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青の住人  作者: 濱野 十子
三章 メモリーダスト
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1

海に面した港に並立されている乾ドックに、多重式思念遮蔽(プリアンプ・サイレンス)システム搭載型新造潜水艦イサナの紺碧の巨体はあった。

 水密扉で海から隔離されているドックの深さは、イサナがすっぽり収まるほどで、それこそ断崖のようになっている。

 実際には盤木で下から支えられているのだが、ミサイルのようなもったりとした涙滴型の船体はまるで宙に浮いているようだった。カチは「このまま宇宙へ飛びだってしまいそうだな」と思った。

「大きい潜水艦ですね、真朱(まそお)さん。まるで、クジラのようです」

進水式の準備のために多くの作業員が行き交う中を歩きながら、カチはだるそうに後ろを歩く真朱を振り返った。

「艦体自体はそうでもないさ。でかく見えるのは、艦尾の多重式思念遮蔽システムのせいだろう」

「そのシステムって、何なんですか?」

「ハイウェイで見た塔と同じシステムだ。イサナは更に船尾の装置で作用効果を増幅させているらしいな」

 潜水艦イサナの船尾部分には、艦体とは別の素材で作られた鋭利な突起物がついていた。おそらく、これが増幅器なのだろう。

 薄水色の、太陽の光を反射して所々が虹色にも輝く増幅器は、カチに氷山を思いださせた。

「この耳当ては、思念波を遮断する装置でしたよね?」

「ああ、そうだ」

 頷く真朱に、カチは褒められているような気分になって、口元を緩めた。

「ねえ、真朱さん。そもそもなぜ、アルビレグムの人たちは外に出るときにこれを着けるのですか?」

イサナの周囲で忙しそうに歩き回っている、オレンジ色の揃いのツナギを着た人々を見た。サイレンスを着けている作業員はアルビレグムで、帽子を着用しているのが地球系の人間なのだろう。

 ドックに行く道すがら、カチはいろんな人間とすれ違った。でも、サイレンスを着けているのは、アルビレグムだけだった。

「リドフォールが言っていた、アカシャのせいさ」

 真朱は手すりに寄り掛かり、眩しく揺らぐ海面を見つめて言った。

「アルビレグムを脅かす脅威。この海にも眠っている記憶微小生物だって、リドフォールさんは言っていましたね?」

「仮にそう呼んでいるだけで、アカシャについては、まだ全てが解明されたわけじゃない」

 真朱はジャケットのポケットに手を突っ込み、中からカラフルな色をした小さな袋を二つ取り出した。

「いるか?」

「何ですか、これ?」

「飴だよ」

 丸く膨らんでいる袋を受け取ったカチは、真朱の真似をして袋を切って破った。中には青色をした、飴玉が入っていた。

 カチはその小さな飴玉を口に放り込んだ。

「……あまい」

「世界の、宇宙の歴史の始まりから終わりを記憶していると言われるアカシック・レコードの断片。それが、アカシャといわれる記憶微小生物だ。元々は宇宙空間のみに存在していた生物だったんだが、八十年前の大災厄の引き金となった隕石と共に地球にも、もたらされたと言われている」

 潮の匂いの混じる風が頬に吹き付けた。

 肌が乾く、引きつるような感覚はやはり不快で、カチは口の中で飴を転がしながら、海ではなく、海を見つめる真朱を見ていた。

「アカシャは世界の事象を記憶している生物だが、常に世界の事象を記録している生物でもある」

「それは、どういうことですか?」

「アカシャは記録対象へ、常に干渉しているんだ。宇宙空間、海中、そして――海上。場所によって程度はあるが、干渉されない場所は、この世のどこにもない」

 カチは思わず周囲を見回してしまう。

 青い空と海と、働く人々しか目には見えない光景の中に、そんな生物がいるとは、とても思えなかった。

「アルビレグムはテレパシーで意識伝達を行う種族だ。だから、地球人以上にアカシャの干渉を受けやすいんだよ。アルビレグムが思念波ではなく肉声を使うようになった理由の大半は、アカシャからの干渉をできうるかぎり減らすためだったんだ」

