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青の住人  作者: 濱野 十子
五章 深い海の底
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 喉に刺さるような潮の匂いに、カチは軽く咽せる。

 辿り着いたのは、とても潜水艦の中とは思えないほどに広い空間だった。ツンと来る潮の匂いは、三分の一ほどの面積を占めているプールのせいだ。幾つもの小型潜航艇が浮かんでいるのも見える。

 発進の準備で忙しいのだろうか、辺りを忙しなく動き回る環境保護機関の制服を着た人々は、カチが現れたことに気づいていないようだった。

「真朱さんは、どこに?」

 見つかって騒がれるのは困る。カチは物陰に身を潜め、真朱の気配を探った。まだ、ヒメガミの中にいればいいのだが。

(――見つけた。こっちに歩いてくる?)

 カチは物陰から身を乗り出し、感じ取った気配を視線で辿った。

 一つ、二つと、順々に発進してゆく小型潜航艇フリッパーの水音が響く中、緊張した面持ちで自分の潜航艇に向かう操縦士の中に、真朱とリドフォールの姿があった。

 リドフォールが引いて歩く点滴台のチューブは真朱の左腕に伸び、濁った薬液を体内へ流し込んでいる。

 きびきびと動く他の操縦士とは違って、ひどくゆっくりとした動作の真朱に、カチは「らしくない」と思った。よくよく見れば、顔色も悪い。

「真朱さん!」

 どこか具合が悪いのか。そう思い、いてもたっていてもいられず、カチは物陰から飛び出した。

「お前、どこから!」

「おやおや、追いかけてきたのかい?」

思いのほかよく響いた声は、発進準備に忙しく動き回っていた環境保護機関たちの視線を集めてしまった。カチは刺さるような好奇の視線に舌をもつれさせる。

「あ、あの。わたしっ」

「落ち着け。たのむから」

「は、はいっ!」

 青ざめた顔の真朱に懇願され、カチはとりあえず口を閉じた。集まる視線はそのま重圧になって体を締め上げ、喋ろうとすると無意識に大声になってしまうようだ。

「騒がせてすまないね。作業に戻ってくれたまえ」

 リドフォールの一声で、ドックの空気は再び慌ただしいものに戻った。視線が外れることで重圧もなくなり、カチはほっと息をついて点滴の針を抜いている真朱を見た。

「なんでここに来た? オフショアか?」

 投げつけられる声は弱々しいものの、竦み上がるような険が混じっている。拒絶さえ感じさせる雰囲気に、カチはたじろぐも、すぐに踏みとどまった。

「わたしが頼んだんです」

「なぜかな?」

 真朱から押しつけられた点滴針を台に引っかけながら、リドフォールは小首を傾げる。見下ろしてくる金色の瞳は緩んでいて、この事態をどことなく楽しんでいるようにも見えた。

「一緒に行きたいんです。いいえ、行かなきゃだめなんです」

「足手まといだ。わかっているだろう」

 突きつけられる言葉に、カチは唇を噛む。確かにそうだ。言われなくたって、それくらいは分かっている。

 ――わかっていて、言っているのだ。

 言葉で伝えようとも、すぐに撥ね除けられるだろう。カチは無言のまま、真朱をじっと見つめた。

「どうして、お前が行かなきゃならない?」

 カチの必死の意を汲んでいるのか、不満げな様子だが、口調は諭すような穏やかさがあった。

「……そんな気がするんです」

「お前! そんな、あやふやな理由で――」

「わかってます、けど」

「アンピトリテは、直感的に行動することが、しばしばあるからね。理由が後からついてきたって、不思議じゃないさ」

言い合いになりかけたカチと真朱の間に割って入ったリドフォールは、プールからの湿気でしぼんでしまったファーをいじりながら続けた。すっと細められた金色の瞳は、怒りを露わにしている真朱へと向けられている。

「それにだ、真朱。カチくんの協力は心強いものだと思うけどね」

「どういう意味ですか?」

「真朱はね、イサナ奪取とは別にシェルターに行ってもらうことになったんだ。思念の海でまともに動けるのは、マーフォークである真朱だけだ。いくらサイレンスがあっても、この深度じゃ、望むほどの効果は得られないからね」

