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青の住人  作者: 濱野 十子
五章 深い海の底
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 はぐらかすことはできないだろう。わかっているから、喉が渇くのだ。緊張で腕が痺れている。

「分からないの。ただ、じっとしているのは嫌だと思ったの」

「オフショアは三人だった。けれど、カチは一人だ……」

 椅子に座ったまま、もう一度、差し伸べられるオフショアの手。カチは惹き寄せられるように、手を重ねた。

「オフショアの能力は、過去を見る力。カチの昔を、オフショアは知っている」

 重ねた冷たい手の平に体温が奪われる。それと同時、脳裏に映像が閃き、カチは反射的に瞼を閉じた。

 なにも映らなくなった視界の中で、底冷えのする恐怖が体の底から這い上がって来るのを感じた。

 次いで浮かび上がってくる映像は、まだ、大陸が存在していたころの地球だった。落下してくる隕石と、粉雪のように舞い落ちながら燃える宇宙ステーションの破片のせいで、空が赤黒く染まっていた。

 カチは一人っきりで、恐ろしい空の色を見上げて震えるばかりだった。

(……そう。待っていたんだ)

 シェルターの窓に張り付いて、カチは家族を待っていた。途中ではぐれてしまった妹を捜しに、両親はカチを一人だけ残して混乱の渦巻く街へと戻っていったのだ。

(そのまま結局、戻ってこなかった)

 必ず戻るという約束が、虚しく胸の中で疼いている。裏切られたという思いが、心を支配していた。

 嘘になってしまった約束は、カチに叶うことのない希望を残してしまったのだ。待っていれば、必ず帰ってくる、と。身の毛のよだつこの恐怖から救い出してくれるのだ、と……。

 災厄から逃れるために、乗り遅れた人々を地上に残したまま、深い海の底にシェルターが沈んでも、カチは信じ続けていた。

 言葉で言い表せられるような感情ではない。目頭に熱を感じ、強く唇を噛んだ。

「置いて行かれるのが……怖い……だから、ここに来た」

 現実に引き戻すのは、オフショアの大人びた声だった。

「それでもいい。カチはカチのために、まず存在しなければならない」

どういう意味なのかと視線を向け、カチは息を呑んだ。銀色の髪に純白の肌。色味のないオフショアの姿態に、艶やかな紋様が浮かび上がったのだ。

「これは、回路。オフショア同士を繋ぐもの」

 巨大な機械が低い唸り声を上げた。微弱な振動に、カチは驚いて飛び上がった。

 だが、オフショアの手を握っているのを思い出して踏みとどまり、黒塗りの、継ぎ目のない金属の塊を見上げた。

 微動を受けて、つるりとした表面にへばりついていた霜がパラパラと剥がれ落ちた。床に落ちる寸前で、溶けて消える。

 雪が降っているようで、綺麗だった。

「オフショア、あなたは、こんなことをさせられて平気なの?」

 運命連結装置の一部となったオフショアの姿に、カチは強い不快感を覚えた。

「ここにいるために、必要な処置だから」

「機械に繋がれるのが? そんなの、おかしい!」

 カチは開いている左手で胸を押さえた。これ以上、口調が荒くなってしまわないようにと、軽く息をつく。

 興奮しているのを自覚していた。理不尽だと怒りを感じるのは、オフショアとアンピトリテを重ねているからなのだろう。

 悪夢のような光景を掻き消そうとして、カチは頭を振った。

「オフショアは、ここが好き。地球には、ノートや真朱がいる。オフショアの居場所は、ここ。妹たちもそれぞれに選んだ。レジデントは遙か遠い宇宙へ、トランジエントはリドフォールとともに月へと行った。愛するものの側に居るために、運命を受け入れた」

「でも」

「悲しいことばかり、辛いことばかり……痛いことばかり。世界はそう。だけど、オフショアは選んだ。だから、可哀想ではない。カチ、オフショアに同情は要らない。分かっていて、ここにいるのだから」

 オフショアの視線に耐えきれず、カチは俯いた。

 体温のない、小さな手を通して、機械の無機質な振動が伝わってくる。

「真朱にも、ブルーにも同情はいらない。カチはカチのすべきこと、したいことをしなければならない」

「わたしが、したいこと?」

「――誰のためでもなく。カチ、もう一つの手を」

 差し出される右手に、自分の左手を重ねる。

「死せるものに運命は変えられない。カチ、道を造り出すのは……あなた」

 のっぺりとした運命連結装置の表面に、幾多の筋が浮かび上がり、音を立てて隆起した。

 驚いたカチは、声を上げようとして、不意に襲いかかってきた眩暈に目をつぶった。

 歯車の噛み合うような重たい音と、ヒメガミのスクリュー音に似た振動に体を揺さぶられる。

『オフショアが連れて行けるのは、すぐ近くまで。彼等の元に行けるのは、カチだけ』

 頭の中に直接響くオフショアの声は、突然のことに面食らう脳をぐちゃぐちゃに揺さぶった。

 猛烈な吐き気が込み上げてきて、カチは口を押さえようとして……体が動かないことに戸惑った。何が起こっているのかと、恐る恐る瞼を持ち上げる。

(――海!)

 深い海の中に、カチは浮いていた。いや、逆に、沈んでいたと形容したほうがいいのかもしれない。

『大丈夫……怖くはない。カチはオフショアの見たものを見ているだけ。そして、オフショアの見えないものを感じ取ってほしい』

 遙か頭上で微かに揺らぐ太陽光を見上げた。視界の中で、様々な魚が泳いでいる。

 オフショアの見たもの……つまり、これは幻影なのか。夢心地に近い感覚で、カチは深い海の胎内をぐるりと見回した。帰ってきた。と、言っていいものか。

 共に泳いでいたシロイルカは近くにいないようだ。銀色の腹をちらつかせて、魚の群れが蠢き、海藻が惨めたらしく揺れているばかりだ。

(どうすればいいの?)

『方法は、カチが良く知っている』

 言葉と同時に、脳裏に白い光がちらついた。オフショアが見せているものなのだろうか。

 意識を集中させるほど、ぼんやりとした白い光は焦点を結び、カチに対して姿を現した。……シロイルカだった。

(そうだ、わたしは海の全てを知っている)

 再び瞼を閉じて、カチは体から力を抜いた。海に溶けてゆくようなイメージに意識の全てを預ける。

 研ぎ澄まされた感覚は、視界よりもなお鋭く、深い闇に包まれた海中をあぶり出してゆく。

懐かしい感触だった。

『そう、その力でブルーを辿って。イサナを見つけて』

故意に意識を広げた。自分が海と一体となってゆく。

 感じるのは波、海のうねり。

 どこからか聞こえてくる海獣の声は、けたたましい。

 様々な音に満たされている海には雑音が多い。その中を、カチは滑らかにすり抜け、海水を掻き混ぜる異様な機械音を追った。

(――見つけた)

 海の深みを目指して潜行している巨大な艦体の質量と、突き刺さるような鋭い感情。イサナと、それに乗っているブルーだ。

肌を包む海水は、震えるほどに冷たい。

 切り立った岩が連なる海底、さらに深く切り込む断崖が見えた……

「ここは!」

 驚きに、意識が海から離れる。

 周囲は水ではなく、空気が満ちた。目の前に在るのは潜水艦ではなく、運命連結装置の巨大な姿になった。手を繋いでいるオフフショアは、相変わらずの虚ろな瞳でカチをじっと見ている。


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