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青の住人  作者: 濱野 十子
四章 願う声は、届くことなく
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2

残酷な世界の真実を前に、カチは――

 豊かな銀色の長い髪の合間、表情のない頬から同じような細いコードが伸び、それらは囚人を繋ぎ止める鎖のごとく、アンピトリテ達をカプセルに繋ぎ止めていた。

「彼女らは、盾でした。唯一、アカシャに惑わされない希有な存在である、アンピトリテ。彼女たちの持つ特殊な脳波が、精神の侵略者を遠ざけていたのです」

 カプセルの中に座ったまま、上半身だけを持ち上げ、数えきらないほどのアンピトリテたちが、カチをじっと見つめている。

「文明が滅び、アルビレグムと接触し、再び地球に降り立ってから、幾年。私どもの生は、アカシャとの戦いに捧げられてきた。この施設は、その時の産物です。女神よ、貴方の同胞は生け贄として悪魔に捧げられたのです!」

 アンピトリテたちの生気の感じられない冷たい瞳は、瞬きもしない。作り物のような、濁った池の底を思わせる眼球にじっと見つめられ、カチは身の毛がよだつのを感じた。

(……怖い?)

 カチは胸が締め付けられるような圧迫感に戸惑っていた。

(……やめて? ……助けて? これは何――これは、誰?)

 思考を埋め尽くしてゆく感情に、酷い頭痛を覚えた。

 頭を両手で抱え、カチはコードに繋がれた亡霊たちを見つめ返す。不安と恐怖の渦巻く叫びは、自分のものじゃない。これは、物言わぬアンピトリテたちの声だ。

カチは半ば恐慌状態に陥った。寒くもないのに震えが止まらず、射るような視線に耐えきれずに目を瞑った。

(これは……なんだろう)

帳が下りるはずの視野に、光が浮かび上がってくる。狭い部屋に沢山のものが押し込められているイメージだ。

 日本国庁舎の医務室でリドフォールのイメージを見たときと全く同じ現象だと、カチは思った。

 恐怖心を飲み込んだ好奇心に急き立てられ、カチは意識を集中させた。ぼんやりとした形だけの映像に、焦点が結ばれてゆく。

 視界を埋め尽くしているのは、一見すると人形にしか見えない無機質な人の群れ。銀色の髪を持つアンピトリテの、死体だった。

 しかも、もう一つ。多くの死体を見下ろすように佇む、血にまみれた人影が見える。

「殺されたの?」

 カチはぞっとする思いで目を開け、カプセルの中で佇むアンピトリテたちを見つめた。

 焦点の合わない瞳からは、なんの感情も読み取れない。だが、カチは確かに、胸の内を疼かせる感情を捉えていた。

「そうだ、殺されたんだよ。十年前に自由を訴えた者たちの手によってね。無惨な仕打ちを受け、理不尽に命を絶たれ、今はその存在に触れられることもなく、記憶の縁に沈められている、憐れなお前の……仲間だよ」

 淡々とした口調の中に、確かな怒気を孕ませるブルーを振り返って、カチは息をのんだ。

 いつの間に放たれたのか、揺らめく炎が室内を覆い尽くしていたのだ。

 猛る橙色の光の中から聞こえてくる悲鳴は、武装兵のものだろう。慌てふためいた、見栄もなにもない悲鳴は、聞いていて滑稽なものを感じなくもない。だが、狼狽した彼等を見て笑っているのは、ブルーと須加だけだ。

「わたしの、仲間?」

 脳裏に翻るのは、純白の体がとても美しいシロイルカたちの姿。それに加えて、ただの青白い肉の塊となった“自分であったモノ”の姿だった。

 身の毛のよだつようなイメージが脳裏をかすめ、カチはたまらずに唇を噛んだ。ちくりとした痛みが、思考を現実へと引き戻した。

「助けたいか?」

 答を迫るのは、わざと打ち鳴らされるヒールの高い音だった。反射的に顔を持ち上げれば、視線はブルーの青い瞳と重なる。

 向けられる思いは、とても強い。考える余裕を許さないほどに蠱惑的でもあった。

 このままではいけない。そうは思っても、目を離すことができなかった。周囲を漂う虹色の鱗粉が、戸惑いと共に体の中に染み込んでくる。

「偽りの眠りの支配から、解放したいか?」

「それは、救いなんですか?」

 ブルーの手が差し伸べられる。背後からも沢山の目に見つめられ、カチは追い立てられているような錯覚を覚えて、焦った。考える余裕もない。否定するのをためらわれる雰囲気に、カチは飲まれてゆく。

