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青の住人  作者: くろう
三章 メモリーダスト
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 目を閉じていたのが数秒か、数分だったのかは分からなかった。が、カチはそろそろと瞼を持ち上げた。

(暗い……でも、明るい?)

 視界いっぱいに広がっていたのは、深い藍色の空。いや、宇宙だった。

 無数の、幾億ともしれない星々が所狭しとひしめき、瞬いている。

 青い空も、真朱やブルーの姿もどこにもない。自分すらも希薄に感じる空間の中に漂いながら、カチはぼんやりと輝く青い球体を見つけた。

 ……地球だ。

 白い雲と青い海ばかりの姿は、ノートが見せてくれたディスプレイの映像とまったく同じで、カチは真っ青の表面をぼんやりと見つめていた。

「私は――還る」

 自分ではない声が響いた。カチは驚いて目を見開き、きょろきょろと視線を動かした。

 無重力の世界の中にぽつんと、小さな人影が浮いているのに気づく。

「あの惑星へ、あの……海へと、還元する」

 ふわふわと宇宙空間を彷徨いながら泣き叫ぶ女の声は、誰にも届かない。

 喉がすり切れるほどの悲痛な感情が滲んでいても、耳を傾ける者は誰一人としていなかった。宇宙をただ独りで彷徨う女を残し、みんな死んでしまったのだ。

 自分のものではない悲しみが流れ込んできて、カチは胸の苦しさに呻いた。

「在るべき姿に戻るのだ……私は、歪みを補正する」

 宇宙の辺境。

 捨てられた戦地には、遺骸の奇妙なオブジェが、たくさん在った。人の形をそのまま残す者、辛うじて人であると判別できる者……そうでない者。

 形はそれぞれ違っているが、無重力の空間でふわふわと漂っている姿はまるで、海底から吹き出る泡のようだとカチは思った。

(わたしは、何を見ているの?)

 凄惨すぎる光景は、かえって作り物のように思えた。恐怖ではなく、違和感を覚えながら、カチは唯一つの動いている人影へと、目を凝らした。

(……ブルーさん!)

 太陽光をブロックする、特殊加工の施されたヘルメットの黒いバイザーの奥。こめかみから血を流している顔に、カチは驚愕した。

 見間違いや、他人の空似ではない。確かに、宇宙を彷徨う女は、ブルーだった。

「応えろ、私の声に……応えないか!」

 宇宙空間から浮かび上がるようにして輝く、飴玉のような青い地球へ、ブルーは右手を伸ばした。

 しかし、宇宙服に包まれたずんぐりとした腕は、ただ宙を切るだけで、何も掴むことはできなかった。

それでも構わずに、ブルーは手を伸ばした。子供が親にすがりつくように、切々と。何も掴むことができなくとも……


   ◇◆◇◆


「カチ!」

 真朱の怒声に、カチは、はっとなって瞼を開いた。頬には冷たい感触が、体は軋むような痛みを訴えている。投げ飛ばされたのか。

 瞬間の出来事に理解が追いかない。困惑するばかりのカチの眼前に、ヒールの高いブーツが振り下ろされた。

 鉄板を貫通してしまいそうな凶悪な勢いに戦き、カチはそろそろと視線を持ち上げた。

「私を……暴いたな」

 底冷えのする怒りをぶつけられ、カチは声もなく怯えることしかできなかった。

 ブルーはそんなカチをせせら笑う。人差し指でずり下がった眼鏡の位置を直し、優位であることを強調するように声高に言った。

絶対反響定位能力(アブソリユート・ロケーシヨン)だけでなく、多面感応能力(エクストリーム・シンパシィ)まで持ち合わせているとはな」

「なんですか、それ?」

 気を抜けば震えてしまう心を必死になって押さえ込み、カチは這い蹲ったままの格好でブルーに問う。

「自覚がない? ふん……だからといって、私は許さない」

「ブルー、やめろ!」

「武器もないのに、いきがるなよ、真朱。お前は……殺す」

 気怠げに、ブルーは銃口を真朱へと向けた。

「だめ。止めて!」

「黙れ。私に命令するな!」

 起き上がろうと腕を突っ張ったところで、カチは動きを止めた。

 がちり。と、かすかに聞きとれた金属の摩擦音は忠告だ。

 銃口を突きつけられ、カチは身じろぐことすらもできなかった。少しでも動けば、容赦なく撃たれるだろう。

 緊張は喉を干上がらせ、乾いた粘膜は癒着したかのように、呼吸を阻害する。息苦しい。カチは喘いだ。

「殺しはしない。だが、殺さないだけだ」

「……させるか!」

 銃口が外れた隙を見計らい、真朱はブルーの間合いへと一気に飛び込んだ。

 肩の負傷を感じさせない、手早い体裁きで銃を握る手ごとつかみ取り、強引に引き寄せる。

「この……!」

 銃を取り戻そうと反射的に身を引くブルーの体勢が崩れる隙を突き、真朱はさらに右手を沿え、力任せに捻り上げた。

 ブルーはたまらずに銃を取り落とした。しかし、銃を手放した程度で怯むことはなかった。

 報復とばかりに、鋭いヒールのついたブーツが真朱へと襲いかかる。

「ぐあっ!」

 短い悲鳴を残して、真朱の体が宙を飛んだ。

 ブルーの、細く形の良い足からは、想像しがたい打撃力は尋常ではなかった。

 車に跳ねとばされた時のように大きく弧を描き、真朱は勢いよく乾ドックに叩きつけられる。

 しかし、勢いはそこでは止まらなかった。氷の上を滑るように鉄板をころがった真朱は、そのまま、イサナが収まっている作業部へと落下してしまったのだ。

「真朱さ……」

 響く重たい音に、カチは血の気が引いてゆくのを感じた。

 全長八十メートルの潜水艦イサナがすっぽりと収まっている作業部は、深い。そんな高さから落ちれば命はない。人の形すらも残らず、ただの肉の断片と化すだろう。

 カチは呆然と目を見開いたまま、ブルーを、その背後にあるイサナを凝視して震えた。あまりのことに、言葉が喉で支え、悲鳴すら漏らない。ただ、噛み合わない歯の根が甲高い音を立てるばかりだった。

