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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

何でも欲しがる自称「親友」に、結婚披露宴で、新郎を奪って逃げ去られました。ざけんな。こんなことなら、婚約破棄して欲しかった。せめて結婚式の前にーーあ、でも、かえって良かった? 没落一直線ってことで。

作者: 大濠泉
掲載日:2025/11/19

◆1


 肌寒い冬の季節ーー。


 青い屋根を戴いた白壁の教会で、サイモン・ドリヴァル公爵令息とラメル・フォール伯爵令嬢との結婚式が開かれた。

 金髪に碧色の瞳をした男性と、銀髪に青色の瞳をした女性とが、仲良く並んで壇上に立つ姿は絵に描いたようで、美しい新郎新婦だった。


 双方の両親をはじめ、多くの親戚縁者が列席する中、サイモンとラメルの新郎新婦は、司祭様の前に立つ。

 司祭様の後ろには大きな透明の水晶球があった。

 この水晶球の中に神様が宿ると、国教であるオーパ教では言われている。

 水晶球の前で互いに指輪を交換し、キスを交わすと、司祭様に仲介してもらって神様に結婚が報告され、正式に二人は夫婦になるのだ。


 だが、いよいよ待ちに待った結婚だというのに、サイモン公爵令息は落ち着かない様子だった。

 時折、自らの金髪を撫で付けては、始終、ソワソワしている。

 誓いのキスのときも、青褪めた顔をして、サイモンは全身をブルブルと震わせていた。

 特にラメルの左手の薬指に結婚指輪を嵌めるときなど、手を震わせて、指輪を落としてしまったほどだった。


(やっぱり殿方にとって、結婚式というものは緊張するものなのかしら……?)


 ラメル伯爵令嬢は首を傾げた。


 ラメルとサイモンの二人は、幼い頃から、十五年来の婚約者同士であった。

 双方の実家ごと、家族ぐるみのお付き合いをしていて、頻繁にお茶席や宴会を設けては、会話を楽しみ、親睦を深めてきた。

 歳が近い者同士、ラメルとサイモンとは、ずっと仲良しだった。

 実際、参列した家族や親戚たちは顔馴染みばかりで、普段の宴会のようにはしゃいでいる。

 だから、サイモンも、もっと気安い態度で良いのに、とラメルは思う。


(でも、神前の結婚式にしては、ちょっと厳粛さに欠けた雰囲気かも。

 そこが気に入らないのかしら?)


 もともとサイモンは割とお調子者で、始終朗らかだった。

 ところが、妙にラメルから目を背けたり、怒ったり、会う約束をすっぽかすようになったのは、ここ半月ほどのことである。

 お互い、学園を卒業して二年の二十三歳、共に高位貴族家の子女として王宮に出仕し、サイモンは総務省の経理課、ラメルは外務省の渉外課に勤めて、ようやく仕事も覚えた頃だった。


 その頃には、お互いの両親によって二人の結婚式の日取りが決められていて、ラメルは仕事をしながらも、衣装選びや、披露宴の演出設定、引出物の選定、招待状の作成や送付など、色々忙しく動き始めていた。

 取引相手や、仕事仲間などにも披露宴への招待状を渡したり、手を付けた仕事の中断と、結婚後の再開を先方に約束するなど、やることはたくさんあった。

 だが、相手も貴族家の者、誰もが事情を察し、優しく対応してくれた。

 我がライト王国だろうと、他国のドメス帝国、ランド公国だろうと、貴族家の者にとって、結婚式や披露宴は最重要なイベントなのだ。


 やがて司祭様が、サイモンとラメル、新婚夫婦の肩をポンと叩き、おっしゃった。


「神前での誓いを見届けました。

 これであなた方は夫婦となります。

 おめでとう!」


 わあああ!


