2 オレが後宮妃!
突然叫び声をあげた一心に、侍女頭の林杏は眉間に深いしわを刻んだ。
一方、詩夏は笑いをこらえるように肩をヒクヒク震わせている。
小動物のように可愛らしい少女だ。妹にしたい。
「どうされましたか、凜答応さま」
抑揚のない声で林杏が問いかける。
「ところで、今、何時代なんだ?」
強面の侍女頭に尋ねるが、いっそう胡散臭い目で見られるだけであった。
分かる。
オレのことを不審に思う気持ちは分かる。
だが、せめて今が何時代なのか、この国が何て国なのか教えてくれ!
「今の皇帝は誰だ?」
「私たち奴婢が皇帝の御名を口にするなど不敬に……」
「燕鶯皇帝陛下ですよ。凜答応さま」
しれっと答える詩夏に、林杏はさらに眉間に深いしわを刻み横に立つ年若い侍女を睨みつける。林杏の顔に、これだから今時の若者は礼儀が云々、という感情が浮かんでいるように見えた。
「燕鶯だと!」
「凜答応さま、陛下とお呼びください。それから声が大きいです。そして寝台から降りてください」
すかさず林杏にお叱りをうけるが、一心の耳には届いていない。
「凜答応さま」
さらに言い聞かせようとする林杏を、一心は待てというように手で制する。
知ってるぞ、知ってるぞ。
歴史の教科書で見たぞ。
燕鶯といえば、辰王朝、最盛期の皇帝じゃないか。
史実では、歴代皇帝の中でも名君とされ在位は長く平和な世を治めた。妻である皇后も、皇帝に愛されよき理解者となって彼を支え、後宮を統率し、国の太平に尽力した賢后と言われる女性でなかったか。
ベッドの上に立ちあがったまま腕を組んでいると、あらたに別の侍女が部屋に現れた。
「凜答応さま、陛下より贈り物を賜りました。お運びしてもよろしいでしょうか」
「贈り物? ああ……よろしく」
主の承諾を得ると、次々と贈り物を手に宮女や太監たちが部屋に運びにやって来る。
あっという間にテーブルの上がプレゼントの山で埋め尽くされ、それでも足りず、床にまで積み上げられていく。
金子や銀子、宝石、絹織物、白と黒の毛皮。鑑定番組に出てきそうな、よくわからない置物や壺。
まだまだある。
孔雀の羽の扇に翡翠の花瓶、紫檀の化粧箱、瑠璃の食器、掛け軸、異国の化粧品、珍しい香料や貴重な生薬、茶葉。
どうやら贈り物は、先日船から落ちて溺れてあの世にいきかけた燕鶯陛下を救った褒美だという。
こんなものはいらないから元の世界に返してくれ、と言いたいところだが、とりあえず、あって困ることはないので受け取っておこう。そもそも、元の世界に戻る方法などあるのかすらわからない。長期戦になれば、先立つものがないと生きていけない。
一心は旗袍の裾をたくしあげ、よいしょ! と声を発してベッドから飛び降りた。
「すごいですね凜答応さま」
「珍しい贈り物ばかりだわ」
侍女たちは目を輝かせているが、一心にはそれらの価値やありがたみがまったく分からない。というか興味がない。だが、一つだけ目にとまったものがあった。
一心はおお……と声をもらし、それを掴む。
「高麗人参じゃないか!」
興奮気味に鼻息を荒くさせ、一心は手にしたそれをまじまじと見る。
太い胴体に細くて長い根っこの生えた、見た目マンドラゴラのような植物だ。
「まじかよ! こんな立派な高麗人参初めてみるぜ。見てみろ、この根の大きさと長さ。これは間違いなく最高級の六年根か? 最高だよ、まじで嬉しいぜ!」
一心は側にいた侍女に見ろ、と人参を突き出す。
高麗人参とは滋養強壮が高く、生薬として使われる高級なものだ。最高級天然物はとんでもない値段がつく。
「はあ……」
宝石や反物、装飾品にはいっさい目もくれず、ひげの生えたような人参を見て興奮する一心に、皆どういう反応を返したらよいのか戸惑い口元をひくつかせている。
「凜答応さま、ひとまず人参を箱に戻しましょう」
林杏がそっと箱を差し出してくる。が、一心は大事そうに人参を懐に入れてしまった。
「ところで、その〝さま〟ってのはやめてくれ」
料理家として現代では一心センセーなんて呼ばれることもあったが、さすがにさまと呼ばれるのはこっぱずかしい。
「凜答応さまは、凜答応さまですので」
侍女頭の林杏は感情のこもらない声で淡々と言う。
「あ……」
一心は何かを察する。
凜答応に仕える侍女のはずなのに、自分を見る林杏の目は、まるでゴミ虫でも見るような目つきだ。雰囲気からして、どうやら凜花は林杏に好かれていないようだ。