「わたしは――」

「世界の穢れを背負わせる気か、ブルー!」

 響く声に、いち早く反応したのはブルーだった。ブルーは、カチに向かって差し伸べた腕を引き、細い体を捻った。

 そのままブルーは、炎の中から飛び出てきた人影に対し、素早く引き抜いた二本のナイフを突きだした。衝突音が、甲高い悲鳴を響かせる。

「真朱さん!」

 燃えさかる炎を振り切って現れたのは、真朱だった。

 突き出したナイフは、あっさりとブルーに弾かれ、体勢が崩れた真朱は仰け反ったまま、蹈鞴を踏んだ。

「やめてっ!」

 がら空きになった真朱の胴を狙って、ブルーの右手がしなる。鋭い刃が閃光となって襲いかかった。

 しかし、真朱は間一髪の所で床を蹴って後方へと飛び退いて難を逃れる。僅かに開いた間合いを保つべく、ナイフを構え、緊張の滲む目をブルーへと向けた。

「ようやく来たな」

「俺を待ってたなんて、嬉しいこと言ってくれるじゃないか」

「つまらない冗談は最悪だよ、真朱」

 僅かな緩衝地帯を先に崩したのは、ブルーだった。

 早すぎて、もはや一筋の光にしか見えないナイフの刃をしならせ、迎え撃つ真朱へとブルーは腕を振り下ろした。

「切り刻んで、粉々にしてもお前は生き残るのかい?」

「さあな。少なくとも、今はまだ生きているぜ!」

 鼓膜を突き破りそうな甲高い音に、カチは思わず耳を塞いだ。

「つぶれても生き残る。気色の悪い奴め!」

「うるせぇ!」

 互いに刃を弾きあい、僅かな距離を取ると、すぐに一歩を踏み出して刃を振るいあう。まさに一進一退といった状況だ。

 しかし、ナイフをぶつけ合う回数が増すのに比例して、真朱の呼吸が荒くなっているのにカチは気づいた。

「こんなことに、あいつを巻き込むんじゃない!」

 真朱は開いている右手で銃をホルスターから抜き、襲いかかってくるブルーへと銃口を向けた。迷う素振りも見せずに、銃爪を引く。

「事実から遠ざけてなんになる! 真朱、貴様はあいつ等のように、この娘を飼うつもりでいるのか?」

 銃弾はブルーが作り上げた不可視の力場に阻まれ、弾かれて届かない。だが、真朱は顔色一つ変えずに、銃とナイフを構えて突進した。全て予想していた展開だった。

 真朱は駆けながら、更に三発の銃弾を発射させた。狙いはどれも曖昧で、当然のごとくブルーの能力に阻まれ、あさっての方角へと弾かれる。

 だが、牽制のための弾幕が張れれば、それで構わなかった。本命は右手に持つナイフなのだ。

「飼われているのは、俺だけでいい。こいつは、優しい世界の中で生きるべきだ」

「馬鹿なことを言うな、真朱! その言葉は偽善にまみれているよ!」

 間髪を入れずに撃ち鳴らされる銃声。不可視の壁に弾かれ、火花を散らす空間。

 万能と思えるブルーの能力ではあるが、発動中は過度の集中力を強いられる。つまりは、僅かながらの隙が生まれるということだ。

 真朱は銃弾とタイミングを合わせ、ブルーの間合いへと一気に飛び込み、ナイフを振り上げた。

「優しい世界など、どこにも存在しない。分かっているのに、お前は言うのか真朱!」

「――なに?」

 人間なら間違いなく致命傷を負うだろう一撃だった。しかし、ブルーは人ではないうえに、真朱を凌駕する能力の持ち主だった。

「馬鹿な!」

 己の力を過信していたか、それとも、ブルーを甘く見すぎていたか。

 絶妙なタイミングで振り上げられた真朱のナイフは、人知を超えた反応速度で追いついてきたブルーのナイフによって弾かれてしまったのだ。

 刃が小さな弧を描いて、あさっての方角へと虚しく消えていった。

「真朱さん、避けて!」

 体勢を崩した真朱にもう一つの鋭い刃が襲いかかるのを見て、カチは背筋に冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。今度は逃げられない。直感が告げた結末に、血が凝るような眩暈を覚えた。

「真朱さん!」

 饐えた匂いが空気を浸食し、赤い飛沫を散らして、真朱の体がくずおれる。

「死に損ないが、出来もしないことを企てるから、こうなるんだよ!」

 嘲るブルーの足元。真朱は腹部を押さえ、歯を食いしばって苦しげに呻いていた。

「十年前、お前はやはり、ここで死ぬべきだった。他の出来損ないと一緒に消えてしまっていれば、こんな罪を背負うこともなかっただろうにな」

「俺が憎いのなら……殺せば、いい」

 血の混じる唾を吐き出して咳き込む真朱に、ブルーのかたちの良い眉が跳ね上がった。

「そんな程度で気が晴れるのなら、そうしているよ。だが、そんな手間を掛けていられるほど暇ではなくてな。お前の命など、お前が思っているほどに重くもなければ、意味もないんだよ」

 両手に持つ刃よりも更に鋭い声に、真朱の顔は苦痛に歪む。ブルーはそんな真朱の顔を容赦なく踏みつけ、堅い床にこすりつけた。

「やめて! どうして、こんな酷いことをするんですか!」 

「ひどい……か」

 揺らめく炎の赤が、ブルーの眼鏡のレンズに映り込んだ。妖艶とさえ思える微笑みを向けられ、カチはわけも分からずに竦んでしまう。恐怖ではない、嫌な予感というものなのか。


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