4 粗末な料理
部屋の外に向かって大股で歩き、勢いよく扉を開け放つ。ギッと、立て付けの悪い扉が不快な音を立てて鳴る。宮殿の前庭で働く宮女と太監がいっせいに振り返る。ほとんどの者が、やつれて顔色が悪く疲れた様子であった。こちらを見る目は虚ろだ。
まともな食事をとっていないせいだ。
「こんな粗末な料理、満足できるわけがないだろ!」
「ですから……」
口を開きかけた林杏の眼前に、一心は指を突きつける。
「林杏、肌がかさかさで荒れてるぞ。髪の毛のツヤもない。頬がこけて目の下にクマができている。そうやって怒りっぽいのも栄養が足りてない証拠だ」
「なっ!」
林杏の横で詩夏がぷっと吹き出す。侍女頭に睨まれ慌てて真顔に戻るが、林杏の肩はふるふると震えていた。
一心に指摘され、強面の侍女頭は頬や髪に手をあてている。
「そんなに私の肌は荒れておりますか? 確かに髪もパサパサのような」
一心はふん、と鼻を鳴らし、ベッドに置いてある鏡を林杏に押しつける。
「ああ……確かに。なんてひどい顔!」
鏡を覗きこみながら、林杏は悲痛な声をあげた。
あたりまえだ。まともに食べていないから力もでない。気力もない。肌だって荒れる。
「凜答応さま!」
呼び止める詩夏の声を無視し、一心はテーブルの食事には手をつけず、寝室に引っ込んでしまった。
「凜答応さま、とりあえず少しでも召し上がってください。昨日だって結局何も食べてないんですよ。お腹空いてたんですよね? ぐうぐう鳴っていたじゃないですか」
側仕えの侍女、詩夏が心配そうに言う。朝からずっと子犬のようにまとわりついてあれこれ気づかってくれるのだ。
一方、林杏はベッドの上でブツブツ呟く一心の姿に嫌気が差したのか、朝、一度だけ顔を見せたきり、どこかへ行ってしまった。
朝食だといって運ばれた料理は、昨日と似たようなものであった。
炒めすぎた菜っ葉と濁った粥のみ。いや、炒めたというよりは、なにかの料理の余った野菜くずをかき集めたという感じだ。
こんなことがあっていいのか。
一心はベッドの上であぐらをかき、腕を組んで考え込む。
どうやら凜答応は、陛下の寵愛を得られていないせいで、侍女たちにすら見下され、食事もまともに作ってもらえないらしい。主がこんなだから、凜答応に仕える者たちも、宮廷内で肩身の狭い思いを強いられている。
一心は自分の、いや、凜答応の痩せた体を見下ろす。
「まともなものを食ってないせいでこんなに痩せてしまって、だから川で溺れるんだ!」
声を荒らげる一心に、詩夏は大きな目をぱちくりさせる。そんな表情が愛くるしい。
なんなら、詩夏の方が妃に相応しいではないか。
「いや、それはだめだ! 絶対に」
純真な少女を後宮という魔窟に置いてはいけない。皇帝の側室など言語道断。
詩夏には思いを寄せ合う男と幸せになって欲しい。
まるで兄のような心境だな、と一心は深く頷く。
「ここのところ独り言が多いですね。最近の凜答応さまは、なんか男らしい感じがします。まるで別人みたいな。記憶もないみたいですし、川に落ちてから、いったいどうなさったんですか? あ、でも今の凜答応さまも私は好きですよ」
詩夏がにっこりと微笑む。
好きですよ……好きですよ――。
好きですよ……好きですよ――。
好きと言った詩夏の言葉が脳内でぐるぐる駆け巡る。
「大丈夫ですか、凜答応さま。お顔が赤いですよ。お熱ですか? 今日はゆっくりお休みになられたほうがいいですね。だけど、せめて一口だけでも召し上がってください。はい、あーん、してください、あーん」
と、詩夏が泥臭い粥を匙ですくい、口元に持ってこようとする。
あーん、してください、あーん――。
あーん、してください、あーん――。
目尻を垂らし、一心はだらしがなく口を開けた。開いた口に詩夏が粥を押し込む。
ぱくり。
「おえぇ!」
まずい粥のせいで現実に引き戻される。
一心は口元を手の甲で拭った。
詩夏だってまともに食事をとっていないせいで、先程からぐうぐうお腹が鳴っているのが聞こえる。詩夏だけじゃなく、月明宮にいる皆が腹を空かせている。
このままでは、皆飢えて死んでしまう。
粥だって本当なら詩夏に食べろ、と差し出したいところだが、くそまずい泥粥を食べさせるなど、料理人としてのプライドが許さない。
料理人。プライド。
ん、料理人?
一心は、ぱちんと膝を叩いて立ち上がった。