 歓声があがり、拍手が広がる。

 ラメルを含め、肉親や参列者の皆が、笑顔で祝福してくれた。


 そのまま教会の聖堂を出て、サイモンとラメルの新婚夫婦を先頭に、ゾロゾロと皆で歩き、教会大広間へと場所を移す。

 大広間の中央に置かれた巨大テーブルには、たくさんの肉料理や果物が盛られた大皿が、幾つも並べられていた。


 次は無礼講で酒食を楽しむ披露宴の時間だ。

 我がライト王国では、結婚式に参加するのは血縁関係のみとされている。

 だから、披露宴には、仕事関係の方々や、学園の旧友、恩師などの来賓客がたくさん集められていた。

 一般的には、この結婚後の披露宴こそが、新婚夫婦が二人で行う初イベントといえる。

 会場は結婚式より華やいだ、より明るく騒がしい雰囲気に包まれていく。


 ところが、そんな砕けた雰囲気の披露宴の場でも、やはり新郎のサイモン・ドリヴァル公爵令息は全身を強張らせ、血の気が退いた顔色をしていた。

 うつむき加減で、元気がなさそうだった。

 ラメル・フォール伯爵令嬢は「大丈夫?」と問いかけたけど、「なんでもない!」と、サイモンはラメルのことを睨み付ける。


(まだ緊張が解けないのかしら。

 いったい、どうして……?)


 ラメルが不思議に思うほど、サイモンは、明らかに気もそぞろだった。

 世の中には結婚式や披露宴にも積極的に顔を突っ込み、(くちばし)を入れたがる新郎もいるというが、我がライト王国では、基本的には結婚式も披露宴も新婦側とその実家が企画し、用意するものとされていた。

 だからサイモンとはここ最近、顔を合わせることもなく、今日の準備に明け暮れていた。

 その期間に、何かあったのだろうか。


 新婦のラメルには心に引っかかるものがあったが、それでも披露宴は進行していく。

 だから、気乗りしていない新郎に代わって、新婦ラメルが壇上に昇ってワイングラスを掲げ、「乾杯!」と声をあげた。

 すると、「乾杯!」と来客の皆がグラスを掲げて復唱し、ワインを飲み干した。

 拍手が沸き起こり、各人が歓談を始めて、宴会が盛り上がっていく。


 まさに、そのときーー。


 披露宴の大広間の扉が、バン! と開いた。


 披露宴に招待していない、亜麻色の髪を靡かせた女が、会場に姿を現したのだ。

 私、ラメルの「親友」と自称する女ーーラメルのモノをいつも横取りする女、ユキ・トンプソン子爵令嬢であった。

 彼女は真っ白なドレスにベールをかぶり、ブーケの花束を胸に抱えて立っていた。

 まるでウエディングドレスを着込んだ新婦みたいな出立ちである。


(これだから、この(ヒト)は……)


 普通なら、花嫁のドレスとかぶらないよう、客は白い色の衣装を避けるはずなのに。

 ユキ子爵令嬢は、そういった気遣いが出来る女ではなかった。

 だから披露宴にも呼ばなかったのだ。


 幼少の頃から彼女と付き合いはあるが、爵位が下の家柄の令嬢だからか、いちいち張り合ってきて、マウントを取ろうとしてくる、やりにくい娘だった。

 学園時代には、ラメルの近くの席に座り、そっくりの文房具を揃え、衣装も同じ店から似たようなデザインの、色違いのモノを取り寄せて、着込んでくる。

 そして周囲の人々、特に男性陣に対して、


「私たち、幼馴染で、仲良しなの!」


 と喧伝しまくって、褐色の瞳で、ラメルに目配せをする。

 なんか距離感がバグった変な娘だと、ラメル自身は辟易としていた。


 長じるに従い、ラメルに対して張り合う内容が、より精神的、人間関係的なものになって、もはや気色悪いほどだった。

 たとえば、私に気があると噂された男性が、すぐに私から離れて行って、代わりに付き合うようになった女性が、いつもユキだった。

 それが七年のうちに四度も続くと、さすがに悪寒が走る。

 新たな噂が立つと、その度に彼氏を乗り換えるのだ。

 考えてみれば、付き合った男性が可哀想になる。


 だから、ラメルは積極的にユキ嬢から距離を取った。

 そして、思ったものだ。

 自分は貴族家の娘で、幼少時から婚約者が決められているが、それで良かった、と。

 平民は自由恋愛をして結婚するというが、こんなときどうするのだろう、と思う。

 婚約者が明確にいるから、学園時代のお付き合いは、男女ペアで時間を過ごす、将来、夫婦生活を円滑に行うための予行練習と見做されており、その範囲で許容されるものだった。

