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青の住人  作者: 濱野 十子
三章 メモリーダスト
15/40

煩わしい呼び出し音に、真朱は重たい瞼をこじ開けた。

 ずっと瞑っていたために、視界がぼんやりとしている。そんな視界に映るのは、うんざりするほどに見慣れた研究室の、無骨で大きいだけの照明がぶら下がる味気ない天井だった。

 軋むような体の痛みを無視して、真朱は乱暴に目を擦りながらゆっくりと上体を持ち上げた。

 体をいじられたという事実から来る、精神的な不快感を押し殺して、どうにか周囲を見回す。調べることに飽きたのか、研究者の姿はどこにもないようだ。

 誰もいない、がらんとした空間を、強すぎる光源が虚しく照らしていた。

「くそったれ」

 注射針の跡が疼く腕からガーゼを引っぺがした。次いで、真朱は狭い部屋に響く音の元凶を探して、寝台のそばに置かれている台へ視線を向けた。

 クリーニングされたのか、きっちりと畳まれている衣服と黒いバックパックが載っている。

 けたたましい呼び出し音は、バックパックのポケットに押し込んだままの携帯電話のものだった。小さなディスプレイが、真朱に「早く手に取れ」と急かすように明滅していた。

 覚醒しきっていない意識を引っかき回す機械音は、不快感を凶悪なものに変える。真朱は舌打ちをして通信機を取り上げ、通話ボタンを押した。

『何やってるのよ、真朱!』

 飛び込んできたのは、呼び出し音よりも更に煩わしいノートの声だった。

 殺人的なまでの大声だという事実を、本人が自覚していないのだから厄介だ。真朱は携帯電話を耳につけず、内蔵カメラを起動するボタンを押した。

 通話モードが切り替わり、相手のアドレスを映していたディスプレイに、眉を吊り上げたノートの映像が浮かび上がってくる。

「ノート、お前、もう少し落ち着いて話せないのか? 見た目はともかく、俺の倍は生きている立派な成人なんだろう?」 

 静かに喋ることを思考の中から排除しているノートは、真朱の訴えも右から左へと受け流し、小型スピーカーをハウリングさせて続けた。

『落ち着いている場合じゃないわよ!』

 声と共に響く重たい音は、荒ぶる感情に任せて机でも蹴り上げているのだろうか。そう考えて、真朱は改めて異変に気づいて眉を顰めた。

 いくら声が大きくとも、ここまで派手にノートが取り乱すことなど滅多にない。彼女は元軍人だ。不必要に人前で取り乱したりするような人物ではないはずだ。

「どうした、なにがあった?」

 ただならぬものを本能的に感じて、問いかける声は自然と低くなる。

『貴方に何があったかは知っているけれど、目が覚めたのなら、今すぐにカチを追って』

「――なんだって、追うだと? どういうことだ?」

 動きにくい手術服に嘆息して、真朱は寝台から下りた。

 おろしたてのように皺一つない制服を無造作に取り上げ、通信機を代わりに台の上に置く。

『いなくなった……いえ、連れ去られたのよ』

 インナーとズボンを穿き、ジャケットに腕を通しかけた所で真朱は動きを止めた。小さなディスプレイに映るノートを凝視する。

「誰に?」

「おそらく、ブルーだろうね」

 答えたのは画面の中のノートではなく、オートロックの扉から入ってきたリドフォールだった。

「……お前」

 先立つ嫌悪感に、真朱は奥歯を噛みしめた。目が眩むような激しい怒りがこみ上げてくる。

 とはいえ、今は意味ありげな微笑みを浮かべるリドフォールに掴み掛かっている場合ではない。それくらいの自制は、真朱にも可能だった。

「これは、どういうことだ?」

 理性が揺らがないようにと距離を取り、短い言葉の中に精一杯の非難をこめてリドフォールに問う。

「申し訳ないと思っているよ。まさか僕も、ブルーが庁舎の中まで入り込んでくるとは思わなかったんだ。単独で危険を冒すような子ではなかったはずなんだよ。それなのに」

「確かに、無茶をするような奴じゃないだろうさ。そんな必要もない、あいつはパーフェクトだ」

 真朱は拳を握り、漆黒の瞳に鋭い光を孕ませて、リドフォールを見据えた。

「カチを一人にしたのか?」

「安全だと判断したんだよ。庁舎のセキュリティーは、宇宙ステーション並みに完璧だからね。たとえバルコニーであっても、外部の人間が侵入すれば、センサーはきちんと、門番として与えられた仕事をしてくれるだろう。いくら彼女でも、誰にも悟られずに事を成すことはできない……と、思ったんだが」

