Promise Ring -プロミスリング- 2nd edition
「ハルごめんなさい。あたし決めたの。そう決めたの!」
「えっ、でも、まを……」
「もし、あたしを信じてくれるなら五年待って。それまでに絶対に結果出すから」
「まを、なにもそこまで自分を追い込まなくてもいいんじゃ……」
「ダメ、ダメなの! 今のままじゃあたしダメになるの。ハルお願いだから」
「まを……」
列車の揺れで私は目が覚めた。またこの夢だ。困ったアイツの顔のところで目が覚める。いや、そこまでしか覚えていないからかもしれない。
列車に揺られて小1時間。久しぶりに私はこの街にやってきた。大学を卒業してから一度も足を運んだことが無かった。いやここに来たくなかった。あれからもう四年もの時が過ぎ去っていた。
駅が近づくにつれ速度を落とす列車。それとは反対に私の緊張は加速する。柄にも無くだ。久しぶり、この感覚は――入試の時、合格発表のとき、入学式のとき、そして卒業式のとき。忘れていた感覚がにわかに還って来た。でも今の私が日々受けているプレッシャーに比べると甘っちょろい感覚だったんだな思ってしまう。
ホームに降り立つと、セピア色の記憶が色づく。ああ、この風景、雰囲気、風の流れ、今も変わりがない。すこし懐かしく、うれしくなってきた。
しかし、駅の改札を抜けるとさすがに月日が過ぎたことを感じさせられた。駅前がきれいになっていたのだ。いつも通っていた店が模様替えなどをしていたり、無くなってたりした。
(だめだめ……)
私は今日感傷に浸るためにここに来たわけではない。足早にモノレールの駅に行く。足が場所を覚えているがごとく、私はスムーズに駅についた。しかし、ここでも月日が流れた事を痛感した。運賃が上がっていて、すこしショックを受けた。
モノレールは私が乗り込むとすべるように静かに発車した。お昼前なのに結構人が多く乗っている。理由はわかっている。ここは相変わらずだなぁと思ってしまう。
モノレールは商店街をすり抜け、列車ではあまりありえないくらいの急カーブや、高速道の高架をくぐり、少し落ち着いた住宅街や田畑の上を静かに進んでいく。ここはあまり変わっていないようだ。車内アナウンスが聞こえてきた「まもなく『競輪場前』――」車内の半分以上の人が降りる身支度をする。私もその一人だ。ただ競輪を見に行く為にわざわざ家から一時間もかけてきたわけではない。
実は今日私が行こうとしているのは、私が卒業した大学だ。『競輪場前』でおりて大学に行くというのは少し変な感じがするが、競輪場の反対側に大学があって、ホームには小さく大学前とかかれている。どうせなら大学前と大きく書いてくれたらいいのにいつも思っていた。最近の卒業生で有名なプロ野球選手がいるので、世間ではかなりメジャーになったと思っている。堂々と駅名にすればいいと思うけど。
なぜいまさら大学かというと、私が挑戦しているある国家試験の受験資格を証明するための『卒業証明』をもらうためだ。
ただ、この証明は卒業証書のコピーでもよかったので、去年まではそうしていた。でも今年はあえて学校でもらおうと思っていた。環境を変えたかったのかも知れないし、もう今年でこの挑戦はやめようと思っていたからかもしれない。
年に一回夏にしかないこの試験のために私はかなりの時間と生活を費やしてきた。合格率は僅か五%。今年も合格の保証はない。かなり厳しい……。
「そこまでこだわる理由は何?」
親友のノリはため息混じりにあきれて言う。仕事も、生活も、そして恋も投げだしてそこまでその資格にこだわるのかが理解できないようだ。実際私も何故この資格だったのかは詳しくは覚えていない。
ただ、どうしてもここで挑戦しておかなければ絶対後々に後悔すると思ったから……。その話題はつい最近ノリに話した。
「まお、ハルはどうしているの?」
ハルというのは、私の彼。いやもう元彼といっても過言ではないと思う。
「知らない。あれから連絡してないもん」
「あれからって――卒業式以来!?」
ノリは素っ頓狂に声をあげる。
「そう。あれから」
「あきれた。それって、体の良い別れ方?」
「いや――そんなつもりはなかったんだけど」
「普通五年待ってなんて言われて、『はいそうですか』という奴はいないわよ。そのあとハルがどうなったか本当に知らないの?」
「……知らない。就職するって聞いてたけど」
「あんたたち本当に付き合ってたの?」
「たぶん……私は少なくともアイツのことはいい奴と思っていたし、アイツも私のこと想ってくれてると思ってた」
