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青の住人  作者: 濱野 十子
四章 願う声は、届くことなく
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 窓から射し込む光に瞼を持ち上げる。

 どこか懐かしく感じる揺れは、寄せて返すだけの穏やかな波がもたらすものだろうか。

 疲れがあまり抜けていないのか、重たく感じる体に息をついて、カチは狭い部屋の半分を占めているベッドから起き上がった。

 丸窓から射し込む光は朝日だ。眩しさに目を細め、ブーツを履いて立ち上がったカチを見計らったように、ドアがノックされた。

「起きているかしら?」

 鉄製の扉の向こうから聞こえてきたのは、ノートの声だった。相変わらずよく通る声だったが、今は、どこか力ないように感じる。

 事態の深刻さを何となく感じ取ったカチは、寝起きの思考を引き締めるために軽く頬を叩いてから、ドアを開けた。

「おはよう、カチ。気分はどうかしら」

 ぎこちない笑みを浮かべるノートの表情は、あまり浮かないものだった。寝ていないのか、目元には隈が、うっすらと見える。

「おはようございます、ノートさん」

 カチはノートに微笑み返して簡単な挨拶をすませると、環境保護機関の施設内を遍く照らす人工灯の中に真朱の姿を探した。

 混乱に浮ついた武装兵を尻目に、バイクを飛ばして環境保護機関まで戻ってすぐに、カチは真朱とは別の部屋――つまりは、この小さな客室に通され、一人で朝を迎えたのだった。