 だが、ユキ・トンプソン子爵令嬢は、本気で私、ラメルの婚約者サイモン・ドリヴァル公爵令息までをも奪いかねない。

 そう思ったから、ユキをサイモンに紹介してなかったし、結婚式にも呼ばなかった。


 それなのに、彼女ーーユキ・トンプソン子爵令嬢が、ラメルの結婚披露宴にやって来たのだ。

 しかも、新婦であるラメル・フォール伯爵令嬢に張り合うように、色とりどりに咲き誇ったブーケを手に、純白のドレスを纏っていた。


 ラメル以外も、それこそ新郎の実家ドリヴァル公爵家のご親戚や友人の方々までが眉を顰める。

 だが、彼女、ユキは、そういった周囲の目を意に介さない。

 明るい表情で、


「私、勇気を振り絞って来たの!」


 と言って、新郎サイモン・ドリヴァル公爵令息の目を、まっすぐに見詰めた。

 新郎のサイモンも、今まで青褪めた表情だったのが、パッと顔を薔薇色に染めて、


「なんだよ。もう来ないのかと思ったよ!」


 と叫んでユキの許に駆け寄り、二人は抱き締め合った。

 そして、呆然と見ているラメルを睨み付けて、いきなり、


「この結婚は間違ってる。

 なしだ!

 僕はこの女性ーーユキ・トンプソン子爵令嬢と愛し合っている。

 もう誰にも、この愛を引き裂くことはできないんだ!」


 と大声で叫んだ。

 そしてユキ子爵令嬢も、勝ち誇った顔で皆を見渡し、


「ごめんなさい。私たち、真実の愛を見つけてしまったの」


 と言って二人は手に手を取って、披露宴会場から走り去り、逃げて行ってしまった。


 しかも、会場から背を向けて走り去る瞬間、ユキはラメルに褐色の瞳を向けて、


「ラメル様、ごめんなさいね!

 貴女の分まで楽しんでくるから」


 と口走り、新郎のサイモン・ドリヴァル公爵令息は、相変わらず怒った顔で、


「ラメル嬢。君とはおしまいだ。

 僕たちのことは構わないでくれ。

 恨みも泣き言も聞きたくない」


 と吐き捨て、サイモンとユキは二人して走り去ってしまった。


 ラメルはびっくりして、言葉を失った。

 披露宴の参列者も同様に呆然としている。

 あっという間に、披露宴会場は静まり返ってしまった。


 そしてしばらくすると、皆がラメル伯爵令嬢を、憐れみの目で見詰め始めた。


 ラメルの全身から熱が発せられて、顔が火照って仕方ない。

 まさに、穴があったら入りたい気分になった。


 結婚披露宴で、いきなり場外から現れた女性ユキと新郎サイモンが手を取り合って逃げ去り、代わりに、独り会場に取り残された花嫁ーーそれが私、ラメル・フォールなのだ。


 恥ずかしすぎる。

 憐れまれたって、何にも嬉しくない。

 会場から逃げ去った新郎サイモンに、ラメルは腹が立って仕方がなかった。


(よりにもよって、結婚直後に、あの『欲しがり女』、ユキ・トンプソン子爵令嬢と逃げ出すなんて。

 気移りしているんだったら、もっと前に言って欲しかった。

 なぜ、いっそのこと婚約破棄してくれなかったのよ!

 そうしてくれたら、結婚式を挙げることもなく、こんなに恥ずかしい思いをしなくて済んだのに!)


 ラメルは唇を強く咬み、血が滴り落ちるほどだった。


◆2


 ラメル・フォール伯爵令嬢が、衆人環視の下、恥辱に塗れてうずくまる。

 その一方で、会場から逃げ去った、サイモン公爵令息とユキ子爵令嬢の二人は、馬車の中で乳繰り合いながら哄笑していた。


 サイモン・ドリヴァル公爵令息は、豊かな金髪をバサッと掻き上げる。


「一度、こうした大事件を起こしてみたかった。

 見たか? あのラメルの呆気に取られた表情。

 いつもは取り澄ましているのに、両目を丸くして。

 あははは」


 なんでも卒なくこなすラメル・フォール伯爵令嬢に、サイモンは劣等感を感じていた。

 そんな婚約者に恥を掻かせることに成功して、スッキリした気分を味わっていた。


 自称「親友」のユキ・トンプソン子爵令嬢も同様だ。

 あの取り澄ましたラメルから新郎を奪ってやった、と得意の絶頂だった。

 亜麻色の髪を撫で付けながら、褐色の瞳を爛々と輝かせる。

 