「つまらない男」

 真朱が落ちた作業部をじっと見つめていたブルーは、不穏な静寂を揺さぶって響いてくる大勢の足音に舌打ちをした。

 視線を向ければ、紺色の制服を着た男たちの姿が見えた。

「遊びすぎてしまったようだな」

 苦々しく呟いたブルーは、カチを見下ろして呟いた。

「遊び……? こんな酷いことをして、遊びだなんて!」

 震え上がるほどの殺気を放つブルーの視線をしっかりと見返し、カチは立ち上がった。

 眉を吊り上げ、唇を引き結ぶ。ふとすれば背を向けてしまいたくなる威圧感へ負けじと挑んだ。

 しかし、カチの精一杯の抵抗を、ブルーは気にも留めていない様子だった。

「余興だよ。全てが始まる前の前座だ」

 短い黒髪をさらりと撫で上げ、ブルーは足元に落ちていた拳銃をホルスターにしまった。

「たいして面白くもない、遊びだったがな」

 言い捨て、ブルーは迫り来る怒声に背を向けた。

「待って……」

 カチは反射的に手を伸ばした。だが、その手は届くことはなかった。

 ブルーの周囲の空間が歪み、僅かに風を舞あげた。細い体がふわりと浮き上がる。

 まるで垂らされた糸に引き上げられるように、空へと向かって垂直に上昇してゆくブルーを止める術は、カチにはなかった。

 一方的にぶつけられた感情に怒りと戸惑いを煩ったまま、呆然と空を見上げることしかできなかったのだ。

「大丈夫かい、カチくん!」

 呼ばれ、カチは振りかえった。

 様子を傍観しているばかりの野次馬を押しのけ、強張った表情に冷や汗を浮かべているリドフォールが走り寄ってくる。

「よかった、君は無事のようだね」

「私よりも、真朱さんが!」

 青く晴れ渡る空に、溶けるように消えていったブルーのことも気がかりだが、今はドックの作業部へと落下した真朱の生死が大事だった。

 カチは混乱する感情のままに、リドフォールのスーツの襟を掴んで揺さぶった。

「ああ、見ていたよ。だから、助けに来たんだ。少し、遅かったようだがね」

 苦々しく嘆息してたリドフォールは、やんわりとカチの手を襟から外し、背後に控える男たちへ目配せしてみせた。

「回収して、ラボに運んでくれ」

「……え?」

 担架を広げ、作業部へと走って行く男たちを見つめるリドフォールの口元に微かな笑みを感じて、カチは眉をひそめた。何処か楽しげな表情に思えたのだ。

「なんだい?」

 カチの視線に、振り向いたリドフォールに笑みはない。カチは気のせいだったかと思い直し、担架を持って階段を下りてゆく男たちの動きを目で追った。

「そんなに震えなくても大丈夫だよ。真朱は死なない」

「でも」

 言葉を詰まらせ、カチは俯いた。

 決して真朱の死を望んでいるわけではない。作業部の何処かで引っかかっているのかもしれない。そうであると思いたい気持ちは強い。

 だが、カチは聞いてしまったのだ。何かがひしゃげるような、重い音を。

 生還を願う思いと同じくらいに、最悪の結果が脳裏に浮かび上がってきてしまうのだ。カチはそんな自分に、強い嫌悪感すら覚えていた。

「気休めで言っているわけじゃないんだけれどね」

「でも、あんな高さから落ちたんですよ」

「僕は、嘘をついていないよ」

 どういう意味なのかと首を傾げれば、今度ははっきりと、細く形の良い唇に笑みが浮かんでいるのを見つけた。

 不謹慎だと眉をひそめるカチに、リドフォールは肩をすくめた。

「真朱はね、そういう存在なんだよ」

 わけが分からない。なぜ大丈夫なのか、カチにはまったく理解できなかった。

 事態を傍観するだけのリドフォールを問い詰めようとした時、階段を上がってくる足音を聞いた。潮風に混じる多量の血の匂いが、言葉を噤ませる。

 視線を向ければ、担架を持った男たちが、階段をゆっくりと上ってくる所だった。

「まそ、お……さん」

 担架の上に載せられているのは真朱に違いない。だが、カチは一歩も動くことができず。運ばれてゆく真朱を呆然と見つめることしかできなかった。

 血まみれとなっている真朱は、身じろぎもしない。生きているのか死んでいるのか、それすらもわからなかった。いや、その姿を見て、生きているとは思うこはできないだろう。

「カチくん?」

 吐き気がこみ上げてきて、足元が揺らぐ錯覚にカチは喉をひくつかせた。あまりのことに悲鳴すら上げられず、カチはリドフォールの声を振り切るように、海風に晒されてざらつく鉄板に頽れた。


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