 そこまで言って、真朱は飴玉を噛んで飲み下した。

「アルビレグムが言うには、常に……執拗にインタビューを受けているような感覚らしい。干渉だけで済んでいるならまだ良いが、酷くなれば、多重幻聴症候群を引き起こす」

「病気になるんですか?」

「ああ。栄光、挫折、悔恨、後悔……印象に残っている様々な記憶が、幻視や幻聴となって精神を冒す。宇宙には、多重幻聴症候群の発病者は数え切れないほどにいると言われている」

「アルビレグムがアカシャの干渉を受けやすいというのなら、病気にも成りやすいと言うことですよね……だから、リドフォールさんは」

 カチはイサナの背後に控える海原を見つめた。

 橋桁をぶち破った海水の柱が脳裏をかすめ、ぶり返してくる恐怖にぞっと体を震わせた。

「イサナや塔に使われているシステムは、アルビレグムの思念波を押さえるサイレンスとは違って、アカシャの干渉波と相反する逆位相思念波を使って相殺するシステムだ。テレパシーを使わない地球人は、この装置だけで充分に屋外活動ができる」

「だから、真朱さんもサイレンスをしていないんですね」

「まあ、な」

 カチは、先を急ぐように顎をしゃくって急かす真朱に頷いて、イサナのドックの隣にある建物へと向かって歩きだした。ハイウェイから回収されたバイクは、そこで修理を受けているらしい。 

「でも、わたしはサイレンスを着けていなくても、アカシャの声なんて聞こえませんよ?」

「……それは、お前がアンピトリテだからだよ。ぐずぐずするな、置いて行くぞ」

 会話を切るようにぶっきらぼうに言って、真朱はカチを追い抜かした。

「あ、真朱さん!」 

 小走りにならなければとても追いつけそうにない足取りに、カチはいったいどうしたのだろうかと戸惑った。

「なんで、アンピトリテだと大丈夫なんですか!」

 真朱は答えなかった。声が届いていないはずはない。どうしてかは分からないが、聞こえていない振りをしているらしいことは、容易に見て取れた。

「真朱さん! 無視しないでくださいよ!」

 すっかり離されてしまったカチは、大声になって呼んだ。

「煩い! 黙って従いてこないと、本当に置いて行くぞ!」

 向けられる怒声に、カチは理不尽さを感じて足を止めてしまった。苛ついた感情に晒され、わけもなく腹が立ってくるのを感じる。

「どうして、肝心なところで話を逸らそうとするんですか!」

 不満は怒りとなって、口から飛び出してしまっていた。

「お前……」

 不意を突かれた真朱が、あんぐりと口を開けている。だが、あまりの大声に一番驚いていたのはカチだった。

 急に恥ずかしさが込み上げてきて、カチは自分の爪先を見つめた。

「す、すみません、大声を出してしまって。……でも」

 顔を上げ、真朱をじっと見つめる。

「話を逸らそうとしているのは……確かですよね?」

上目遣いで問いかければ、真朱は渋い表情になって、明後日の方向へ顔を逸らした。

 非を自ら認めるような素直な反応に、カチは怒りを収めた。

「どうしてですか、真朱さん」

カチはゆっくりと、真朱へと歩み寄っていった。

「わたしは、わたし自身のことを知りたいと思っています。そのためには、この世界のことを知らなければならない。そうでしょう?」

「……まあ、確かにそうだ」

 真朱は髪を掻き上げ、頷いた。しかし、眉がひそめられた表情には肯定の意はない。

「だがな、お前が必死になって知りたがるほどの価値は、この世界には存在しないよ」

 言い捨てるように呟いた真朱は、カチを待つことなく踵を返し、バイクが置かれている建物へと歩いていってしまう。

「待って、真朱さん! 価値がないって、どういうことですか!」

 カチは慌てた。

 この広いドックの中ではぐれることなど、まず考えられない。でも、置いて行かれることに対して脅迫めいた恐怖を感じたのだ。

 気づいたときには既に、カチはコンテナを積んだトラックの前に飛び出していた。

「馬鹿!」

 真朱の怒声が聞こえるが、カチは呆然と立ちすくむばかりで何一つ――悲鳴すらも上げることができない。ただ目をつぶって、突っ込んでくるトラックを待ちかまえることしかできなかった。