「ほんとは結婚式の最中に突撃したかったんだけど、踏ん切りがつかなくって。

 だって、私のお父様とお母様、オーパ教の熱心な信徒だから、後になって『この罰当たりが!』って怒られて、何を言われるか、わかんないもの。

 だから、披露宴のときにしたの。

 やっぱり、貴方が、あの女、ラメルのモノになるのが許せなかった」


「おいおい、親友じゃなかったのかよ?」


「親友よりもオトコよ。

 決まってるじゃない。

 口ではどう言おうと、オンナの友情は(はかな)くてもろいってことは、内心、わかり合ってるものよ」


 結婚式の直後に、新婚夫婦で旅行に出るのは、ライト王国貴族にとって常識だ。

 馬車の御者は行き先をラメル嬢にあらかじめ聞かされていて、披露宴会場から脱け出して来た二人を新婚夫婦と信じ込んで、そのまま進んでいた。

 生活必需品を積載した馬車を一台、後続させた、長期旅行仕様だ。


 サイモンとユキの二人は身を寄せ合う。


「旅行先は?」


 ユキに訊かれて、サイモンは一枚の紙切れを懐から取り出す。

 披露宴の前に、ラメルから渡された計画表だ。


「ドメス帝国のウィンクル領だ。

 豊かな大自然の中、オーロラを見るんだとさ」


「まあ、素敵。

 いかにもラメルっぽい趣味ね!」


 実際、旅行プランは、ラメル伯爵令嬢が立てていた。


「私、貴方だけじゃなく、ラメルが作った新婚旅行のプランまで奪い取ったのね」


「君になら、僕は喜んで奪われてやるさ!」


「嬉しい!」


 サイモンとユキは、馬車の中で、誰憚はばかることなく、イチャイチャした。



 国境を越えて馬車は進み、白亜の宮殿のような建物の前で止まったのは、およそ五日後のことであった。

 王家や大貴族が泊まる、格式ある五つ星ホテルだ。


 ロビーでは名前を告げるだけで、ボーイによって最上階のスイートルームに通された。


「どうやら僕、サイモン・ドリヴァル公爵令息の名義で、ホテルの予約は取ってあったようだね」


「素敵! ラメルには、ほんとうに感謝しなくちゃね!」


 そのまま、豪華な天蓋付きのベッドの上で、二人は濃厚な夜を過ごした。


◇◇◇


 翌朝ーー。


 扉がコンコンとノックされる。


 サイモンは目を覚ます。

 ベッドでは、隣でユキが(イビキ)をかいて寝ている。

 サイモンは欠伸(あくび)をしながらガウンを羽織って、寝室から出た。

 そして、応接間、次いで出入口のドアへと向かう。


 ホテルとはいえ、スイートルームともなると、部屋が四部屋もあり、寝室の他に、ソファがある応接間、その他、多目的室が二部屋ある。

 セレブが高級ホテルを良く利用するのも、利便性と秘匿性、そして広さがあるからだ。


 ドアを開けると、緑色の髪を七三に分けた長身の紳士が、花束を手に立っていた。

 煌びやかな刺繍が施された衣装で、見るからに貴族然としている。


「ご結婚、おめでとうございます。

 花束を届けに参りました」


 親しみを込めた表情をしているが、サイモンはこの人物を知らない。

 初対面だ。

 だが、貴族相手に礼を失するわけにはいかない。

 応接間に通した。


 長身の紳士は花束は持ったまま、黄金色の瞳を輝かせて周囲を見回す。

 どうやら花束をサイモンではなく、他の誰かに渡す目当てがあるようだ。


「お初にお目にかかります。

 私、帝国のリップ・ウィンクル辺境伯でございます。

 当地の領主であり、当ホテルの支配人でもあります」


「それは、ご丁寧に」


 サイモンはリップと握手を交わす。

 リップは笑顔を絶やさず、言葉を継いだ。


「当ホテルは気に入ってもらえましたか?