 詳しい事情はまだ聞かされてはいないが、真朱とノートの様子を見れば、良からぬ事態が起こっていることだけは分かる。

 深手を負ったまま、恐らくは仕事に戻っていったのだろう真朱が、カチは心配だった。

「あの、真朱さんは?」

「朝食を摂りながら、親子の溝を深めまくっているわよ。本当に、嫌いなのね。呆れてしまうわ」

「リドフォールさんが来ているんですか?」

 驚くカチに、ノートは部屋から出てくるように手を振って促してきた。

 拒む理由もないので、カチは先導するノートの背中を追いかけた。

「多重式思念遮蔽システム搭載型新造潜水艦イサナが盗まれた。カチ、あなたは聞いていたかしら?」

盗み聞きを咎められるような気分になって、カチは「はい」と俯いた。ノートはそんなカチを軽く笑った。

「気にしないで。その奪還作戦に、環境保護機関も一枚、噛むことになったの」

 どこに向かっているか分からないまま、カチはノートの後ろに従いて、ひたすら歩いた。

 背の高いノートは歩幅も広い。うかうかしていたら、置いて行かれてしまいそうだ。

 すれ違う人々と挨拶を交わす暇もなければ、まともに視線を交わす間もなく歩き、辿り着いたのは、青い地球の映像を見せられた、あの部屋だった。

「入ります」

 畏まった口調でノートはドアに向かって断り、ドアを開けるボタンを操作した。

 酸味を感じる匂いは、テーブルに置かれている果物のものか。スライドしたドアから流れてきた幾つもの匂いに、カチは空腹感を覚えて胃が動くのを感じた。

「おはよう、カチくん。とにかく無事でなによりだった」

 部屋の中央に置かれているテーブルセットから立ち上がり、早朝にふさわしい爽やかな笑みを浮かべてカチを出迎えたのは、リドフォールだった。

 その背後。部屋の隅の壁に、真朱は背を預けて立っていた。

真新しい制服を着た真朱は困惑気味な表情をカチに向けるや「……カチ? どうしてここに?」と首を傾げた。

 が、すぐに苛立った視線を、余裕を感じさせる穏やかな雰囲気を崩すことのないリドフォールに向けた。

「僕がノートに頼んで呼んでもらったんだよ、真朱」

「こいつには関係ないだろう」

 リドフォールを睨む目に殺気が混じった。

 猫が毛を逆立てるように敵意を剥き出しの真朱に、カチは慌ててノートを見やる。

 しかし、見慣れた光景なのか、いつものことなのか。ノートは肩をすくめるばかりで、仲裁に入る気はないようだ。

「協力してもらいたくてね。安心してほしい。危険なことに巻き込むつもりは、僕にもないからね」

「どうだかな」

肩をすくめ、リドフォールはカチへと首をめぐらせた。金色の瞳と視線がかち合ったとたん、カチの脳裏に幾つもの情景がなだれ込んできた。

 虚ろな顔をした多くのアンピトリテ、物言わぬ彼等を閉じこめる無機質なカプセル。ずらりと並ぶ薬液に満たされた試験管と、子供たち。

不安げに身を寄せ合っているマーフォークを、白衣を着た大人たちが取り囲み、選別する。その中には燃えるような赤い髪を持つリドフォールもいた。

「――リドフォール!」

 真朱の怒声にカチは瞼を瞬いた。

 いつの間に歩み寄って来ていたのか。カチが真朱の気配に感ずいたと同時、リドフォールから奪い取るようにして手を取られたのだった。

「おやおや、仲のいいことで。しかしまあ、ようやっと色事に興味示してくれたのは、父親としてはなんだが嬉しいね。こそばゆい気もするけれど」

 背後から抱きすくめるようにカチの手を取った真朱を、リドフォールは肩をすくめた。

 からかわれていると感じたカチは、頬が急激に熱くなるのを感じた。手を握られるのは初めてではないのに、鼓動が苦しくなるのはなぜだろうか。すぐそばにある、強い意志を秘めた真朱の瞳の強さに、中てられてしまいそうだった。

「ふざけている場合かよ」

上昇する体温を悟られないようにと、カチは真朱の手を振り払った。

「――あ、あの。今のは?」

 狼狽するカチの胸中を、知ってか知らずか、リドフォールは軽く口角を持ち上げて頷いた。

「感じ取ってくれたんだね」

 カチは今さっき故意に見せられた映像を思い起こしてみた。

 打ち捨てられた施設に眠る亡霊たちに感じたのと同じ、迫り来る恐怖に対する無力感に苛まれる。気をしっかり保たなければ、泣き叫びそうになるほどの、混沌とした感情だった。

「大量のアンピトリテが目覚めれば、また、間違いが起こる。必ずね」

 足を組み、その上に組んだ手を置いて、リドフォールは瞼を伏せた。長い睫毛から僅かに見える金色の瞳には、淀んだ感情が見え隠れしているようにカチは思った。

(……わたし、分かるの?)

 自分の能力を自覚してからか。カチは向けられる想いを、感覚として受け取ることができるようになっているのを感じていた。

 相手が何を考えているのかまで、正確に把握することはできない。しかし、何を感じているのかを探ることはできた。

「悔いているのですか?」

「僕も科学者だったからね。疑問も、戸惑いもあった。だけど……なにより、アンピトリテへの興味ばかりが先立ってね。思念遮蔽装置の基礎もマーフォークをこの世に生み出したのも、歪んだ興味が生み出した。僕達は――いいや、僕は世界に様々な戸惑いを生み出してしまった。だからこそ、繰り返すことがあってはならない。不法な彼等にアンピトリテを渡してはいけないんだ」

 背後で真朱は嘆息し、不機嫌だと知れる荒々しい足取りで元の位置へと戻っていった。

 リドフォールへ向けられている、刺すような真朱の視線。カチはそわそわしながら、隣に座るノートを盗み見た。

 自分は、いったいどうすればいいのだろうか?