 公道でないため、トラック自体には、たいしたスピードは出ていない。

 とはいえ、大きなコンテナを積んでいるために、重量はかなりのものがある。そんなものに轢かれてしまっては命はない。

「……お前はまだ死を許されてはいない」

 身をすくめ、奇跡を祈るしかないカチは、掛けられた女の声に目を見開いた。

「誰?」

 いつの間に現れたのか、迫り来るトラックに立ちはだかるように女が立っていた。

「あれは……あの人!」

 素性を覆い隠すヘルメットこそ被っていないが、細身の黒いスーツを身に纏った女は、ハイウェイで銃を向けてきたライダーに違いなかった。

「ダメ、危ない!」

 すらりと伸びた足を更に長く感じさせるヒールの高いブーツを履いている女は、怯む様子などまったくない。むしろ、迫り来るトラックを挑発するかのように、右手を突き出した。

「問題ない」

 突き出された女の手とトラックのバンパーの間の空間が、僅かに揺らぐのをカチは見た。

 陽炎のように揺れる空間は湖面に生まれた波のごとく急速に広がり、女の体を包んでいった。

 直後――

「嘘……!」

 目の前の光景がとても信じられず、カチは逃げ腰になって声を上げた。

 女のすぐ目の前で、トラックは停止した。突き出されたか細い腕によって、止められたのだ。

 いくらスピードが出ていなかったとはいえ、相手はトラックだ。とても腕一本の力で止められるようなものではない。

 常人であるのなら……の、話だが。

「これが、私に与えられた生存権。独立完全歩行能力(フリーウォーカー)の使い方の一つ。私は全ての束縛を自由にする」

 片手一本でトラックを止められた運転手は、ハンドルを握ったまま身じろぐことすら一切できずに、大きな口を開けていた。

「お前、まさか……ブルー?」

 トラックの周りで唖然としている作業員を掻き分けてきた真朱は、女を凝視し、声を上げた。

「まだ、しぶとく生にしがみついていたとはな。往生際が悪い……いや、貴様らしいと言うべきか、真朱」

女――ブルーは、短く切りそろえられた黒い髪を風に流していた。

 青い縁の眼鏡の中にある視線は鋭く、黒いスーツに包まれた体のラインもまたシャープで、ブルー姿は一挺の銃を連想させた。

「東方の星海戦で、死んだと聞いていたぞ」

「私の生死など、貴様には何の関係もないさ。黙れよ」

 ブルーは薄い唇を不満げに歪めて、スーツに縫い止められているホルスターから銃を抜いた。

「真朱さん!」

 慌ただしくも、浮かれた雰囲気を醸し出していたドックに、緊張が走る。ブルーの右手に握られているのは、手の平ほどの小さな拳銃だった。

 見た目の可愛らしさとは裏腹に、殺傷能力は充分にあるはずだ。銃口を向けられている真朱の表情が、緊張に強張っているように思えた。

「動くな」

 絶対的な服従を促す冷たい声に、カチは足を止めざるをえなかった。銃を握る右手とは別に、左手には刃渡りの長いナイフが握られ、鋭利な切っ先はカチへと向けられていた。

「殺しはしない。だが、怪我をしたくないのなら、動くな」

 これ以上は近寄るな。ブルーは太陽の光を反射する刃を、ゆっくりと上下に動かして見せた。

「カチ、おとなしくしておけ」

「でも」

 腰を低く落とし、真朱は視線を鋭くさせて身構えた。しかし、何の武装もしていないのでは、どう見たって太刀打ちできるわけもない。

 不安は恐怖へと取って代わり、カチは見ているしかない自分を嫌悪した。

 カチは震えながら、助けを求めて辺りを見回した。でも、広がってゆくばかりの乾いた緊張を、止められる人間はどこにもいない。みんな、驚いた顔をして成り行きを見守るばかりだった。