「はあ、もうなんて残念な――あんたのことを『天上天下唯我独尊』なヤツって言うんだよ」
「え、どういうこと?」
「自分を中心にすべてが廻っている人のこと! 他人のことはお構いなしにね」
ノリの言葉が刺々しく聞こえる。
「私、そうかもしれない……」
ノリは歯に衣着せずにはっきりとものを言うが、彼女の言葉には愛情がある。私みたいな人間にははっきりと言ってもらった方がありがたい。
「まあ、今更まおに説教してもしょうがないわね。で、今年の試験はどうなの?」
「わからない。毎年いいとこまでいくんだけど、あと一歩足りないんだよね」
「今年ダメならもうやめるの」
「そのつもり」
「私は受かるまで続けたほうがいいと思うけどね」
「何で?」
「ハル待たせてるんでしょ」
「うん――でも今も待っているかな?」
「あら、さっきまでの強気なまおさんは何処へやら」
「からかわないでよ、ノリに言われて普通に考えたんだから」
「確かに並みの男なら待たないと思うよ。でも相手はハルだよ。たぶん今もまおにぞっこんだよ。実は夜な夜なまおの家の前にいてたりして――」
「やめてよ! いくらアイツがネクラでもそこまでしないと」
「あははっ、うそうそ。ハルに限ってそんなことはしないわよ。まおの嫌がることは決してしない人だしね」
「…………」
私は言葉が出ない。
「ほら、すぐ悪いほうに考えるのがまおの悪い癖。そうね、今度大学に行ってみたら。何か刺激になって変わると思うけど」
数日前ノリに言われてから私は決心してここにいる。
四年ぶりのキャンパス。相変わらず人が多くいる。懐かしい感覚が脳裏を駆け巡る。学生時代は自由闊歩に歩いていた場所。でも今はお客さんだ。格好は大学生みたいだが、どこかぎこちない。
卒業証明は学内の教務課に行けばすぐもらえる。ただ、せっかくここに来たのだから少し学生気分を味わってみることにした。ちょうど授業中だったので教室の廊下を歩き、食堂に行き、グランドや厚生会館、部室も行ってみた。さすがに部室には入れなかったが。
小一時間ぐらい歩いただろうか、ふと記憶がよみがえってきた。私は記憶に従って階段を上がり、中庭を抜けた。そこは、大学の中で私の一番お気に入りの場所だった。
学校の敷地の端にある図書館棟の横。大学院棟の近くで普段はあまり人はいない。私はここによく来た。ここなら一人っきりになれる。それがいつしかハルと出会い、待ち合わせ場所になった――って、あれ? やっぱり私って……。
アイツ……いや、ハルは優しかった。何でも聞いてくれた。私のわがままをいつもうれしそうに聞いてくれてた。楽しかった。お姫様気分だった。でも――でもそれがいつしか重荷になってきた。
ハルはある意味すごい人だった。何でも私の言うことをかなえてくれた。でも私は何もしてあげられない。ハルは、
「まをはちゃんと僕と一緒にいてくれるじゃないか」
と言っていつも笑ってくれた。でもハルに対して罪の意識に似た感情がどんどん膨らんできて、それが押さえられなくなってきた。めちゃくちゃなことを言ってハルを困らせようとした。しかし、ハルは最後には完璧こなしてくる。もう私は逃げだしたくなった。だから、だから――。
卒業式の日私はハルに切りだした。とてつもなく難しい資格を取って、ハルに対して『私はお飾りじゃないんだぞ!』と言える自分を見せたかった。今にして思えば、現実逃避だったのかもしれない。ハルの優しさに耐え切れなくなって。
いつしか私はその場にうずくまり泣いていた。つまらない意地でとても大切なものを失ったことに気がついた、いや本当は既に気がついていた。だから四年もの間、ここに来たくなかったのだ。想い出すから。辛くなるから。ハルに申し訳ないから。
この私の意地ではじめた資格試験だったが、最初は到底歯が立たなかった。しかし、四年も勉強してくると合格圏内の手ごたえを感じてきた。だから、私は今年仮に落ちたとしても、その関連の会社に就職しようと考えている。もちろん受験を止める気はなかったが、この資格を勉強して初めて人の為に何かできるかもしれないとと思うようになったから。
そして、この試験が終わったら、一度ハルに会おうと思っている。もう手遅れかもしれないけど……。
私はひとしきり泣いて落ち着いてから、教務課に向かった。卒業証明の申請用紙を書き込み、申請料を払おうとした時、
「あれ? まをじゃない」
その声、聞いたことがある。私の名前を"まお"と呼ばずわざわざ"まを"と言うヤツ!
