじゃないか」

 明るく、楽しそうに笑う声は、少女のように軽やかで可愛らしい。

 だが、エレベーターの先で待ち受けているブルーの気配は、肌が裂かれてしまいそうなほどに鋭いものを感じた。心配になって真朱を見上げれば、大丈夫だと引きつった笑みを返される。……どんなに良い方にとっても、大丈夫ではなさそうだ。

 こめかみからじっとり滲む脂汗が、真朱のせっぱ詰まった胸中を、如実に表していた。

「悪いが、殺されてやるつもりもなけりゃ、遊んでいる暇もない。残念だったな、ブルー」

 右手に持った銃を構え、真朱はゆっくりとエレベーターを出た。カチはその後ろに、少し遅れて続いた。

 吹き上げてくる風に、カチは反射的に息を飲む。恐る恐る足を踏み入れた空間は、眩いばかりの光で埋め尽くされていた。

 カチは光に眩んだ目の焦点を合わせようと、瞼を瞬かせる。

「相変わらず、つれない男だね。真朱」

 ブルーが立っているのは、あの赤い絨毯の部屋ではなかった。

 フリッパーから降りたときに通ってきたような、吹き抜けにキャットウォーク然とした鉄製の橋が架けられているだけの空間が、眼前に広がっている。

 下から吹き上げてくる風に湿ったものを感じたカチは、足元に湛えられている大量の水の存在に気づいた。

「アンピトリテが目覚めたときに発生した水だよ。完全に排水される前に、隔壁が閉じてしまったからね」

 ブルーは悲しげな顔で、眼下に広がる水溜まりを見つめた。

「……私と一緒だ。命の流れに還ることができない、憐れな水。根本へ還りたくても、還れない」

「命の流れ?」

「人工物は、土塊に還ることはない。海に沈むこともできずに、宇宙の塵となり、朽ちることはない不完全な屍。それでも、私は還りたい」

 ヒールの音が甲高く響く。

 しゃりしゃりと空気を震わせるのは、研がれたナイフの刃を打ち鳴らしている音だ。

 ブルーは、警戒しすぎているせいで動けない真朱を誘っている。早く来い、早く始めようと、まるで遊びに行く子供のように。

「さあ、始めようじゃないか。父さんのいるメインコントロール・ルームは、奥の部屋の更に奥だ、真朱」

 ブルーは橋の中央に立ち、笑っていた。どう足掻いたところで、戦いは避けられない。

「下がっていろ、カチ」

進み出る真朱を、カチには止めることはできない。

 攻撃を受け付けない力場を作り出すブルー。マーフォークという特殊な存在であるが故の身体能力と相まって、悪魔のような戦闘能力を持っている。

 勝つことはおろか、互角に渡り合うことさえ難しいだろうことは、素人のカチでさえわかる。だが、どうしても進まなければならない。

「……下がりません、私も行きます」

 訝しむ真朱の顔を見返し、カチは自分の中に眠る力をたぐり寄せる。長い銀髪がふわりと揺れ、光を胎む。

 どれだけ対抗できるか定かではない。それでも、鋭い刃に晒される真朱の盾には、辛うじてなれるかもしれない。

 気を緩めれば震えそうな体に、カチは唇を強く噛んで奮い立たせた。ただ見ているだけでは、ここにいる意味はない。

「前には出るなよ」

「はい!」

右手に銃を、左手にナイフを逆手に持ち、真朱はブルーに向かって駆けた。

「――刻んであげるよ!」

 一拍置き、ブルーもナイフを両手に構えて駆ける。

 気迫に怯めばすぐさま死に繋がる。衝突するのも構わないと、真朱とブルーは迷うことなく走り込む。耳を劈くほどの高音が鳴り響き、一閃が引っくり返った。

「生意気なんだよ、真朱! 出来損ないのくせに、お前だけが……お前だけがぁっ!」

「アンピトリテを宇宙に打ち上げて、何になる? リドフォールに味方したところで、意味なんて一切ない! あいつは何一つできない男だよ! お前は、いったい何をしたいんだ、ブルー!」

