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青の住人  作者: 濱野 十子
五章 深い海の底
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 ひんやりと、湿った空気が艇内に入り込んでくる。カチは舞い上がる長い銀髪を両手で押さえつけた。振りそそぐ照明の白が、闇に慣れた視界には眩しかった。

「行くぞ。遊んでいる場合じゃないからな」

 カチは、差しのばされた手を取った。揺れる機体によろめきながらも、タラップの上に二本の足を乗せる。

 湿った、海水の混じる苦い空気が淀んでいるこの空気は、はっきり言ってあまり気持ちの良いものではない。

「ブルーも、ここにいるんですよね?」

「イサナは既にドッキングしていたからな」

 金属製のタラップは、足音を軽快なものに変える。体の緊張を僅かに弛め、真朱に手を引かれるまま、タイル調の床にカチは降り立った。

 堅く、しっかりとした床に足を着けているためか、揺れは少なく感じる。支えられていなくても、歩くことはできそうだ。カチは自分から真朱の手を離した。

「そのブルーも、シェルターの中じゃあ、まともに動けないだろうさ……」

 手を離したとたん、真朱の体が傾いだ。どこか具合が悪いのだろうか。心配して掛けようとしたが、手で制される。

「マーフォークに耐性があるからとはいえ、アカシャが蠢く深海だ。サイレンス越しでも、さすがにキツイな。薬漬けじゃなけりゃ、まともでもいられない。アルビレグムなら、なおさらだ。地球人だって、平気じゃいられない」

 フリッパーに乗りこむ前に点滴を打っていた腕をさすり、真朱は上の階へと続く階段に向かって、ふらつく体を無視して歩いて行く。

「早く、ブルーを見つけましょう」

「ああ。アンピトリテを覚醒させちゃならない。絶対にだ」

 満足な時間が与えられていないのは、真朱の後ろ姿が物語っていた。

 この条件は、そのまま旧地球人解放同盟パンドラにも当てはまる。急がなければ、アンピトリテを救うことは不可能になる。

 カチは真朱の後ろに続いて、角度がきつい、パイプを繋げただけの粗末な階段を駆け上った。

 シェルターの内部へと踏み込む。

「明りが点いたまま?」

 煌々と瞬く照明。冷んやりとしているが、不快ではない乾いた常温の空気。

 管理された空間に、カチの声が響いた。

「先を越されたか?」

 真朱は舌打ちをして情報をダウンロードした携帯端末を取り出し、ディスプレイに見取り図を表示させた。

「心配しても意味がない、か。とにかく、行くしかない」

「どこへ行けば?」

「アンピトリテを覚醒させるためには、システム管理室で緊急プログラムを発動させる必要がある。生命維持のためのシステムを強制終了させて、シェルターを浮上させるんだ。アンピトリテを一気に海から引き上げるには、もっとも効率のいい方法だろう」

 ひたすら長い廊下を突き進む。

 視界が一気に開けると、足元から風が吹き上げてきた。

「こりゃあ、また。……引き返すなら今だぜ、カチ」

 心配しているのか、からかっているのか。

 いまいち定かではない真朱に、カチはただ黙って首を横に振ることしかできなかった。言葉を紡ごうとすれば、歯の根が鳴ってしまいそうだったのだ。 

恐怖心を押して、吹き抜け――むしろ谷と言っても良いほどの空間に浮かぶようにして、対岸を繋いでいる金属製の橋を見つめた。

 飾り気のない橋は、メッシュのように細い金属で編まれていて、見るからに頼りない。足を掛ければ、そのまま谷底に落ちてしまいそうだ。

「行きましょう、真朱さん」

「ああ」

 真朱は唇の端に軽く笑みを浮かべ、先に橋を渡ってゆく。

 カチはぎゅっと拳を握りしめ、一歩そーっと踏み出す。底が見えないほどの深さに血の気が引く。

 でも、怯えてばかりでは、真朱に置いて行かれてしまうだろう。引きずるようにして次の一歩を踏み出し、橋を渡り始める。

 吹き上げてくる風に長い髪は煽られ、気を抜けばすぐにバランスを崩して転落してしまうかもしれない。細い手すりをしっかりと握り、カチは必死になって足を動かした。

 ようやっと真朱の背中に追いついて、安堵の息をつく。

 だが、道のりはまだ遠い。巨大なシェルターは、見た目通りに内部もまた広大だった。

 橋の先にある、奥へと続く扉は、いまだ豆粒のように小さい。

「少しの間だ。橋を渡りきれば、システム管理室はすぐだ。そこに、システム・クレイドルもある。お前の仲間が、そこにいるってわけだ」

「わたしの、仲間……わたし、頑張ります」

 カチは手すりから手を離し、歩く。恐怖心はまだ残っている。でも、体の震えは既に止まっていた。

 あやふやな自分の存在を覆い隠すほどの使命感が、カチを突き進ませてゆく。

(行かなくちゃ、早く!)

 二人は何事もなく風すさぶ橋を渡りきり、閉ざされた扉の前に立った。

「この先に、システム管理室があるようだな」

「どうやって開けるんでしょうか?」

 扉の周りには、なにもない。鍵穴も見当たらなければ、読み取り用のパネルすらも存在しない。ただ、「非常口」と書かれてある表札が打ち込まれているだけだった。

「触れればいいんだよ。ここは、お前の巣なのだろう、カチ」

 背筋に走る悪寒に、カチは呆然としたまま、響いてきた声の主を振り返った。

「後ろに?」

「ブルーか」

 苦々しい真朱の声に、ブルーは両の瞳に殺意を宿したまま、唇を弧の形に歪めている。

 カチと真朱が今さっき渡ってきた橋のほぼ真ん中に、サイレンスを着け、黒いボディースーツを身に纏ったブルーが、抜き身のナイフを両手に持って立っていた。

「そんな、気づかなかったなんて」

「ここは、アカシャに満たされた深海。アンピトリテであっても、無害というわけにはいかないようなだな」

 鋭い視線を向けられ、カチは後ずさった。

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