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青の住人  作者: 濱野 十子
四章 願う声は、届くことなく
19/40

夢から覚めるような感覚と同時に、周囲に飛び散っていた虹色の鱗粉が拡散してゆく。

 空間を満たす鱗粉の濃度が薄れるにつれて炎も勢いを弱め、やがて消滅し、遂には全てが元通りとなる。アンピトリテを押し込んだカプセルも、蓋は固く閉ざされたまま、埃と煤を被っていた。

「絶対反響定位能力と多面感応能力の複合技ってところだな。お前は感情や残留思念を読み取って、可視下の幻を作り出すことができるんだろう」

 真朱は大きく息をついてゆっくりと起き上がった。血糊が目立つ白い生地の制服が、なんとも痛々しい。カチは先に立ち上がって、真朱へと手を伸ばした。

「これが、私の能力?」

「多分な」

 真朱は一瞬ちらっと迷いを見せたものの、素直に伸ばした手を掴む。カチは思い切り力を込めて、ふらつく体を支え起こした。

「あの、真朱さん」

 負傷した腹部を押さえ、苦しげな表情のまま呼吸を整えている真朱を、カチは恐る恐る見上げた。

 ブルーの告発の言葉が、まだ耳に残っていたのだ。十年前にこの場所で起こった事件を信じたくない気持ちは大きいし、何より、真朱は体を張ってカチを守ってくれている。

 だが、その全てを頭から信用できるほどには、カチは真朱のことを知らなかった。

「ブルーの逆恨み……と、言ってしまえれば、俺も楽になるんだろうがな」

 曖昧な言葉と微苦笑は、真意を見せまいとしてのものだろう。だが、カチは唇を強く噛みしめ、そんな真朱を見つめ返した。口で言わなくとも、感じ取っていた。真朱は傷ついている。

「十年前、ブルーが言うように、ここで暴動が起こった。世界的に見れば小さな暴動だったかもしれない。それでも、世の中を動かすには充分な事件だったよ」

「本当に、殺されたんですか?」

 思わず聞き返してしまったカチは、はっとなって口を押さえた。

「すみません、私! あの、早くここを出ましょう? 怪我の治療をしなくちゃ……」

「大丈夫だ。もう、傷は塞がった」

 真朱の腕を取って引っ張るが、びくともしない。服を汚す血が乾き始めている状況から推測して、真朱の言うように傷は既に塞がっているのだろう。顔色は悪いが、息は通常の間隔に戻っていた。

「だめです! 早くここから出ましょう!」

 カチは真朱の腕を放さず、引っ張ることも止めなかった。ここから出なければ、胸中のすえたような感覚は、ひどさを増すだろう。

(これが、真朱さんの悲しみ……なの?)

 吐き出したくとも吐き出せず、肺腑に溜めておくことしかできない、行き場を失った感情。本人に自覚があるのかは定かではないが、決して大丈夫と言って笑えるようなものではない。

「俺は大丈夫だよ。だから、聞け」

 腕を掴んだ手に真朱の手が重なり、そっと引き剥がされる。

(これは?)

 血を大量に失ったために体温の低い皮膚を通して、カチは悲しみとはまた別の感情を読み取っていた。

 痛む胸中に染みるような、深い感情。どういった言葉で形づけて良いのか分からなかった。

 それでも、とりあえずカチは体の緊張を解き、真朱と向かい合った。

「本当は、大丈夫なんかじゃないですよね?」

 観念した。とでも言うように、真朱は肩をすくめてみせた。

「――聞くべきだ」

 カチは胸元の衣服を握りしめ、返答の代わりに真朱の漆黒の瞳を見つめ返した。

「お前が作り出した炎は、十年前に俺を焼いた炎だろう」

「真朱さんを?」

「俺や、暴動を起こした劣性型マーフォークがこの場所で、炎に巻かれて死んだんだ。数多くのアンピトリテを道連れにして……な」

 真朱はふらつく足で、沈黙を守るカプセル群へと歩いていった。カチは体の自由が奪われるほどの強い感情に晒されて、一歩として足を動かすことができなかった。丸まった背中を、ただひたすら、見つめていた。