「父さんの悪口を言うなよ! 父さんは、私を幸せにしてくれる。海へと帰してくれるって言ったんだ! 父さんだけが約束してくれたんだよ! なぜ、お前はわからない!」

 ぶつかり合う刃。至近距離で鋭い刃が一進一退の攻防を繰り返す脇で、ブルーのもう一つの牙が翻る。

 真朱はナイフの腹に向かって、躊躇することなく正確に鉛の弾丸を叩きつけた。銃声が獣のような唸り声を上げて、筒のような室内を響き渡り、ブルーのナイフを噛み砕く。

 力場を展開させていなかったブルーは、不満げな表情で舌打ちをした。追撃を避けるべく、後方へと飛び退く。

 僅かに形成された間合いを挟み、真朱とブルーは油断なく互いを睨みつけている。

「ブルーさん! どうして、須加さんを殺したんですか? あの人は、ブルーさんの仲間なのでしょう? それなのに……」

 真朱と対峙するブルーの周りに、彼女の身を守る鎧――力場が作成されてゆくのを、カチは感じ取った。燃え盛るような激しい感情に飲まれそうになる。

「あんなモノ、私の群れではない!」

「じゃあ、どうして一緒にいたんですか?」

「父さんがそうしろと言ったからだよ。シェルターを浮上させるために、あいつ等が必要だった。……必要なくなったから、殺した。全員だ」

 刃が砕かれた右手のナイフを橋の外へと投げ捨て、ブルーは太腿のホルスターから銃を引き抜いた。

「お前らも同じ。必要ないから……私が殺す!」

 ヒールが橋桁を穿つ。火花さえ迸る強い踏み込みで、ブルーは滑空するように真朱へと襲いかかる。

「……くそっ!」

 真朱は引き金を引く。

 正確な狙い通りに二発の弾丸は突き進み、ブルーの整った顔をめがけて襲いかかった。

 常人ならば蜂の巣であろう冷酷無比な弾道は、しかし、ブルーの体を包み込む不可視の力場によって、強引にねじ曲げられ、逸らされてしまう。

「死ねよ、真朱!」

 ブルーの手に持つ銃が真朱へと向けられる。

 一瞬の攻防の最中、真朱の能力では銃弾を避けることは不可能だ。着弾すれば動きは当然、制限され、良いように攻め立てられるだけとなる。

苦い表情のまま、真朱もまた銃をブルーに向けた。無駄だとはわかっていても、向けざるを得ない。

 弾数は五発。残り二発を放ったところで、通じる相手とは思えない。それでも真朱は、諦めてはいなかった。勝ち目の限りなく少ない強敵を相手にして、少しでも躊躇し怯んだ瞬間、勝敗は決まる。

 だからこそ、恐怖を打ち払い。真朱は引き金に指を掛けた。

「……だめ、真朱さん!」

 カチには見えていた。おそらくは、アンピトリテとしての不思議な能力で。

 このままでは真朱は迫り負ける。ブルーの動きのほうが僅かに速いのを、カチは感じ取っていた。

 それがたとえ瞬きほどの数秒の差であろうとも、切迫した場面では命取りたり得る理由となる。まして、ブルーには最強の盾があった。

 銃声が響き、真朱とブルーの間で冷酷な青い光を放つマズル・フラッシュが、いくつも瞬き、華を散らせる。

「真朱さんっ!」

 己の中に潜む力を引きずり出そうと、カチは大声を上げた。

「なんだと! この力、小癪なっ!」

 髪と髪との間に埋もれる小さな光が蠢き、放たれた力は真朱へと襲いかかる銃弾を、橋桁へと叩き落としたのだ。

「……カチ。お前っ」 

「よそ見か、真朱!」

 真朱が目を離した一瞬の隙に、勢いのままにブルーは、がら空きの懐へと飛び込んだ。ナイフを持った手で胸を軽く押す。

 予想してない動きに不意を突かれ、反射的に視線を向けた真朱の顎に、ブルーは弾を撃ち尽くした銃を叩き込んだ。

「真朱さんっ!」

 吹き飛ぶ体。あまりの痛打に悲鳴すらもなく、真朱は鉄の橋桁に叩きつけられた。カラカラと音を立てて、衝撃のせいで外れたサイレンスがカチの足元まで転がってくる。

「……っ!」

 真朱は蹲ったまま、殴打された顎を押さえて立ちふさがるブルーを見上げた。

「ははははっ、顎が砕けたか?」

 ブルーは立ち上がることもできない真朱へ歩み寄り、それだけで既に凶器であるヒールを、深々と腹に叩き込んだ。

「さぁて、今度は、どれくらいで回復するのか。ふふふっ、面白いから見ていてやるよ」

「やめて、いや……やめて!」

「そこで見ていろよ。でないと、今すぐ殺すからね。真朱も……お前も!」

 子供っぽく微笑むブルーに、カチは恐怖を感じて動くことが全然できなくなってしまう。

 遊ぶような口調であっても、本気であることは疑う余地もない。へたに駆け寄りでもすれば、ブルーはすぐさま行動に移すだろう。

 カチは顔を手で覆い、くずおれた。

真朱の呻き声と、ブルーの笑い声が耳にまとわりつく。吐き気を覚えるほどの恐怖に、ただカチは、ひたすら身を丸めるばかりだった。

 どうにか対処しなければならない。だが、どう行動したら、この状況を打開することができるだろうか。

『……そお、真朱! どうしたの、何が起きているの!』

「ノートさん」

『カチ?』

 雑音に混じって聞こえてくる声は、真朱のサイレンスから流れてくる。カチはブルーの感心が真朱だけに向けられているのを確認して、そっと、サイレンスを取り上げて装着した。