 我が領地が誇る、最高のリゾートホテルです」


「ええ。素晴らしいですね。

 ところで、ご用件はーー?」


「お祝いに来ました。

 あのう、それで奥方様は?」


「ああ、まだ寝ているようで……」


 そのとき、ネグリジェ姿のユキが寝室から出てきて、応接間に顔を出してきた。

 初対面の、しかも男性に向けて、じつにあられも無い格好で、サイモンは顔を赤める。

 が、肝心のユキの方が意に介する様子もなく、そのままソファに腰を下ろした。

 なので、サイモンは慌てて立ち上がり、ユキの方角に手を差し向け、


「彼女が妻です。

 まだ起きたばかりで、失礼ではありますが……」


 と紹介する。

 すると、辺境伯を名乗る紳士リップは、手にしたブーケをバサッと床に落とした。


「この方が妻?

 貴方、サイモン・ドリヴァル公爵令息様ですよね?

 それなのに……」


 ユキは不思議そうな顔をもたげる。

 サイモンは愛想笑いを浮かべて、


「そうですが、それが何か?」


 と口にした。

 すると、リップ辺境伯は、対面のソファに腰掛けるユキに向けて指差した。


「サイモン・ドリヴァル公爵令息の奥方はラメル様のはず。

 お前は誰だ!?」


 サイモンとユキの二人は驚く。

 ラメル伯爵令嬢が計画した新婚旅行を奪った形なので、旅券や宿泊予約の名義が、サイモン・ドリヴァル公爵令息とラメル公爵令息夫人のままになっていた。

 なりすましとバレるのは良くないと思い、二人して反射的に、


「な、何を言っているんですか」


「そ、そうよ。私がラメルよ」


 と答えたが、リップ・ウィンクル辺境伯は大きく首を振って、二人を睨み付ける。


「ラメル様のことを、私が見間違うはずがない。

 このホテルは元は私の別荘だったのだが、それをホテルにして評価も五つ星にまで引き上げてくれたのは彼女だったんだ!」


 リップ辺境伯は、ラメルと顔見知りだったのである。


◇◇◇


 銀髪のラメル嬢と、緑髪のリップ辺境伯は、ドメス帝国辺境での舞踏会で知り合った。


 今から一ヶ月ほど前、ラメル・フォール伯爵令嬢は、ライト王国の大使館から招待されて帝国辺境ウィンクル領の舞踏会場にやって来た。

 外務省付きの派遣員だという。

 ラメル嬢はダークブラウンのドレスを身に纏い、美しい銀髪を靡かせながら、情熱的に踊った。

 リップ辺境伯も共にダンスを踊り、一目惚れした。

 そこでリップは片膝立ちになって、ラメル伯爵令嬢に求婚したが、あっさり断られた。

 ラメル嬢にはすでに婚約者がいて、一ヶ月後に結婚する予定だという。

 リップはガッカリしたが、同時に納得もしていた。

 貴族令嬢に婚約者がいるのは、当然だからだ。


 リップにも婚約者がいたが、不慮の事故で十年前に亡くなっていた。

 いまだ十歳の頃で、長年の幼馴染が亡くなった悲しさは感じていたが、恋人や妻を失った哀しさとは違う感覚だったと思う。


 とにかく、リップはラメル嬢のことをすぐに諦めたが、彼女の方が気を遣ってくれて、帝国に赴任中の五日の間、何度も会ってくれた。

 彼女はリップ辺境伯の領地ウィンクルの自然をずいぶん気に入ってくれた。


 リップ辺境伯の別荘に招待した際、ベランダに出て一緒にワイングラスを傾けた。

 その折に、ラメルは青い瞳を輝かせて言った。


「リップ辺境伯。ここ、ウィンクル領は素晴らしい所だわ。

 大地を見渡せば、広大な森林を覆う雪景色が広がっている。

 星々が瞬く夜空を見上げれば、赤や緑のオーロラが棚引く。

 こんな好立地、貴方ひとりが楽しむだけでは勿体ないわ。

 ぜひ、我がライト王国の者や、他の人々にも開放してーー。

 そうよ!