「やっぱりまをだ。どうしてこんなところに」
ハルだ。その台詞は私も言いたい! なんであんたがここにいるの! 私はその言葉をハルに投げかけてみた。するとハルは優しく答えてくれた。
「ホントにまをは僕の話を聞かなかったんだね。卒業の前にこの市の職員になるって言ってたじゃないか」
初耳だ! いや、思い出してきた。確かに公務員になるって聞いた気がするが、ココにいるなんて聞いたことない。絶対だ!
「僕はノリさんに話したつもりだけど。まをに伝えといてって」
そうなのか。だからノリは急にココに行ったらなんて言ってたのか……ノリめ謀られた。
「元気そうだね」
相変わらずハルは優しく微笑みかけてきた。月日が経ってもこの笑顔は全く変わっていなかった。
ハルの笑顔――以前の私なら超ツンデレな態度を取ったと思う。でも――今は違う。少し素直になってみようと思った。ノリの気遣いに感謝してみようと思った。
「ハル。ごめんなさい」
卒業してから、いや出会ってから一度も言えなかった言葉が初めて素直に言えた。
「え、どうしたの? いきなり謝るなんて、まをらしくない」
「ううん、本当にごめんなさい」
「まを」
ハルは右手の人差し指を立てて口に持っていき『しずかに』のポーズをした。何も言うなという風にも見えた。なんか少したくましくなったように見えるハル。そのしぐさをした右手の薬指に銀色に輝く指輪を見つけた。思い出した! 私の誕生日に二人で買ったペアのシルバーリングだ! つけていてくれたんだ。忘れずにいてくれたんだ。嬉しくなった。でも私なんか随分前から机にしまってあるけど……。
ハルの指輪を見て、二人の四年間が一気に埋まる気がした。止まっていた時計が動き出した。私はしばらくハルを見つめていた。ハルもそんな私を見てくれていた。
「ん! んんん!」
二人の間に大学の教務課長が割り込んできた。私たちは慌てて、二人の距離をとった。
「じゃあ、証明書が出来るまで少しお待ちください」
ハルは事務員の顔に戻った。しばらくして証明書を手渡ししてくれた。その封筒の上に小さな付箋が張ってあった。
『五時にいつのも場所で』
久しぶりにハルと歩いた。お互いに今までや最近の事の話しをした。いつしか私たちは何の気兼ねなく話をしていた。卒業前のあの時のように。そして別れ際にハルはこう私に切りだした。
「まを、当然今年も試験に挑戦するんだよね」
「はい。勿論!」
私は胸を張って言った。もう背伸びしない。
「じゃあ、今度はまをの試験が終わってから会おう。それまでは本当にがんばって。僕がまをに出来るのは応援しかないけど」
その言葉を聞いて私はやっぱりハルは逞しくなったと思った。四年前のあの何でも言うことを聞いてくれた少し繊細な感じのハルよりも。
後でノリに聞いたのだが、卒業式の後ハルはかなり落ち込んでいた。自暴自棄になって荒れたこともあったそうだ。そんなハルにノリは、私の本気の挑戦を見守って欲しいと言った。ただし五年待って結論が出なければ、あきらめろとも。だから、ハルは私を信じて待っていてくれた。今度こそ私がハルとノリの気持ちに応える番かもしれない。
家に帰って私は久しぶりにペアリングを指にはめてみた。ふと見るとリングの裏に小さく文字が入っていることに気がついた。このことに今まで気がつかない私も私だが――そこには、
"TOWARD THE FULFILLMENT OF ONE'S DREAMS"
訳せば『夢の実現に向かって』だ。 指輪の箱には「promise ring」と書いてあった。 指輪は前から私たち事をわかっていたかのように思えた。
<了>