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青の住人  作者: 濱野 十子
三章 メモリーダスト
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 人気のない無音の空間から押し寄せてくる圧迫感に、衝動的に逃げ出してしまいたい。でも、真朱の安否を確認するまでは立ち去るわけにはいかない。真朱はカチを守るために、八十メートルの高さから落下したのだ。

「真朱はね、マーフォークと言われる存在だ」

 立ち止まり、リドフォールはカチを振り返った。

「人魚だよ。海の女神とヒトの間に生まれた……ね」

 意味深げな表情を作ったリドフォールに、カチは首を傾げた。たとえ話なのか比喩なのか、言葉の真意が掴めない。

「地球人とは、言葉に意味を求める面白い種族だと、僕は思うよ」

 リドフォールは肩をすくめ、困惑を隠せないカチに背を向けた。少し歩調を早めながら続ける。

「ギリシア神話の海の神であるポセイドンの妃、アンピトリテ。第三の元素を表す名前。つまりは、海を表す女神とヒトの間に生まれた新しい種族が……マーフォークなんだ」

 突き当たりには大きな扉があり、左右に道が分かれている。リドフォールは左へと折れてすぐ、十三号研究室と書かれた板が壁から突き出している扉の前で立ち止まった。

「真朱はね、つまり、アンピトリテとアルビレグム両方の遺伝子を持つ特異な存在なんだ。……まあ、劣性型ではあるのだけれどね」

 扉のロックを外して中へと踏み入ってゆくリドフォールを、カチは無言のまま追いかけた。

 大きなガラス窓で仕切られている大部屋の中に、真朱はいた。

 沢山の計器に囲まれた、無機質な台の上に仰向けで寝かされている。意識はないのか、弛緩した体には幾つもの、ロープのように太いチューブがつけられていた。

 血まみれの制服は脱がされていて、薄い、手術服のようなものを着けていた。

「何をやっているんですか、これは?」

 カチは部屋を仕切るガラス窓に張り付き、眠る真朱を取り囲む白衣を着た男女……研究者たちを睨み見た。

 サイレンスを着けている三人はアルビレグム、それ以外の二人は地球人だろう。年齢もまちまちだが、みんな半透明の板とペンを持っていた。注意深く……しかし、興味津々といった視線を、真朱へと向けている。

 話している内容は聞こえてこない。だが、医療行為を施しているわけではないことは、カチにも分かった。

「リドフォールさん、これは何なんですか!」

「そう怒らないでくれないかな。せっかくの可愛い顔が台無しだよ」

 これ見よがしに肩をすくめてみせるリドフォールに、カチは胸中がざわめくのを感じた。むず痒いようなこの感覚は怒り、なのだろうか。

「からかわないで! お願いですから、答えてください!」

 こちらの声は、部屋の中に届いているのだろう。カチの声に驚いて、研究者たちが顔を上げた。

 リドフォールはそんな彼等に対し、片手を持ち上げて「何でもない」と無言で制した。琥珀色の瞳は、カチをじっと見下ろしている。細長い瞳孔が更に細く引き絞られた。

「データを取っているんだよ」

「データ?」

「ああ、そうだ。データだよ」

 警戒心をあらわにするカチに動じることもなく、リドフォールはガラス窓へと手を添えた。身じろぎ一つもしない真朱へと視線を向ける。

「八十メートルの高さからまともに落下しても生きているなんて、実に興味深いケースだよ。複雑骨折、内臓破裂。心停止まで起こしていたのに、もう外傷はほとんど見えない。どこまでの損傷から復活できるのか調べてみたいくらいに、素晴らしいね」

「……そんな」

 笑みさえ浮かんで見える横顔に、カチは怖くなって後ずさった。真朱を取り囲んでいる研究者たちも同じことを考えているのだろうか? そう思うと、震えが走る。

「そんな……そんな酷いこと、言わないでください!」

 涙声で叫べば、リドフォールの余裕綽々とした表情が始めて狼狽をみせた。

「そう怖がらないで、カチくん。僕もまさか、研究のために真朱を痛めつけようだなんて、本気で思っていたりはしないさ」

 向けられる研究員たちの視線を鋭い眼差しで一瞥し、リドフォールはゆったりとした物腰で向き直った。

「ただ、真朱の体を調べることは、我々アルビレグム、更には地球人類にとって、とても大切なことなんだよ」

 聞き分けのない子供を言い含めるようにゆっくりと発音し、リドフォールは首に巻いていた白いファーを外してみせた。

「その傷?」

 男性でありながら細いリドフォールの喉には、頭と胴とを真っ二つに両断する深い傷跡が刻まれていた。

 みみず腫れのように醜くく腫れた傷跡は、今もなお疼いているかのように生々しい。驚いて何も言えずにいるカチにリドフォールは苦笑をこぼし、ファーを巻いた。

「ある事故でね、喉をやられたんだ。奇跡的に命こそ取り留めたものの、声帯をこっぴどくやられてね」

 喉の傷の凄惨さはカチも理解できた。こともなげに話してみせる、リドフォールの心中が理解できないほどに。

「アルビレグムだから、声帯がなくても不都合はない。だからといって、そのままで良いとは、さすがの僕も思えなかった。でも、人工の器官を取り付けるなんて嫌だったからね」