 この領主別荘を、ホテルにしたら良いのよ。

 訪れた人は、誰もがきっと感動するはず。

 ウィンクル領は、なんて素敵な所だろうと!」


 リップには、それまで領地で観光事業をするという発想がなかった。

 寒冷地ゆえに農作物は育たず、森林で伐採された木材や、獣を狩った肉などを輸出するだけで、細々と領地経営をしてきた。

 ラメル嬢の指摘によって、領主として光明を見出した気分だった。


 おまけにラメル伯爵令嬢は、懇意の建設業者や旅行会社に手配して、別荘をホテルに改築し、ガイドブックに五つ星ホテルとして掲載できるほどの高級施設へと、この領主別荘が生まれ変わる下準備をしてくれた。


 わずか五日ほどの共同作業だったが、どれほど楽しかったことか。

 ラメル嬢は自国に帰還する際、リップ辺境伯に向けてウインクした。


「まだ粗々な企画段階ですけど、リップ辺境伯様なら、絶対実現できますわ。

 この別荘も一ヶ月後には、ホテルとして生まれ変わっているでしょう。

 その時には真っ先に泊めてくださいね。

 新婚旅行の滞在先として」


 リップ辺境伯は複雑な思いを抱えながらも、笑顔でラメル嬢と別れた。

 あの女性と結ばれる運命の男性が、心底、羨ましいと、思いながらーー。


◇◇◇


 それから一ヶ月後ーー。


 あの美しく、聡明な銀髪のご令嬢が、オトコに捨てられたのだと知って、リップ辺境伯は驚愕の態となった。

 緑髪の長身リップは、黄金色の瞳を怒らせて叫んだ。


「何てことだ!

 結婚相手の男性が、別のーーそれも、こんなふしだらな女と、我がホテルに泊まり込むなどと!」


 黄金の瞳で睨み付けられ、ユキは改めて自分がネグリジェ姿なのに気づいて、両腕で自身の身体を覆う。

 顔を赤らめながらも、ユキは頬を膨らます。


「だって、朝から部屋に入ってくるのなんて、使用人か何かとしか思わないじゃない?

 まさか辺境伯様のような貴族の方がいらっしゃると知っていれば、化粧をしてドレスを決めてたわよ!」


 リップ・ウィンクル辺境伯は、緑髪を掻き上げ、長身をそり返す。


「我がホテル設立の功労者ラメル様だからこそ、このお部屋を用意したのに、まさか素性の知れない女を引き込むとは!

 我がホテルのスイートに、あなた方のような、夫婦でない者が泊まるのは許されない。

 我がホテルは、愛人との密会に使うような安宿ではない!」

 

 サイモンは両手を広げて、必死に弁明する。


「愛人だなんて。

 彼女も立派な貴族家の令嬢だ。

 事実上、僕の妻なんだ」


「では、ラメル様は!?」


 リップ辺境伯の問いかけに、ユキが、得意げに胸を張って答える。


「可哀想だけど、捨てられたわ。

 このヒトが、私を選んでくれたのよ!

 結婚披露宴の最中に、手と手を取り合って脱け出して来たの!」


 リップ辺境伯は呆然として、その直後、咆哮した。


「ひ、披露宴の最中に脱け出した、だと!?

 そんな鬼畜な所業が許されるのか!?

 お前らは、そもそも、ラメル様の気持ちを考えたことがあるのか?

 彼女は、結婚式と新婚旅行を、それはそれは心待ちにしていたんだぞ!」


 リップ辺境伯はドメス帝国の貴族であって、ライト王国に属してはいない。

 だが、どの国であっても、貴族家の婚姻となれば似たようなものだ。

 それぞれの実家や親戚筋のみならず、系列の派閥貴族の代表まで、大勢の客が招かれていただろう。

 王宮に出仕する者も、多く招かれていたに違いない。

 ラメル嬢は外務省で勤めていたから、王宮では広く顔を知られているだろう。

 それなのに、「別の女に新郎を奪われた花嫁」として噂になって、やがては国王夫妻にすら風聞が伝わってしまうに違いない。

 なんと、屈辱的なことであろう。

 そのような貴族令嬢を、今後、いったい誰が娶ってくれるだろうか。

 普通に考えたら、生涯独身、それも修道院送りにすらなりかねない状況だ。


 リップ辺境伯は涙を流して、拳を震わせる。


「なんで、そんなひどいことができるんだ。

 彼女の気持ちを考えたことがあるのか!?

 彼女の心を傷つけるようなことして、お前たちはなんて残酷なんだ!」


 すると、「親友」を自称してきたユキが褐色の瞳を細めて、うそぶく。


「彼女の気持ちですって?

 それよりも、私たちの気持ちが大切なんじゃなくって?