「真朱さ――」

 カチの声は、銃声によって掻き消される。網膜を焼くような閃光が至近距離で弾け、反射的に身を竦ませた。

 炸裂する火薬によって弾き出された弾丸が真朱の左肩を貫通し、鉄板の足場に小さな穴を開けた。

「ぐぅっ!」

 短い悲鳴を上げて傾ぐ真朱。

 ジャケットが鮮やかな朱色に染まるのを見て、カチは声もなく叫んで、後ろに数歩よろめいた。あまりのショックに、視界さえも歪んで気持ちが悪い。

 周囲を取り囲んでいた作業員たちは銃声を合図に、蜘蛛の子を散らすように悲鳴を上げながら建物へと向かって逃げていってしまった。

「人並みに痛さは感じるのか。不便だな」

「悪かったな……所詮は、出来損ないだ。完璧なお前とは違う」

 顔にびっしりと脂汗を浮かべ、それでも真朱はブルーを睨み付けていた。肩からの激痛は相当なもののはずだ。

 ブルーは、真朱の見え透いた虚勢が気に入らない様子だった。硝煙を立ち上らせている、熱せられた銃口を再度、今度は額へと照準を引き絞って向けた。

「だめ、止めて!」

「動くなと言っただろう」

 駆け寄ろうとして、カチは突きつけられるナイフの切っ先に足を止めさせられた。

 空の青を映す刃は鋭い。少し触っただけでも、骨ごとえぐり取られそうだと、カチは背中に冷たい汗を流して息をのんだ。

 しかし、じっと見つめてくるブルーの視線は、刃よりもなお鋭い。

「それでいい。聞き分けが良いのは、殺さなくても良い……楽で良い」

 銃とナイフを構えたまま、ブルーは笑った。

 声はなく、形のいい目を細め、薄い唇を持ち上げるだけの笑みだった。それでもカチは、底冷えするほどの狂喜を感じた。  

「あ、あぁ……」

 喉が引きつって、悲鳴すらも上げられない。

「逃げろ! カチ!」

「――だまれ、真朱!」

 肩の負傷を構うことなく、ブルーへと飛び掛かる真朱に銃が向けられた。

「逃げろ!」

 どうすべきなのか、考えている余裕はなかった。

 カチは真朱の怒声に追い立てられるように、ブルーに背を向けて走っていた。

 振り返ることもままならないまま、鋭い銃声が響いても、足を止めることはできなかった。

「無駄だ。お前はどこへも逃げられない。逃げることは、許されてはいない」

 声と共に、光が陰った。 頭上を跳び越えてきたブルーが、目の前に立ちはだかった。

 背後から聞こえる、かすかなうめき声は真朱のものなのか。確かめようにも、カチはブルーから視線を外すことができないでいた。

「お前を呼んでいる。一緒に、来ることを望んでいるよ」

「わたしが? どうして?」

 ブルーは青い縁の眼鏡を押し上げ、カチを睨んだ。

「問うことを、お前は許されてはいない!」

 だん! と、強い踏み込みの音が響き、黒いスーツに包まれた体が弾丸となって飛び掛かってきた。カチは立ち止まり、逃げようと慌てて身を捻った。

 だが、間に合わない。ナイフを収め、無手になったブルーの左腕が伸ばされた。

「だめ……来ないで!」

体を強張らせたカチの周りにある空間が歪んだ。真朱を吹き飛ばしたのと同じ力が、迫り来るブルーへ向けて放たれた。

 しかし。

 乾ドックの鉄板を引き剥がし、鋼鉄の礫を纏わせる不可視の力を前にしても、ブルーは引かなかった。いや、ブルーには怯む理由がなかったのだ。

「避けていく?」

 まるで、ブルーの目の前に見えない壁があるようだ。

 無数の鉄板は、左手を突き出して跳躍するブルーに当たることがなかった。むしろ、自ら避けるようにして、明後日の方向へ飛んでいってしまった。甲高い衝撃音だけが虚しく響いた。

「無駄な抵抗は、苛つく」

「――っ!」

 カチには驚いている暇もなかった。

 驚愕から我を取り戻したときには既に、震える手をブルーに掴み取られていたのだ。

「おとなしく、私と来い。――救済のために、お前の存在が必要なのだ」

「救済?」

 滑らかな黒革のグローブの、肌に吸い付くような湿った感触。痛いほどの力で握りしめられながら、カチは青い縁の眼鏡を着けたブルーの濃紺の瞳を見上げた。

(――何、これは?)

 不意に。恐怖に早鐘を打つ心臓に急激な熱さを感じた。

 カチは息苦しさに喘ぎながら、激しい頭痛に自由になる右手でこめかみを押さえつけた。

 嘔吐感に、顔をしかめる。視界がぐるりと一回転し、猛烈な浮遊感に襲われ、視界が暗転する。

 渦のような強い感情に襲われる。意識は薄く引き延ばされ、カチは悲鳴を上げることすらできずに気を失った。


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