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青の住人  作者: 濱野 十子
六章 青の在処
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 ヒメガミが、連星政府の人間によって占拠された。

 真朱(まそお)のサイレンスに入った通信は、緊迫した気配を伴って急を告げる。

 いささか動揺の治まりきれていない、上擦ったノートの様子に、ただならないものを感じつつ、カチと真朱はシェルターの内部を走っていた。

 唐突すぎて信じがたいことではあるが、冗談で言うにはあまりにも面白くない事態だ。カチは必死になって、先を行く真朱に従いて走った。

 向かうのは、システム・クレイドルの制御装置があった、あの部屋だ。

『ごめんなさい、あまり長く話してはいられないのよ。通信を傍受され、位置を知られるわけにはいかないわ』

「わかった、手短に済まそう」

 途切れ途切れのノートの声がちいさくて聞き辛いのは、電波障害のためだけではなく、周囲の様子を窺うように声量が抑えられているためだ。

 司令室から脱出したノートは、オフショアを伴って船倉に隠れていると告げた。

 回線の状態が悪いのは、衛星を介するのではなく、サイレンスのみで行っているからだろう。

 遠く離れたシェルターからでは、ノートがどういった状況に置かれているか知ることはできない。とはいえ、緊急事態である事実に代わりはない。カチは膨張するばかりの嫌な予感に唇を噛みしめた。

「連星政府は、だんまりか?」

『揉めているのは確かね。アルビレグム派が議会を引っ掻き回し、月面地球人派が論争に油を注いで、肝心の対応が遅れているわ。まともに連絡し合える状況じゃないし、今は現場で判断するしかない状況よ』

「……シェルターに乗りこんできたのは、リドフォールの独断か?」

『どうかしら。議会で息巻いているアルビレグム派も、困惑しているように思えるしね。でも、ヒメガミを占領しているのは、リドフォール議員が連れてきた政府筋の人間よ。何らかの根回しを工作してはいたでしょう』

「リドフォールさんは、なぜヒメガミを占拠したんですか? アンピトリテを保護するなら、必要ないでしょう?」

 先を走る真朱が唐突に足を止め、カチも立ち止まる。

 立ち止まったとたん、麻痺していた疲労感がどっと溢れ返ってくる。カチは、ここぞとばかりに肩を上下させ、引きつった息を吐く肺に、どうにか酸素を送り込んだ。

「目的が、保護ならな」

 カチは振り返る真朱の顔に、怒りとも悲しみともつかない表情が張り付いているのを見て、どきりとした。傷にまみれたガラス細工のような痛々しい感情をも読み取り、息が詰まる。

「保護じゃないのなら、リドフォールさんは……」

 含みのある真朱の言葉に、カチは目を瞬かせた。

 アンピトリテの保護以外に目的があるのだとして、それはいったいなんなのか。考えてみれば、自ずと答は導き出される。

 しかし、カチは「ありえない!」と首を振った。いや、あってほしくはないと現実を否定してしまいたかった。

「リドフォールさんは、不法な人々にアンピトリテを渡してはいけないと言っていましたよ」

 苦虫を噛みつぶしたような真朱の表情は、返答を迷っているように思えた。否定も肯定もせず、無言のままはであるが、視線だけは感情を隠し切れていなかった。

 カチは混乱するばかりだった。

 リドフォールはいったい、何を考えているのだろうか。穏やかな笑みの裏側に隠された意志は、なんなのか。己の過去に対しての懺悔は、嘘だったのだろうか……。

『気をつけて、二人とも。イサナを強奪したパンドラのメンバーの大多数は、シェルターが急浮上したときに、イサナと共に沈んだとはいえ、シェルターの中にはブルーがいるわ。パンドラの目的も、まだ潰えてはいない』