 私たちはお互い、とっても愛し合っていて、お互いになくてはならない存在になっているの。

 だから、他人の気持ちよりも、断然、私たちの気持ちのほうが大切なの。

 今後、私たちは永遠に愛し合うんですものね!」


 ユキは熱い視線を、隣にいるサイモン・ドリヴァル公爵令息に向ける。

 サイモンは、さすがにドン引きしていた。

 内心、(少しは時と場所を心得てくれよ!)と毒つきたい気分だが、その想いがユキには伝わる気配はない。


 リップ辺境伯は深い吐息をついてから、問いかける。


「今一度、確認する。

 披露宴の最中に脱け出したそうだが、それならば神前での婚姻の誓いは果たした後だと思う。

 それなのに、貴殿はほんとうに、ラメル様と離婚できているのか!?」


「ああ。

 披露宴から脱け出す際に、了承を得た。

 彼女も承知しているから、今頃はきっと離婚できているだろう」


「相手である貴殿が、不在なのにか?

 我がドメス帝国では不可能なことだ」


「それは……」


「信じられぬ。

 離婚していると、証明はできるか?」


「いや、それは……」


「だったらーー」


 リップ・ウィンクル辺境伯は、後方に少し振り向き、顎をしゃくる。

 すると、何人もの騎士が駆け込んできて、ユキの両腕を後ろに回し、拘束する。


「痛い、痛い。なによ!?

 寄ってたかって、淑女(レディ)に向かって!」


 リップ辺境伯は、冷然と言い放つ。


「既婚男性と同衾するような女を淑女(レディ)とは言わぬ。

 良くて愛人、悪くて一夜限りの売春婦だ」


「売春婦!?

 何てこと。失礼にも程があるわ!

 放して。私、王国に帰ります。

 お父様に叱ってもらうんだから!」


 キンキン声で喚くユキに対して、リップ辺境伯は忠告する。


「言っておくが、我がドメス帝国では、不義密通を働いた者は、両名とも死刑だ。

 それを良く心得て行動してもらいたい」


 サイモン・ドリヴァル公爵令息は青褪める。


「な!? 待ってくれ。

 断じて、不義密通などでは!」


「でも、貴方は、いまだラメル様の夫なのだろう?

 結婚しておいて、愛人と逃亡したのだから不義密通ではないのか?

 離婚していない状態だとすると、その女は愛人ーー不倫相手であるから、貴殿は立派に不義密通を働いたことになり、この国では二人とも死刑に処される。

 愛人ではない、懇意な関係ではない、と言い張っても、今度は、そこのユキなる女について身分を証明できない限りは、売春婦認定される。

 そうなれば、男である貴殿は助かるかもしれないが、売春婦の方は確実に死罪になるだろう」


 サイモンの顔から、血の気が退いた。


「そ、そんな。

 そうだ、我々は、このドメス帝国では外国人だ。

 帝国法をそのまま適用させるのは、間違っている。

 我がライト王国には、不義密通の処罰に関する法律はない。

 だから、彼女ーーユキの拘束を解け!」


 リップ辺境伯は両腕を組んで、二人を相手に凄む。


「それは出来ない。

 理由は幾つかある。

 一つにはホテル支配人として、身分のはっきりしない女が、格式ある我がホテルのスイートに、別人になりすまして宿泊したことを看過できない。

 高級ホテルとしての体面もあるが、法的にも、この女は立派に密入国者に相当する。

 我が帝国から、秘伝の絹織物の技術が、外国人に盗まれて久しい。

 帝国と王国の関係が、最近冷え切っている原因の一つだ。

 その外交上の滞りを緩和させるべく、貴国から派遣されて来たのがラメル様だったはずだがーーまさか、彼女の名義を使って密入国を果たす女が私の前に現れるとは、なんとも皮肉な巡り合わせだ」


 ユキは亜麻色の髪を振り乱して、金切り声をあげる。


「私、密入国なんてしてないわ。

 新婚旅行に来ただけよ!」


 サイモンはオロオロとするばかり。


「だから、新婚旅行って言うのはマズイんだって……」


 あたふたする二人を見据えながら、リップ辺境伯は淡々と言い諭す。


「とにかく、帝国領主として、私はその女を密入国者として拘束せざるを得ない。

 国境警備隊の連中は、私と同じように、貴殿とラメル様が新婚旅行に来ると聞かされていたから、貴殿の身元確認だけで入国させてしまったのだろう。

 だが、実際、その女はラメル様の旅券(パスポート)を勝手に用いて入国したうえに、ホテルに宿泊までしている。

 別人になりすまして入国していることだけで、立派に犯罪行為だ」


 サイモンはリップに詰め寄って反論する。


「だが、事情は説明しましたよね!?