「ブルーは、シェルターに入った。そういうことなんですか?」

 上目遣いでリドフォールを見上げ、幻視で見たイサナの巨大な姿を思い出す。

「アンピトリテの解放。彼等パンドラの目的は、それだろう? まさか、精神汚染の危険がある海へ、観光をしに来たわけじゃない」

「軽く言ってくれるじゃねぇか。元々は連星政府の怠慢のせいだろうが」

 肩をすくめるリドフォールに、真朱は嘆息した。

「イサナが奪われたって、それだけじゃシェルターに入ることはできなかったんだ。なのに、なんでこいつの脱出ポッドまで乗せてあったんだよ」

「色々と、わけがある」

 ばつが悪そうに、リドフォールは赤く長い髪で手遊びしている。分が悪いときの癖なのだろう。

「……歩きながら、説明しようか」 

 不機嫌な真朱の視線を避けるように、リドフォールは歩き始めた。

「待て、俺は反対だからな! こいつを連れて行けるわけがない!」

「それは、カチくんが無力だからかな? 真朱」

 カチはどきりとして、真朱を見た。“無力”という言葉を受けて、胸に痛みが走る。

「なにも、俺はそこまで言ってない」

「僕は、そうは思わないね。カチくんは充分に力があると思っているよ」

 リドフォールは強張るカチの肩を、軽く叩いた。

「カチくんはブルーに対抗することができると僕は考えている。感情を読み取る力、位置を正確に感じ取る力。それに加えて、サイコキネシス。自覚はもう、できているんだろう? なら、すぐに使いこなせるよ。君の力だからね」

 微笑むリドフォールに、カチは胸の痛みが薄らぐのを感じる。自信とまではいかないが、なにもできないと捨て置かれるのは嫌だった。

 自分でもなにか、可能なことがある。そう、思いたい。

「だが!」

「どのみち、シェルターに入るには、カチくんが必要だ」

「遺伝子データだけで充分だろう!」

 真朱の怒声がドックに響く。リドフォールは聞き分けの悪い子供だと肩をすくめ、状況を掴めないカチに苦笑をこぼした。

「シェルターのセキュリティを解除するためには、住人の登録データが必要なんだ。実は、イサナ初任務として、シェルターの調査が計画されていてね」

「わたしの、シェルターですか?」

「そう。そのために君が乗っていた脱出ポッドが、イサナに積み込まれていたんだ。脱出ポッドには、君のデータが全て記憶されていたからね。パンドラはそれごと盗んでいったんだよ。困ったものだ」

 周囲に泊められているものよりも、一回りほど大きいフリッパーの前で、リドフォールは立ち止まった。

 天井からぶら下がっている、照明の色に照らし出される黒塗りの外観はシャープで、飾り気は一切無い。小型潜水艇フリッパーは、実に機能的な流線型の機体だった。

 キャノピーは開いていて、二段になっている復座式の内部が良く窺えた。

 全面にせり出しているのが操縦席なのだろう。様々な計器とレバーがついている。やや後ろにずり下がった二階部分が、補助席だろうか。

「真朱さん、わたしを連れて行ってください」

「遊びに行くんじゃない。危険だってのは、わかっているだろう?」

 外海と繋がっている、黒みを帯びた海水が満ちるプールを見つめ、カチは意識をとぎすませた。

 波の音に似たざわめきと一体になり、海に自我を融け込ませる。

 ――惹かれている。

 郷愁を想う切なさが、胸に込み上げてきた。

(呼んでる。わたしが来るのを待っている)

 ブルーか、それともシェルターに眠っているという人々か。それとも別のなにか、か。

 意志の元を特定することは不可能だが、いよいよ、カチは行かなければならないと思った。これはすでに、使命感に近い。

「お願いです、真朱さん」

「僕からも頼むよ、真朱。……任務だと思って、ね」

 真朱の顔が強張る。噛みしめられる口からは、歯の軋む音が聞こえてきそうだ。

 カチは真朱から感じる激高した気配に拳を握った。

 迷惑を掛けているのは重々わかっている。しかし、それでも考えは変えられなかった。しっかりとした意志を込めて、真朱を見つめた。


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