「ノートさん、わたし……」

 可能なかぎり小声になって、カチはインカムを口元に引き寄せる。ブルーに感づかれては、おしまいだ。

『……手短に言うわ。あなたたちの乗っているシェルターは、宇宙へと向かって浮上し始めている』

「はい。リドフォールさんが――」

『いい、重要なのは、ここからよ。シェルターの打ち上げ軌道上には、宇宙ステーションの輪が重なっている。どういう状況だか、わかるわね? このまま上昇をすれば、シェルターと宇宙ステーションが衝突し、何万ともしれない人々が塵になる。無論、あなたたちも……』

 カチの脳裏に、隕石によって破壊され、地上へと落下してくる宇宙ステーションの屑で赤く染まった空が浮き上がった。

 ぶるりと、体が大きく反射的に震える。もう一度、あの惨劇が起こってしまうのか。

「何をこそこそ喋っているんだい?」

 真朱を踏みつけたまま、ブルーは狂気に濡れた目をカチへと向けた。

「気に入らないね!」

「――がはっ!」

 ボールのように蹴り飛ばされ、真朱が橋の上を転がる。脱力し、血にまみれた体は、まるでボロ切れのように痛々しい。カチは我も忘れ、駆け寄った。

「真朱さん!」

 辛うじて息はある、意識もあった。さすがはマーフォークといったところか。大きく胸を上下させて喘ぐ真朱を、カチは助け起こした。

「もう飽きた。死になよ、二人揃って、仲良くね」

 ブルーは銃のカートリッジを取り替え、無機質な銃口を向けた。

「まって! このままシェルターが上昇を続ければ、みんな死んでしまうの! ブルーもリドフォールさんも、わたしも真朱さんも。……宇宙ステーションに衝突して死んでしまうのよ!」

「だから?」

「……え?」

 撃鉄が持ち上がる。

「私が信じるのは父さんだけ。お前の言葉なんか信じない。私を……私達を裏切り、殺した奴等なんかの言葉なんて信じられない」

「あいつは、信じられるような男じゃない。お前は、騙されているんだよ、ブルー」

 腕の中で、真朱が身じろいだ。

 痛みを噛み殺し、自力で起き上がった真朱は、銃を向けるブルーと正面から向き合った。

「黙れ、真朱! 父さんの愛を感じられないお前が、何を言う! この私を抱きしめてくれるのは、あの人しかいなかった。私を助けてくれたのは、父さんだけだったんだよ!」

 声を荒げたブルーはナイフを投げ捨て、真朱の額に照準を定めた銃へと添える。

 両手で構え、更に精度を高めた弾道に、カチは背筋が粟立つのを感じた。……殺される。殺されてしまう。

「あの人だけが、私を愛してくれた!」

 銃声が響く。

 至近距離、耳をつんざく銃声にカチは反射的に目を閉じた。硝煙の臭いが鼻をかすめ、湿った空気に真新しい血臭が散らばる。

「ブルー!」

 真朱の掠れた声に、カチは瞼を持ち上げた。

 一瞬、何が起こったのか、理解できなかった。それは、ブルーも同じだっただろう。呆然とした表情で、困惑が見て取れる瞳を左右に動かしている。

「――っあ」

 声にならない声を紡ぐ口から血が噴き出す。ブルーは己の胸に開いた小さな孔に手をやって、ゆっくりと振り返った。

「とう……さ……ん」

「遊んでいいとは言ったけど、殺していいとまでは言ってないだろう。おいたが過ぎたね、ブルー。二度目は許さないよ」

 紫煙を立ち上らせる銃を手に、リドフォールは微笑んでいた。

「どうし……」

 すがりつこうと手を伸ばすブルーへ向かって、リドフォールは何の躊躇いも見せずに引き金を引いた。爆音と共に、細い体が仰け反る。

「ブルー!」

 たたらを踏み、よろめくブルーは手摺りにしがみついた。

「どうして、父さん……どうして、私を撃つの?」

 あまりのことに、力場すら展開させられないでいるブルーへ銃を向けたまま、リドフォールは歩み寄る。薄ら寒い微笑みには、狂気さえ感じた。


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