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青の住人  作者: 濱野 十子
六章 青の在処
32/40

 真朱は舌打ちをして、部屋の中央にある装置へと歩いていった。カチは胸につかえる嘔吐感を必死で飲み込み、須加へと歩み寄り、屈みこんだ。

 まだ、どことなく暖かさを残している血だまり。生々しい血臭に視界が眩むようだ。カチは唇を強く噛んで気を保ち、倒れたまま動かない須加の背中に右手を置いた。

 力が体に集まってくるのを感じる。淡く発光する光が周囲に満ちるのを待って、カチは瞼を閉じた。

 強烈で鮮明なイメージが、脳裏に浮かび上がってくる。事切れた須加に残る残留思念は、カチの力に導かれて蘇った。

「……ブルー」

「なんだって?」

 装置をいじってる真朱が顔を上げ、視線をカチへと向けた。

「須加さんを撃ったのは、ブルーです!」

「ブルーが、こいつを殺した?」

 カチはゆっくりと立ち上がり、真朱を見つめた。

 わからない。ブルーと須加は仲間ではなかったのか。

 だが、もっと理解できなかったのは、感じ取った須加の残留思念は、恐怖や絶望よりも、むしろ恍惚とした感情に満たされていたのだ。狂気に近い喜びを感じながら、須加は死んだのだ。

 見下ろして、よくよく血にまみれた顔を観察してみれば、どことなく微笑んでいるようにさえ思える。カチは怖くなって、真朱の元へと駆けた。

「真朱さん……どうして?」

「わからない。ブルーの目的は、アンピトリテの解放ではないのか?」

「ブルーは、海に帰りたいんです」

「海に?」

 訝しむ真朱に、カチは断言するように頷いた。

「そう、言っていました」

 ブルーから感じ取った、壊れた宇宙船と多くの死体に囲まれたイメージ。おぞましい映像と相まって、悲しいものに満ちていたのをカチは思い出す。

 何かを必死に求め、青ばかりの地球へと手を伸ばしていたブルーが求めるもの。カチは解答を求めるように天井を仰いだ。

 相変わらず、柩の中から上体だけを起こしたアンピトリテたちが、こちらを無言で見つめている。

「……とにかく、今はリドフォールだ。セキュリティにアクセスして、居場所を探る」

 真朱は、バックパックから取り出した携帯端末を装置と繋ぎ、パネルを乱暴な手つきで打ち込み始めた。

 カチは真朱の横に立って、モニターを見つめた。

「どうするつもりだ、リドフォール?」

 真朱が手を動かす度に、モニターに映る映像が切り替わる。

 誰もいない廊下。パンドラの生き残りと思われる男が複数うろついている広間。まだ開いていない柩が並んだ部屋。

 同じような光景をいくつも繰り返し、映像は聖堂のパイプオルガンを思わせる装置が置かれている広間で止められた。

『やあ、真朱』

 赤い絨毯の上に立つリドフォールが、上目遣いになってカチと真朱を見つめている。

「リドフォール、お前!」

 感情を押し殺す低い声になって、真朱は映像の中にいるリドフォールを睨み付けた。

『ありがとう。全て、予見通りに進行しているよ』

 口元だけを僅かに持ち上げて微笑み、リドフォールは両手を叩いた。馬鹿にしているようにも受け取れる、余裕に満ちた動作に苛立ち、真朱は握りしめた拳を装置に叩きつける。

「お前は、アンピトリテをどうするつもりだ!」

『多くの命を救うためには、犠牲が必要なんだよ。わかってくれるだろう、真朱。お前や私が着けているこのサイレンスは、どうやって作られたか。知らないわけではあるまい?』

「……リドフォールさん」

 胸中の困惑を隠すことが出来ず、カチの声は情けないまでに震えていた。

 当然のことのようにシェルターにいるリドフォールは、穏やかな笑みを浮かべている。問いかければ、今までと変わらない雰囲気のまま首を傾げさえする。見た目はどこも変わらない、なのにカチは理由が掴めない恐怖に怯えている自分を自覚していた。

『何かな、カチくん』

機械越しの声は少しばかり掠れて伝わるが、余裕を崩さない口調もまた、相変わらずそのままだ。

 取り乱し、声を荒げて問い詰めている真朱やカチのほうがおかしいのだろうか、そんな風にさえ思えてしまう。

「アンピトリテを助けるのではなかったのですか?」

『不当な人間の手から、守るのは当然だよ。そのために、カチくんと真朱を差し向けたんだからね。パンドラにはシェルターを引きずり上げるのに協力してもらったが、アンピトリテを危険な思考をもつ彼等に渡してやるつもりはさらさらない』

「どうして、ここにお前はいるんだよ! なぜ、ヒメガミを占拠した!」

『必要だからさ、真朱。僕らアルビレグムは、種族的な危機に晒されている』

 真朱の怒声に怯むことなく、むしろ、楽しげにリドフォールは金色の瞳を細めた。

『多重幻聴症候群だよ、真朱。精神感応能力に長け、長寿であるがために環境に適応しがたい種族である我々アルビレグムは、地球圏へ漂流してくる前から、宇宙の記憶であるアカシャの囁きに悩まされ続けていた』