 あくまで他人事のような白々しい口調のまま、リドフォールは視線を再び、眠り続ける真朱へと向けた。

「実験もかねて、真朱のもつ特異な回復能力を併用し、僕自身の僅かに残った声帯の細胞を培養してみたんだよ。結果は、見てくれればわかるだろう? 元通りさ。真朱の能力は、医療において多大な貢献をしてくれている」

「実験もかねて? 真朱さんは納得しているんですか? いつまで、こんな酷いことをするつもりなんですか! わたしにはいいこととは思えません、当然のことのように言わないで!」

 部屋を隔てる扉は、堅く閉ざされていた。

 鍵穴の代わりに、そこかしこの扉についているのと同じ型の電子錠が、赤いランプを明滅させている。

 太い注射器で腕の血管から血を抜き取られている真朱を見ていることしかできない状況に、カチは焦燥感にも似たもどかしさを感じて唇を噛みしめた。悔しかった。

「能力の限界と、細胞の回復工程の観察だからね。目を覚ますまでは、このままだよ」

「こんなの、まるで実験動物じゃないですか」

 可能なら、今すぐ実験室に入って行って、ボードを抱えて談笑し合う白衣の学者どもを追い出してしまいたい。真朱をつれて、早くここから出て行きたい。

 カチは真朱をじっと見つめ、苛つく心を持てあましていた。すると、カチの胸中を煽るように、リドフォールが手を叩いた。

「言い当て妙だね、カチくん」

「からかわないでください!」

 怒りのままに、カチは声を荒げた。それでも、まだ焦燥感は止まらない。

「確かに、君の言うとおりだろう。認めるよ」

 リドフォールの顔から笑みが消え。身の竦むような威圧感を感じてカチは息をのんだ。

 引き波のごとく急激な変化に、カチの中の熱く滾る怒りは一気に冷まされてしまったようだ。

 気圧され、後ずさる。笑みを取っ払ったリドフォールは、まさに別人だったのだ。

「でもね、カチくん。劣性型マーフォークの扱いで、これほど譲歩されているものはないんだよ。この世に生きて、存在しているという時点でね」

「それは、どういう……」

『余計なことは言うなよ、リドフォール』

 割り込んできた、くぐもった声に、カチは天井を振り仰いだ。壁に取り付けられているスピーカーから流れてきたのは、弱々しく、力のこもらない真朱の声だった。

「真朱さん!」

 カチはガラス窓に張り付いた。寝台から体を引き剥がそうとする真朱に向かって、握りしめた手で、分厚いガラスを叩く。

「手を痛めるよ。やめなさい」

窓はたわみもせずに、ただ微震するだけで、びくともしない。それでも、叩くのを止めないカチは、リドフォールに両肩を掴まれてしまった。柔らかい物腰とは裏腹の強い力で、強引に引き寄せられていく。