 返された言葉は言い訳でもなければ、弁明でもない。感情の伴わない事務的な口調は、猜疑心を自ら煽るように、胡散臭いものしか感じられなかった。

 だが、庁舎のセキュリティーの信用性が高いことは、真朱も知っている。リドフォールの台詞が白々しく感じるのは、それが事実を言っているにすぎないからだろう。

「なら、なぜカチはブルーに連れ出された?」

「センサーが反応しなかった。だからだろう」

「ここのセキュリティーは、完璧じゃなかったのかよ」

 ジャケットに袖を通しファスナーを首元まで持ち上げ、台の上から装備品が入ったバックパックを腰に巻き付ける。装備品といっても事務的な道具ばかりで、見た目よりも心許ない重さに、真朱は辟易とした。

 危険と隣り合わせである仕事であるのにもかかわらず、真朱には武装の許可は下りていないのだ。

「ブルーの能力は重力を操り、しかも空間を歪める。センサーといっても、それは不可視の光線の集まりでしかない。弾かれる、もしくは歪められては、効果も発揮できないさ」

「他人事のように言うなよ。あんたは、いつもそうだ」

 頭一つ分ほど高い位置にあるアルビレグムの金色の瞳に、真朱は怒りと嫌悪感の混じった己の顔を映す。

「あいつはなぜ、地球に帰ってきた」

「心当たりがないわけじゃないだろう? あの子に与えられた輝かしい人生は、十年前に絶たれたのだからね、理不尽に。……それだけで、大きな理由にもなるだろう」

 心の内を見透かされているような錯覚に陥るのは、リドフォールもまた当事者であり、事実を知っているからだ。真朱は気持ちが緩んでしまう前に顔を背けた。

「カチくんはどうやら、市街地の閉鎖区画に連れて行かれたらしいね」

 カチに手渡されたペンダントは、位置を追跡できるようにもなっていた。個人のプライバシーを侵害しかねない機能だ。

 でも、アンピトリテという立場を考えるのならば、しかたがないだろう。

「……閉鎖区画」

「旧タワーだ、真朱」

 全身の毛が逆立つほどの悪寒に、真朱は酷い眩暈を覚えた。視界が暗くなり、猛烈な吐き気に襲われた。

「言われないでも、わかってるさ」

 真朱は、倒れそうになる体に活を入れるべく、強く唇を噛んだ。ディスプレイの中で押し黙ったまま様子を窺っているノートへ向き直る。

「ノート、武装の申請をする」

『……戦えるの?』

「戦わなけりゃ、生きて帰れないさ」

 掛けられた言葉は珍しく静かなものだった。お節介にも思えなくもない気遣いを感じて、真朱は唇の端を持ち上げた。

「任務が変わっていないのなら、あいつの保護者は俺だ。ちゃんと仕事してやるよ」

 次いで、意識的に剣呑にした視線をリドフォールに向けて、意地悪く肩をすくめてみせる。

「こんな辛気くさいとことで、ムカツク顔とくだらない話をしているよりはいいさ」

「酷いことを言うね、お前も」

 聞かせるように大きく溜息をついてみせるリドフォールを無視して、真朱はノートをじっと見つめた。

『了解したわ。リドフォール連星議員、問題はありませんわね?』

「問題ない。既に真朱のバイクと一緒に手配しているよ。日本国庁舎の武装兵が先行しているが、マーフォーク相手では心許ない。至急、現場に向かって欲しい」

『気をつけて、真朱。無茶はしないでね』

「無茶をしなけりゃならない事態にならないことを祈っててくれよ」

『ええ』  

 携帯通信機のスイッチを切り、バックパックに挿し込む。真朱は焦る胸中を深呼吸をして落ち着かせ、リドフォールを正面から睨み付けた。

「たのんだよ、真朱」

 微笑むリドフォールに真朱は無言のまま、踵を返すことで応えた。追いかけてくる視線を振り払うように足早になって、出口へと向かう。

「生きて戻っておいで」

 不意に掛けられた言葉に、真朱は足を止めた。