「ああ。そっちこそ、気をつけろ。オフショアを頼む」

『任せておいて。ヒメガミの指揮権を取り戻して、連星政府にもリドフォールを説得するよう、掛け合ってみるわ』

 真朱はサイレンスから手を離し、ノートとの通信をいったん切った。

 黒い髪を掻き上げ、心中のわだかまりを吐き出すように重たい息をつく。そのまま俯いた真朱は、ゆっくりとカチに向きなおった。

「先に脱出するんだ。フリッパーまで、一人で行けるだろう?」

「……え?」

 一瞬、何を言われたのか理解できず、カチは自分でもおかしくなるくらいに素っ頓狂な声を上げた。

「逃げろと言っているんだよ!」

 高ぶった感情に言葉は荒れている。叩きつけられる真朱の怒声に、カチはたじろいだ。でも、動揺はそれだけだった。声を出すために息を吸いこみ、真朱をじっと見据えた。

「嫌です」

 面食らったのは、真朱のほうだった。

 切迫した状況も忘れている呆けた顔は、見ていてなんだかおかしいものがある。カチは胸中で微笑み、強張っていた肩から力を抜いた。

「止められなかったのは、わたしのせいだもの」

「お前のせいなんかじゃない。……言ったろう? お前が気に病むことじゃないよ」

「わたしは、真朱さんと同じです」

「同じ?」

 訝しむ真朱に、カチは首を縦に振る。

「最悪の事態を知っていたのに、止めることができずに、ただ見ていることしかなかった。わたしは、確かに無力でしかありませんでした。でも、それを言い訳にして逃げたくはない」

 痛みを感じてしまうほど、動揺を示す真朱にカチは歩み寄る。

 多くのマーフォークと、幾千ものアンピトリテの死を前にして、無力だった幼い頃の真朱は、暴挙を止めることができなかった自分を責めたのだ。

 行き場のない悲しみを自分に向けることしかできなかったのだろう。ただ独り残った自分が酷く罪深く思え、咎を求めずにはいられない。

 カチも同じ思いを負った。偽物であろうとも、共に生活していた仲間の死体を見なかったことには、できそうにない。

「自分から辛い道を選んだところで、償いにはならない。危険に命をさらして身を削ることで救われようなんざ、ただの自己満足だ。馬鹿のすることだよ」

「……真朱さん」

 自虐的な真朱の言葉に、カチは乾いた血がこびりついた体を抱きしめた。

「わたし、一人でいられません。今は……一人になりたくない」

 感情は涙と共に溢れ、声を震わす。カチはされるがままの真朱に甘え、見た目よりも細い体を更に抱きしめた。

 暖かい体温と、少しばかり早い心音。無機質なシェルターの中で、確かな命の鼓動にカチは必死ですがりついた。

「子供かよ、お前は」

 やれやれと溜息をついた真朱に、カチは頭を撫でられる。気遣ってくれる思いが心地よくて、カチは自分が泣いていることに気づく。

「最善は尽くす。それでも俺は、お前を守りきれるかどうかは、わからないぜ」

「それでも、一緒にいさせてください」

 危険なことは承知の上だ。

 むしろ足手まといでしかない現実に、つい気後れしてしまう。だが、一緒にいたいと言った以上は、状況に流されるままではだめだ。今度こそは。

 過去の炎の中で見た、マーフォークたちの絶望と、感情のないアンピトリテの視線。それに加えて、海原に浮かぶ沢山の仲間の死体の情景を心に焼き付け、カチは真朱から離れた。

 何一つできないまま、後悔はしたくない。

 絶望や悔しさよりも、底の知れない無力感のほうが、今は何倍にも恐ろしく思えた。

「行きましょう、真朱さん」

「ああ」

 どちらともなく走り出す。

 無我夢中で駆け抜けてきた通路を辿り、逸る心を抑えながら駆けるカチは、潮の匂いに混じる、苦みを感じさせる生臭い匂いを感じて、鳥肌を立てた。

 ――血だ。

 それも、夥しい量の血が流れている。

 異変を感じ取った真朱が、足を速めた。カチは必死になって遠ざかる背中を追い、先ほどの部屋へと飛び込んだ。

「須加さん? どうして、誰が?」

 俯せに倒れ、頭から血を流している須加に、たじろいだ。置物のようにぴくりとも動かない体からは、死臭を感じた。

 後頭部に穿たれている穴は、銃によるものだろう。

「くそっ、どうなっていやがる」

 誰が須加を殺したのか。室内には誰もいない。推測するには、あまりにも情報がなさ過ぎた。


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