「ほうら、赤くなってる」

両手を取られ、指摘されて初めて、カチはじんじんと疼く痛みに気づいた。

「秘密主義は感心できないけれどね、真朱? 足掻いたところで事実は変わらないだろう?」

『お前が言える台詞じゃ……ない、だろう』

 悪態も、声に力が入っていなければ迫力はない。

 まだ本調子ではないのだろう。真朱は僅かに体を持ち上げただけで、すぐに寝台へ倒れこんでしまった。

「無茶は感心できないね」

『……うるさい』

 寝台の上で身じろぐことしかできない真朱を、研究者連中が取り囲んだ。

 中でも体格の良いアルビレグムの男が覆い被さって真朱を押さえ込み、地球人の女が寝台の側に置かれていた装置から、コードがついたマスクを取り出した。

『やめろ……俺は……』

「真朱さん!」

 押さえつけられたままの真朱の口に、マスクが当てられる。カチは嫌なものを感じて、リドフォールを見上げた。研究者連中を止めることができるのは、リドフォールだけだ。

 だが、リドフォールはカチに視線を合わせようとはしなかった。装置のパネルを淡々とした慣れた手つきで操作している女の手元を無言で見守っている。

「止めさせてください、リドフォールさん!」

「大丈夫。少し眠ってもらうだけだよ」

「でも、こんな、無理矢理」

 マスクで顔半分を覆われている真朱の表情は苦しげで、ばたつかせている手足は明らかな抵抗を示している。本人の意にそぐわない乱暴な行動を、カチは許せなかった。

「真朱の持つ早期治癒能力を効率よく発動させるためには、精神の安定が必要なんだ。真朱はあれでいて、短気だからね。強制的に眠らせたほうが良いんだよ」

 カチは、問題はないと宥めるリドフォールの手を振り払った。納得がいかない。それでもカチは強い不満を覚えながらも、渋々と頷いた。

 リドフォールは肩をすくめ、人当たりの良い穏やかな笑みを浮かべた。

「信じて欲しい、真朱は大丈夫。なにせ、彼は僕の息子でもあるからね。無体な真似はしないさ」

「息子?」

「遺伝子上のね。これ以上のことを、今ここで話すのは控えよう。真朱の意志を尊重してあげるべきだろう? ここから先は、僕だけのプライベートではないからね」

 真朱を押さえつけていた男が離れ、マスクが外される。

 多くの人間に見つめられている状況を排除すれば、真朱の寝顔は安らかに見えた。

 カチは緊張に強張る体から力を抜いて、真朱とリドフォールを見比べた。両者の間に共通した面影を見ることは叶わない。

 真朱は母親似なのだろうか。そう思って、カチは目覚める前に見た映像を思い起こした。

(もしかして、あの女の人)

 淡く、暖かな感情でリドフォールが見つめていた女。もしかしたら、その女が、真朱の母親であるのかもしれない。

「さて、カチくん。これで少しは安心してくれただろうか?」

 リドフォールはガラス窓のボタンを押して、ブラインドを下げた。

 それからリドフォールは、眩い人工灯の光に目を細め、首を傾げてみせる。子供っぽい仕草に、カチはとりあえず頷いた。

 そうするしかない状況だった。

「それは良かった。真朱が本調子になるまで、しばらく掛かるだろう。それまで君は、この施設を見学しているといい。本当は僕がついていてあげなければならないのだろうけど、あまり自由に動ける身ではなくてね」

 リドフォールに促され、カチは部屋を出た。

「くれぐれも、施設の外には出ないようにね。それさえ守ってくれれば、安全だよ。ペンダントを電子ロックのセンサーにかざせば、許可されているセキュリティー・レベルの扉は開くようになっているから」

「でも。見学といっても私、何を見れば良いのですか?」

「さしあたって時間を潰せるのは、この道を真っすぐ行って、突き当たりにある部屋かな。温室になっていて、地球植物が保管されているよ」

「植物?」

「そう。地球から宇宙へと持ち出された貴重な植物を育てているんだよ。綺麗な花も咲いているしね。女の子には良いところだと思うよ。彼女も好きだった」

「彼女?」

「真朱の母親だよ」

 軽い音を立てて扉が閉まり、施錠された。胸中の不安をぬぐい去ることなど出来ないが、だからといってどうすることもできないのは分かっていた。真朱が目覚めるまでは、待つしかない。

 カチはリドフォールが指し示す方へと顔を向けた。 

「行ってみます」

「真朱の目が覚めたら迎えにくるよ。ではね、また後で」

 軽く手を振り、リドフォールは足早にもと来た道を歩いていった。カチは後ろ姿が完全に見えなくなるのを待って、背後の扉の電子ロックにペンダントを翳してみた。

 甲高い警告音が響き、ランプが赤く明滅した。扉は無論、開かなかった。

「やっぱり、だめ。……真朱さん」

 カチは冷たい鉄の扉をじっと見つめた。どうしようもないのだとしても、自分の無力さが悔しい。きゅっと締め付けられる胸の痛みに嘆息して、リドフォールが勧めてきた温室へと行ってみることにした。

 このまま扉の前で座り込んでいても良い。でも、地球の植物が育てられているという温室にも、興味はあった。

 いまだ、自分が何者であるのか掴めないカチは、地球に関するものを見れば何かしら思い起こせるものがあるのではないかと思ったのだ。

 後ろ髪を引かれながらも、カチは温室へと向かって歩き始めた。

誰もいない通路は恐ろしい。だが、その分、奇異の目で見られることはない。

 カチは可能な限り足音を立てないようにゆっくりとした歩調で進んで行き、リドフォールに言われた扉の前で立ち止まった。ほかの扉と同様に電子ロックされているようだ。赤いランプが灯っている。

 身に着けているのを忘れがちなペンダントを、読み取り部分に翳す。施錠の外れる機械音が響いて、扉がスライドした。

 カチは警戒しながら、温室へと入っていった。


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