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青の住人  作者: 濱野 十子
四章 願う声は、届くことなく
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「カチ! しっかりしろ、カチ!」

 強い力が肩を揺さぶるが、そんな感覚も、どこか遠い。いま、カチの思考を支配しているのは、十年前の過去だった。

 劣性型マーフォークたちの主張は認められることもなく、また、存在すらも許されることはなかった。己の命を懸けた劣性型マーフォークに与えられたのは、ほんの少しの違いから価値を保証された同種による粛正だった。

 マーフォークによるマーフォークへの虐殺が、この場所で起こったのだ。

「――酷い! なんて酷いことを!」

 猛烈な怒りが込み上げてくるのを感じ、カチは目尻の熱い刺激に唇を噛んだ。涙が溢れ出るのを、止めることができない。

 この場所に集まった劣性型マーフォークたちは、戦うことの不可能な女性や子供も数多くいた。無抵抗のまま、怯えと絶望の中で多くの命が失われたのだ。

 そうして、無力感に嘆いた劣性型マーフォークたちは、せめてもの報復にと、思念遮蔽装置に繋がれたアンピトリテの生命維持装置を停止させたのだ。

 アカシャの脅威にまともに晒された人々。特に、アルビレグムは、自分たちが作り出した存在にとてつもない恐怖感を覚え、大規模な排除行動に出る。その犠牲者が、ブルーなのだろう。

 巡り巡る悲しみに、なにを恨めばいいのか、誰に対して怒りを感じればいいのか分からなくなる。感情だけがわだかまり、気がおかしくなってしまいそうだった。

「カチ、お前が悲しむことはないんだ」

 強張った体に、暖かい体温が重なった。

「真朱さん」

 すぐ近くに感じるぬくもりと鼓動。それを通して伝わってくる、真朱が抱いている感情。怒りや悲しみよりも強い激情は、失われたアンピトリテたちへ向けられる、後悔と無力感の混じったものだった。

「……これが、世界なんですか?」

 すぐ間近にある漆黒の瞳を見つめ、カチは問いかけた。

 真朱が隠そうとしていた……いや、遠ざけようとしていた世界の膿みを垣間見て、青い海に囲まれた箱庭の景色が一気に色あせてゆくのを感じていた。

 世界は美しくないと呟いた真朱の言葉は、この意味だったのだろうか。

「私は、どうなるんですか?」

 無機質なカプセルが、不気味な光を放っている。カチはいずれ自分もああなるのではないかという不安に駆られ、震えた。

 眠る真朱を取り囲んでいた研究者たちの顔が、今度はそのまま自分に向けられるのだろうか。切り刻まれたシロイルカのあの姿は、未来の自分の運命を示しているのではないか、という恐怖が込み上げてくる。

「お前は、どうにもならないよ。そのために、俺が在るんだ。誰にも利用させたりはしない」

 溢れ出るカチの不安を堰き止めたのは、懺悔に近い真朱の想いだった。

 装置に繋がれる残酷な運命、更には理不尽に殺されたアンピトリテへの贖罪の思いが、そのまま、カチへと向けられている。

 あまりにも重すぎる想いに、カチは視線を逸らした。俯き、嵐が過ぎ去ってぐちゃぐちゃに掻き乱された胸中に、深い息をつく。

 どうすればいいのか、どうしたらいいのか。何をすればいいのかさえ分からないほどに混乱して、すぐには言葉が出てこない。カチの戸惑いを察してか、真朱もまた、黙り込んだまま動けずにいるようだった。

 その、妙な沈黙を破ったのは、またしても無機質な呼び出し音だった。

 真朱はカチから離れ、バックパックから小型通信機を取り出した。

「ノートか?」

『カチは? あの子は、どうしたの?』

 スピーカーを振動させて響く声は、ノートのものだった。ずいぶんと久しく感じる声によって蹴散らされた重たい空気に、カチは安堵の息をついた。

「無事に保護したよ。ただ、犯人は逃がした」

『そう。でも、無事なら構わないわ』

「……なにがあった?」

真朱の顔に再び緊張が走る。

 機械ごしのノートの声に、僅かな異変を感じたのはカチも同じだった。むず痒い不安を感じて真朱に視線を向ければ、「わかってる」と頷き返される。

『イサナが強奪されたの』

「なんだって?」

 簡潔すぎる返答に、真朱は間の抜けた声を上げた。

『旧人類解放同盟パンドラが動き出したわ。酷なことだとは自覚しているけど、すぐにカチを連れて環境保護機関に戻ってきて頂戴。詳しくは、戻ってきてから話すわ。とりあえずは、カチの安全を優先して、じゃあね』

 一方的に切られた会話に真朱は嘆息し、通信機を元の場所に押し込んだ。

「聞いたとおりだ。今は、俺を信じて従いてきてほしい」

 真朱は、顔に張り付いた疲れを振り払おうと、頭を振った。ぎこちない微笑を浮かべてカチへと向き直る。

 すっと差し出された右手に、カチは黙って頷き返し、手を重ねた。


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