「私たちは、あなたの協力を必要としている。けれど、承諾するかどうかは、あなた自身が決めていいのよ。その権利は、既に与えられているわ」

 ノートは、カチの首に下がっているペンダントを視線で促した。この小さなペンダントに仕込まれたカードが、この世界においてカチの自由意志を保証しているのだ。

 しかし、保証されてはいても、結局のところ、判断するのは自分自身だ。カチは迷いながら、リドフォールに向き直った。

「わたしは何をすればいいんですか?」

 協力をするもしないも、まずは何をするか把握することが先だ。カチはそう判断した。

「パンドラがどこへ向かったのか、探り出してもらいたいんだ」

「わたしに、そんなことが?」

「できるよ」

 不安げなカチに、リドフォールは断言した。

 揺るがない自信の根拠がどこにあるのか分からない。カチは過度の期待を掛けられているようで、萎縮してしまうのを感じた。胸中は複雑だった。

「君の潜在能力は確かだ。訓練次第で、自由に操ることもできるだろう。だが、今すぐに、というわけにはいかないことは、分かってる。だからね」

 足を組み直し、リドフォールは続ける。

「カチくんには、オルカ・オフショアのサポートをしてほしいんだ」

「オフショアのだって?」

「そうだよ。言っただろう? 危険な真似をさせるつもりは一切ないってね」

 真朱の視線にリドフォールは肩をすくめてやり過ごし、立ち上がった。 

「運命連結システムでイサナのおおよその進路をトレースしてはいるが、オフショアの能力では、どうしてもタイムラグが出てしまう。こちらにイサナ級の高精神汚染深層域に潜行できる潜水艦がない以上、小型艇で追跡しなければならないからね。精度の高い情報が必要不可欠なんだ」

「イサナの位置を知るために、あなたの絶対反響定位能力がほしいの」

 迷うカチの手に、ノートの手が重ねられる。真摯な、せっぱ詰まった感情が心に触れた。

「アンピトリテを救うために?」

「そうだよ。やってはくれないかな」

 後押しするリドフォールに、カチは小さく頷いた。

 真朱を振り返れば、勝手にしろと言いたげに視線を反らされてしまった。ちくりと胸が痛むのは罪悪感からか。

 しかし、この状況で、なにもしないでいられるほどには、カチも臆病ではなかった。自分にできることがあるのだとしたら、やってみたい。

 悲しい感情や想いを受け止めるばかりでは、どうにも情けなさすぎる。

「ありがとう。では、早速だがオフショアのところへ案内しよう。多分、あの子も君が来るのを待っているだろうからね」

 促され、カチは立ち上がった。

「……あの、真朱さん」

「俺が決めるものじゃない。お前がやりたいなら、なにも言わないさ。反対できる雰囲気でもなさそうだしな」

 とげとげしい真朱の口調に、カチは軽く唇を噛んだ。突き放されてしまったような気分になって、少し寂しくなる。

 見放されてしまったかと思い……すぐにカチは頭を振って否定した。

(ちがう、わたしの意志を尊重してくれているんだ)

 苛立っていることは確かなのだろうが、向けられる視線から感じるのは、抱擁感を強くイメージさせる心強いものだった。

「行きましょう、リドフォールさん」

 守ると誓った真朱の存在を強く感じ、カチは意を拳を握った。自分の意志を示すべく、リドフォールの琥珀色の瞳をしっかりと見つめ返す。

「嬉しいよ。君の協力を僕は心から感謝する。ノート、ヒメガミの出航準備は、どうなっているのかな?」

「乗務員、全て配置についてます。思念遮蔽型高速潜行艇フリッパーも搭載済み。いつでも海に出ることができますわよ」

「ヒメガミ?」

「環境保護機関が所有している潜水艦だ」

 首を傾げるカチに応えたのは真朱だった。相変わらずの不機嫌な表情のまま、外をじっと見つめている。

キラキラと輝く太陽光に目を細め、カチは真朱の視線の先を追った。

「――綺麗」

 真っ青の海。人工の海岸線から突き出た桟橋に、純白の塊が見えた。

 イサナのように船尾に突起物が着いていない、綺麗な流線型を描く艦体は遠目から見ているというのも相まって、シロイルカを彷彿とさせた。

「思念遮蔽型潜水艦ヒメガミ。イサナほどではないが、今回の作戦を遂行する分には、なんら問題はないよ」

 振り返れば、リドフォールは場違いにも思えなくもない笑みを浮かべていた。

「カチくん、君もあの潜水艦に乗ってもらうよ。……今一度、君は海に戻るんだ」

 どきりと、鼓動が跳ねた。

 カチは思わず胸元を押さえ、窓の向こうに広がる海原を見つめた。

物言わず、波の音すらも聞こえず。ただ寄せて返すだけの海の沈黙は、世界の全てが深い海原の中にあった時を忘れさせるほどに、カチの胸中を掻き乱した。

(怖いの? 海が……?)

 確かな恐れを感じ、カチは震え出す体を抱きしめていた。

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