 リドフォールは、耳を覆うサイレンスを人差し指で叩いて続ける。

『そんなアルビレグムに救いの光をもたらしたのは、アンピトリテの存在だ。彼女彼等の特殊な存在が、アカシャに対抗する術を与えたのだ。……しかし』

 リドフォールの姿が画面から消える。真朱は慌てて、カメラの位置をずらした。

「ブルー」

 リドフォールの隣に立つ、黒いボディースーツの女。猛獣の牙のように両手に短剣を持って、レンズの向こう側にいるカチと真朱を威嚇していた。

『旧タワーの暴動を理由に、月面地球人たちはアンピトリテの研究を中止する条例を可決させた。アルビレグムがアカシャから解放され、移住者から侵略者へ変わるのを恐れてのことだ。過去の研究資料を元に、思念遮蔽装置は改良されているが、発展しているとは言い難い。僕はね、アカシャからアルビレグムを救いたいんだ』

 リドフォールの態度や表情は変わらない。だからこそ、余計に恐ろしくなるのだろう。

『さあ、まだやることは残っているのでね、僕は失礼させてもらうよ』

 声と共に、シェルターが揺れる。

 赤い絨毯が敷き詰められた部屋で、異様な存在感を示す巨大な装置が二つに割れ、現れた入口の中へと、リドフォールは消えていった。

「くそ、何を始めるつもりだ!」

 真朱は苛々と怒鳴り、ブルーだけを映す画面に向かって拳を打ち付けた。

『邪魔はさせないよ、真朱』

 確かな決意を感じる凛とした口調と、獲物を見据える鋭い視線でブルーは言った。カメラ越しであるというにもかかわらず、思わず後ずさってしまいそうな迫力を感じた。

「ブルー! どうしてあなたがそこにいるの?」

『父さんの邪魔をするのは許さない。殺してあげるから、上がっておいでよ。……早く』

 喉の奥で笑うブルーは、右手に持つナイフを構え――投げつけた。カメラが壊され、映像が消える。

 灰色の砂嵐で埋め尽くされるディスプレイを呆然と見つめ、カチは耳にした言葉に生唾を飲んだ。

「真朱さん。今、ブルーはリドフォールさんを、父さんって……」

 何も映さなくなったディスプレイを睨み、真朱は怒りを抑え込むように唇を噛みしめ、拳を握りしめている。

卵子(はは)違いの兄弟だよ。ブルーだけじゃない、見たことも会ったことすらない兄弟は、ごまんといた。俺は……俺たちは、そういった存在だった」

 真朱は画面の電源を切り、顔を上げる。

「精子提供者が同じだからと言って、俺たちには兄弟や親子の概念はない。優性か劣性か、被験体か科学者か。ただ、それだけだ」

 心の隅に引っかかる蟠りを振り切るように、真朱は言い切った。追及を許さない声音に、カチは「本当に?」という言葉を寸前で飲み込む。

 割り切ろうとして割り切れずにいる。カチは、真朱に煮え切らないジレンマを感じていた。

 重くなるばかりの雰囲気に、足踏みしているカチと真朱に決断を促すよう、シェルターが再度、胎動する。

「この揺れは、何なんでしょう?」

 不穏なものを感じる。誰にともなく呟いたカチに答えたのは、機械的な女の声だった。

『緊急脱出第二段階に移動します。システム・クレイドル解除により発生した水を排出後、推進用エンジンのハッチを開き、隔壁を閉鎖します。職員は速やかに所定の位置に就いてください』

「まさか、シェルターごと宇宙へ送る気なのか!」

 微動を続けるシェルターに、真朱の上擦った怒声が響いた。

「無茶苦茶だろう!」

 隕石による破壊を逃れ、長い間、海の中にあったシェルターは、どうやら宇宙船も兼ねているようだ。とはいえ、意外な機能に面食らっている場合ではない。 

「真朱さん、止めないと!」

「何を考えているんだ、あいつは。シェルターを宇宙に送ったって、アンピトリテを使った実験は世論が許さない。無駄だぞ!」

「……真朱さん! なにか、降りてきます!」

 カチは丸い作りの室内をぐるりと見回した。微動だにしないアンピトリテの群れ、冷えてゆくばかりの須加の遺体。

 それらを視線で追うカチに応え、甲高い機械音が鳴り、壁の一部分がスライドした。

「エレベーター?」

「これで来いってか、ブルー」

 真朱の声が緊張で上擦っている。

 特殊な能力を持ったブルーに対し、真朱は装備しているナイフと銃しか攻撃の手段はない。一方的だった戦いをカチは思い出した。こみ上げてくる不安を隠すことができない。

「大丈夫だよ。知っているだろう、俺は死なない」

 気を紛らわせようとでもいうのか、真朱は不安を感じさせない柔らかい笑みを浮かべ、カチの肩を叩いた。少し痛かったが、確か感触は不安を少しだけ和らげる。だが、消えることはない。

「死ななくても、傷つくでしょう?」

 乾いた血を頬にこびりつかせている真朱を見上げた。

 カチの視線を受けた真朱は、肩をすくめた。頬の血を手の甲で刮ぎ落とす。

「だからって、逃げるわけにはいかないんだよ。……利用され、捨てられ、殺されるのはもう、見たくない。そんなことは、させたりはしないってな」

 真朱の手が頭に乗せられ、乱暴な動作で髪をくちゃくちゃにされる。

「行ってやるよ、ブルー」


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