「あんたなんかに、心配される筋合いはないさ」

 叩きつけた拒絶の言葉に対し、リドフォールは何も言わない。真朱はこれ以上は振り返るつもりもなければ、言葉を交わすつもりもなかった。

 遺伝子上では繋がりがあろうとも、リドフォールとの間柄は、ただそれだけだ。書面でも実生活においても、親子であったときなど一切ない。

(くそったれ……)

 ただ一言、悪罵を胸中に吐き出して、真朱はスライドした扉から実験室を出て行った。離れることのない視線から逃げるように見えたのかもしれないが、しかたがない。

 真朱は鋼鉄の扉が空間を閉ざし、詰めていた息をすっと吐き出した。

 そのまま真朱は、今ここで成すべきことだけを頭に叩き込んで、バイクが置いてあるという裏門を目指し歩いていった。


◆◇◆◇


 視界を埋め尽くす光景は、カチに蜂の巣を連想させた。

 暗闇にようやく慣れたところに煌々と灯された光によって、視界が眩む。カチは瞬きを繰り返しながら、光源に照らされる不気味な景色を注視した。

「女神たちの棺……そして、これが我々の罪の形です」

 須加は老いた喉を震わせて、歌うように浪々とした調子で語った。

 背後にずらりと並ぶカプセル群はオペラ劇場の観客席のようにも見え、一人、声を出すために胸を張っている須加は、さながら舞台役者のようでもあった。

 白一色の衣装と今にも折れてしまいそうな貧相な体では、あまり格好もつかないが。

「およそ二千基のカプセルには全て、アンピトリテが眠っているのです。今もなお、放棄されたこの施設で……誰に弔われることもなく、眠っている。こんな、花も咲かない寂しい荒野の朽ち果てた城の中で!」

 枯れて皺だらけとなった体を震わせて、須加は息が切れるのも構わずに叫んだ。そうしなければ、何ものにも己の意志が伝わらないとでも言うように。

「この中に、アンピトリテが?」

 つるりとした表面。材質はガラスに似たものなのだろうが、中が見えないように加工されている。どれも同じ大きさ、同じ形状をしているカプセルからは幾つものコードがのび、天井へと撚られ、施設の外観と同じく塔をなしていた。

 だが、カチを動揺させたのは、無機質なカプセルが織りなす尖塔だけではなかった。

「ここで、なにが起こったんですか?」

 光によって照らし出された広い室内は、荒れ果てていた。いや、焼き尽くされていた。

 錆びた鉄の匂いに混じって、いがらっぽい煤が埃となって空気中に舞っている中で、熔けて爛れた鉄が散在している。カチはその光景に怯えた。恐怖に唾を飲み込んだ喉が、ごくりと鳴る。

「十年前、一つの小さな暴動が起こった。まだこの施設が生きていた当時のことだ。愚か者たちが自らの立場を鑑みずに決起し、皆、炎に焼かれて死んだ。世界を支配している連中の心中に疑念を植え付けてな」

 逃げ出さないようにか、入口の側で腕を組んで立っているブルーが須加の代わりに答えた。青く深い色の瞳の中に、確かな感情が宿っているのを、カチは感じた。

(怒っている?)

  唯一、感じられる、ブルーの心情。あまりに強すぎる思いは、ブルー自身も持てあましているのかもしれない。僅かながらの戸惑いも、カチは同時に感じとっていた。

「……罪が。罪が私に囁き続けるのです、女神よ」

 事態が飲み込めずに呆然としているカチへ、須加は旧式の医療キャリーをずるずると引きずりながらゆっくりと近づいてくる。向けられる視線はどこか恍惚としていて、はっきり言ってしまえば、気持ちが悪い。

 警戒するカチに気づくことなく――もしくは、敢えて無視をして、須加は続けた。

「私は罪を犯しました。いいえ、私だけではない。同じ惑星を起源としたはずの月面地球人、亡命してきたアルビレグム。それぞれがそれぞれの思惑の下に、尊ばれるはずの生命を冒涜した」