「俺は、ヒトじゃない」

 ついさっきまで須加が立っていた場所に立ち、真朱は手すりに寄りかかるようにして体重を預け、聳え立つ墓標を見上げた。

「マーフォークであっても、マーフォークではない。俺は――俺たちは生き物として認められていなかった。あえて言うなら、実験材料か」

「そんな」

「俺だって、簡単に死なないこの能力がなかったら、とっくにお払い箱さ。いや、そもそも火に炙られて死んでいただろう。この場所にいて生き残ったのは、俺だけだ」

 真朱は手すりに背を預けて振り返り、唇を僅かに持ち上げて自嘲する。しかし、向けられている眼差しの中に、笑みは存在しなかった。

 乾いた血にまみれた真朱の姿に、カチは幻の中で見たアンピトリテを見下ろしていた人影を重ねていた。

 人影は、真朱の半分しかない子供のものだった。それでもカチは、人影が真朱であると直感していた。

 銀色の長い髪が、風もないのに波立ち、キラキラと光る鱗がじわりと滲み出してくる。

「劣性型マーフォークは、自分たちの存在に価値があることを認めさせたかったんだ。試験管で作られ、培養された命であっても、ヒトであることを訴えたかった。望まれた力を持たなくても、確かに存在していることを知らしめたかった……」

 大気に散った鱗粉は、再び悲しい記憶を再生させた。

 現れたのは猛る炎ではなく、紛争地帯を彷徨う難民のようにみすぼらしい格好をした、男女とわない年若い……幼児の姿も見えるマーフォークの群れだった。

 肩を寄せ合って一塊になり、訪れる結末を甘受するしかない無力な彼等の瞳は、焦燥感に揺らいでいる。カチは黙ってマーフォークと真朱を見ていた。

「だが、認められなかった。優性型マーフォークを道具として運用するためには、不満の捌け口が必要だ。エリート意識を持たせるためには、底辺を惨めたらしく這いずっている同種が存在しなければならないのさ」

 たとえ必要なことであったのだとしても、カチは納得いかなかった。優性と劣性を分かつものが何なのかはまったくわからないが、怯え竦む人々は、自分たちと何一つ変わりはしない。真朱だって、そうだ。

「……だから、暴動を?」

「最初で最後。まさに命を懸けて、人としての権利を主張した」

 質感さえ表現する幻は、どこまでもリアルだった。真朱は深い溜息をついて、過去の情景を眺めている。

 カチは光を放って広がる髪を押さえた。自分がやっているのにもかかわらず、制御が不可能だ。見ていてあまりにも辛すぎる眼前の情景は、当時の状況を知る真朱なら、なおのことだろう。

 幻を消してしまいたくて、カチは頭を振って周囲を漂う銀の鱗粉を振り払った。怯えるマーフォークたちの影が、僅かながら薄くなる。

 しかし、それでも彼等は消えてはくれない。

「思いは分からないでもない、俺も同じ劣性マーフォークだからな。だが、理解することは絶対にできない。権利を主張するために取った方法は間違いだった。アンピトリテを道連れにしたって、世界はなにも変わりはしない。いや、余計に酷くなったよ」

 カチは真朱の背後にある、沈黙を守るカプセル群を見上げた。現在もまだ、この中にはアンピトリテの亡骸が収まっている。

 物言わぬアンピトリテたちの視線を思い起こし、体が震え出す。言葉ではとても表現できない恐怖に世界が裏返り、カチは酷い眩暈を感じて座り込んでしまった。

「カチ!」

 真朱の声が遠くに感じる。近づいてくる足音を聞きながら、カチは体を支えきれずに両手をついて蹲り、嗚咽した。

 多面感応能力が、この場所で起きた全ての出来事をカチに伝えたのだ。

(殺されたんですね) 

 アルビレグムと人間。決起した劣性型マーフォークたちは、世界の支配者と対等に話し合うために、当時の日本国域をカバーしていた思念遮蔽装置を占拠し、アンピトリテを人質としたのだった。


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