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青の住人  作者: 濱野 十子
四章 願う声は、届くことなく
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 これ以上の言葉を聞いてはいけないと、本能が警告する。だが、カチにはブルーの口を止めることなど叶わない。

「ここにいる二千体のアンピトリテと、マーフォークを殺したのは、こいつらだ」

 呻く真朱を更に踏みしめて口を塞ぎ、ブルーは続けた。

「己の主張のために、こいつらはアルビレグムの命綱であるこの施設を占拠し、破壊した。しかも、マーフォークへの不信感を煽り……私たちは辺境の戦地へと放り出されて、敢えなく死んだ」

 辺りを埋め尽くす炎が、一気に勢いを増していく。

カチは呆然としたまま、ブルーと真朱を見つめた。何を思えばいいのか、どう言えばいいのか混乱は増すばかりで、身じろぐことすら、ままならない。脳裏には、多くの死体に囲まれて宇宙を彷徨っていたブルーの姿がちらついていた。

 心臓を抉り出されるような、ブルーの深く激しい怒りと悲しみに同調し、カチは恐怖に震える。

「弁明の言葉はあるか、真朱?」

 俯せに這い蹲っていた真朱は、ブルーに蹴り上げられ、床の上を無防備に転がされる。

 鈍い音と飛び散る血糊に、カチはたまらずに視線を逸らした。耳だけが、苦痛に呻く真朱の声を聞いていた。

「聞く耳はあるのかよ、ブルー」

「無いな」

拒否の言葉はつまり、死の宣告だった。ナイフを鞘に収めたブルーの手には、銃が握られている。

「……くそ」

 ナイフは取り落としたものの、銃はまだ真朱の左手に握られている。しかし、血を流し続ける体ではダブルアクションの銃の引き金を引ききる力は出せない。

 実の所、グリップを握りしめるだけでも精一杯で、撃てもしない銃を握っているのは単なる意地でしかなかった。

 カチは、睨みあう二人を蚊帳の外から見つめ、動き出せないでいる自分の臆病な両足に歯噛みしていた。

 このままでは絶対いけない。そうは思っていても、ささくれだった殺気の中に身を投じることが可能なほどに、場慣れしているわけでもない。

 だから、せめてもと。涙が滲み出てひりひりする目を、ブルーへと向けた。

「こんな男が、なんだという?」

 ブルーは身じろぎすることすらままならない真朱へと照準を定めたまま、動かない。

「そんな言い方って」

 見下ろす視線も、紡がれる言葉も、およそ同じ存在に対して使われるものではない。非難すれば、ブルーは声を上げて笑った。

「惨めたらしく生き続ける存在に、掛ける情などない。死なないだけの中途半端な能力しかないくせに、のうのうと生きていること自体が許せないんだよ」

 激鉄が下りる金属音に、カチは背筋が粟立つのを感じた。

「やめて!」

 腹の底から絞り出した声に勢いづけられ、恐怖に竦んでいた足の金縛りが解ける。

 カチは無我夢中で駆け出した。その一方で、引き金が引かれるのを止めることはできないだろう事実に、どうしようもない無力感を覚えた。

「どこを壊せば、お前は死ぬんだ? 真朱」

「……さてね。試したことはない」

 カチは叫ぼうとした。だが、嗚咽ばかりが口から漏れるだけで、言葉にならなかった。止めたいという思いで対峙する二人へと視線を向けても、涙がばかりが溢れて視界を霞ませる。

 ――だが。

 空間に響いたのはブルーの銃声ではなく、無機質で甲高い機械音だった。

「時間です、ブルー。我らの指導者よ、時は急いている」

 場を占める緊張を解いたのは、須加の枯れた声だった。

 三人分の視線を受けて気でも大きくなったのか、少しばかり息が荒くなっている。須加は医療キャリーにのし掛かるように前傾姿勢になって、今なお銃を真朱に突きつけているブルーへと手を差し出した。

「箱船が我らを待っています。そんな人形と遊んでいる暇などないはず。殉教の旅を始めなければなりません!」

 芝居がかった口調に嘆息して、ブルーは銃を収める。しかし、怒りまで収めることは無理だったようだ。

 動けないでいる真朱の腹に尖ったブーツの爪先をめり込ませ、もんどり打たせてから、背を向けた。

「次に会ったとき、試してやるよ」

「……なんだと?」

 足音を響かせて、ブルーは須加と共に炎へと向かって、迷うことなく突き進んでいった。

 一気に薄まった殺気に、カチは生唾を飲み込んだ。すぐさま、咳き込む真朱に駆け寄り、背中をさすってやる。

「待っているよ、カチ」

 ブルーと須加の姿は、触れるもの全てを熔かしてしまいそうな猛る炎の中へと飲み込まれてしまった。自殺行為にしか見えない光景だった。

 だが、カチには疑問に思う間もなければ、驚いている暇もなかった。気づけば、火の手はあちらこちらから上がり、すっかり取り囲まれてしまっていたのだ。

「どうしよう、どうすれば?」

 早く逃げなければ、と気だけ急く。だが、逃げようにも道はない。それ以前に、ようやく立って歩いている状況のカチには、真朱を抱えて走るだけの力もない。

「真朱さん」

 座り込んだまま狼狽するしかないカチの手に、暖かい感覚が覆い被さってきた。驚いて見れば、それは血に汚れた真朱の右手だった。

「……おちつけ」

 口に溜まった血を唾と一緒に吐き出して、真朱が顔を上げる。意志の強い漆黒の瞳にカチの姿が映り込んだ。

「だめ、喋らないで」

「大丈夫だ。これくらいじゃ、死ねないさ」

 真朱は自嘲気味に笑い、重ねた手を強く握りしめた。滑った血の感触はあまり好ましいものではなかったが、緊張から冷たくなった手に染み込んでくる温もりと力強さは、カチの胸中をいくらか落ち着かせた。

「真朱さん、私に掴まってください。やれるかどうかは分かりませんが、とにかく、逃げないと!」

 徐々に迫ってくる炎の壁を睨み、カチは唇を引き結んで決意を示した。自分一人では逃げないと。だが、その無謀な決意は、苦笑で一蹴されてしまった。

「逃げる必要はない、この炎は幻だ。お前が作り出した過去の幻影でしかない」

 どういうことかと眉を顰めれば、今度は「やれやれ」と嘆息混じりに肩をすくめられてしまった。

 あんまりな態度に理不尽なものを感じ、カチは真朱の手を乱暴に振り払ってやった。力の入り切れてない腕は勢いよく弧を描き、真朱は短い悲鳴を上げた。

「……このっ! 治るとはいっても怪我は怪我なんだぞ、馬鹿!」

 額に脂汗を滲ませ、真朱は続けた。

「これだけの勢いにもかかわらず、熱くないだろう? もし、これが現実の炎なら、お前はとっくに熱で焼かれているさ」

「確かに……」

 橙色の鮮やかな炎は網膜を刺激するだけで、そこにあるべきはずの熱が全くなかった。この事実に初めて気づき、カチは小さな声を上げた。


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