 医療キャリーを握る右手に血管を浮き上がらせ、チューブが伸びた手で須加は皺と染みの浮かぶ額を押さえつけた。

「聞こえるのです声が! 私を恨む声が! 私を苛む声が! 誰にも聞こえない、私だけに囁く声が、私の罪を暴き続ける!」

 狂気の滲む濁声が、煤の滞する空気を震わせる。金属に囲まれた部屋は迷惑なほどに須加の声を反響させ、幾重にも重ねてくれた。後から追って迫ってくるような声は、恐怖しか感じない。

「だから、私は救われたい。アカシャの声から解放されたい。そのためには、意思を持つアンピトリテが必要なのです。つまりは……あなたが!」

「何を言っているのか。言おうとしているのか、私には分かりません」

 突きつけられる指先から逃げようと、カチは一歩、反射的に後ずさった。

 頭痛を感じていた。ここに潜む何かが、カチに向かって何かを騒ぎ立てている。自分たちの存在を誇示するように。

眩暈にも似た感覚に視界が歪み、カチはたまらずに頭を抱えた。胸の詰まるような感覚は、煤の舞う空気だけのせいではない。

 カチは視線だけを持ち上げ、須加の背後に聳えるカプセル群を見上げた。

「アンピトリテは、宇宙を埋め尽くし地球の海に溶けているアカシャと対を成す、旧地球人をベースに構築された新たなる生命であり、アカシャを解明するための貴重なサンプルでもあった」

 一人で盛り上がる須加の熱を下げたのは、鋭く重いブルーの声だった。

 現実に引き戻され、眩暈が治まる。ほっとするのは場違いなのかもしれない。でも、カチは、仁王立ちのまま微動だにしないブルーを振り返った。

「アカシャによって精神に甚大な影響を受けるアルビレグムは勿論のこと、新たな新人類に対して月面地球人たちは容赦がなかった。水位が低く、アカシャの浸食濃度が比較的薄い低精神汚染深層域に眠っていたアンピトリテは、こぞって引き上げられ、切り刻まれた」

「きざ……まれた?」

「アンピトリテを知るために」

 言葉の意味が理解できずに、カチは眉を顰めた。いや、正確に表現するのならば、思考が理解することを拒否していたのだ。あまりにも恐ろしすぎる言葉だったからだ。

「世界の真理を知るためには、しかたのないことだったのです。己の欲に駆られた愚かな行為だったことを認めましょう。だからこそ、私は罪を償う機会を乞うているのです!」

 枯れた体を震わせて、須加は涙を流した。

 須加の涙の意味を理解するには、カチはあまりにも物を知らない。それどころか、告白される罪も、須加自身のことも、何一つ分からない。

 圧倒的なまでの狂気を向けられても、そこから何一つ学び取れる物はなかった。ただ、恐怖と戸惑いが一方的に増すばかりだ。

「貴方は、何がしたいんですか」

「大地が沈み、海に満たされたとしても地球は……地球。そして、アンピトリテと名付けられてはいるものの、あなたたちは確かに私どもの同胞。同じ地球人が今もなお狂気の海の中で眠っている事実は解せない。それに、我らの母なる故郷を異邦人に支配されているのも、我々は許せない!」

 興奮しているのか、声を荒げる須加は前屈みの背中を大きく上下させた。切れ切れの息は木枯らしのような音を立てている。

 あまり重そうにない体重の大半を支えている医療キャリーは、持ち主の体調の変化を敏感に察し、強心剤であるジギタリスを、手すりに仕込まれている細針注射器(ナノシリンジ)で薄っぺらい皮膚から注入した。

 須加は荒い息を必死の体で整えながら、カチの前に立つ。

「ゆえに、解放を願うのです。我ら旧人類解放同盟パンドラは、アンピトリテの目覚めと、その神秘の力による地球人類の解放を! それこそが、私に与えられた贖罪! そのために、ご協力を願いたいのです。今なお深い眠りを強制されている同胞を目覚めさせるためには、貴女の生体データが必要だ!」

 細針注射器の跡が残る手を差し出し、須加がカチの腕を掴んだ、その時、古びた施設の中に大量の足音が流れ込んできた。


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