 彼女はラメルに成り代わって新婚旅行にやって来ただけであって、それ以上の罪を犯していない。

 不義密通で裁こうにも、僕も彼女も外国人だから、帝国法で裁くのはおかしい。

 筋違いだ」


「それはどうかな。

 最近、国交が冷え切っているとはいえ、貴国と我が帝国は友好関係にある。

 たしか犯罪者は現地の法で裁くよう、取り決められているはず」


 サイモンは碧色の瞳を(しばたた)かせる。


「とにかく、僕はすでにラメル嬢とは離縁しているから、僕もそこのユキ嬢も互いに独身であって、不義密通罪には当たらない。

 それに、ユキ嬢は、たしかに他人の旅券で帝国に入国したけれども、悪意はなく、ましてや売春婦などではない。

 立派にトンプソン子爵家のご令嬢なんだ!」


 必死に弁明するサイモンを見て、リップ辺境伯は腕を組み、頷いた。


「貴殿の言い分はわかった。

 が、やはり、この女は拘禁させていただく。

 二週間、期間を設けよう。

 この女の解放を望むなら、一刻も早く、貴殿がラメル様と離縁して独身であること、そして、その女の身元を証明することだ。

 それに、私個人としては、ラメル様をここまで連れて来て、彼女の口から直接、事情を聞きたい」


「わかった。

 ラメル・フォール伯爵令嬢を、このホテルまで連れてこよう。

 最低、僕がラメル嬢と離縁していること、そして、そのユキ・トンプソン子爵令嬢が歴とした貴族家のご令嬢であることを証明しよう。

 出来れば、ユキ嬢の親御さんをお連れするかもしれない。

 それで良いな?」


「ラメル様も、この女の親御さんも、まずは本人に来てもらえると助かる。

 が、せめて正式な証書ーー離婚証明書や、身元証明書などを持ってきていただけると、ありがたい」


「承知した」


 サイモンは顔の向きを変えて、真剣な表情でユキに諭す。


「少しの間、数日間だけ、待っててね。

 すぐ戻るから。

 そしたらまた、僕と一緒に新たな旅に出よう。

 仕切り直すんだ。

 二人だけの新婚旅行をするんだよ。

 それまで、少しの間、辛抱して。

 すぐ戻るから」


 ユキは頬を膨らませ、プリプリ怒りながら言う。


「お願いね。

 できたら、お父様を連れて来て。

 そしたら、こんな野蛮な所、すぐに出られるんだから。

 あと、あの女は来なくても良いけど、キッチリと離婚してきてね。

 でないと、貴方と結婚できないのだから」


 サイモンは、チラとリップ辺境伯の方を見遣って、


「何を言うんだ。

 ラメル嬢とは、すでに離婚してるだろ?

 まるで、これから離婚するみたいに言うなよ。

 あははは」


 と言って、額に浮いた汗を手で拭う。

 そしてバタバタとした足取りで、外へと出て行った。


 リップ・ウィンクル辺境伯と、その部下たちは皆、眉間に皺を寄せていたが、拘束されたユキだけが、堂々とした態度で、


「私は歴としたライト王国の貴族、トンプソン子爵家の令嬢よ!

 まったく、うるさいことばっかり言って、いやね。

 お父様に懲らしめてもらうんだから!」


 と、周囲の者たちに向かって悪態をついていた。



◆3


 サイモン・ドリヴァル公爵令息は、帝国のリップ辺境伯から融通してもらった馬車を借りて、慌ててライト王国へ帰っていった。

 ドメス帝国の国境警備隊は、リップ辺境伯から事情をあらかじめ報されていたようで、無事に通過させてもらった。

 ライト王国領に入ってからは、身分を明かして王都へ向かう馬車を借り受ける。

 馬車に乗り込むと、サイモン公爵令息は拳をギュッと握り締めた。


(何としても、ラメルとは正式に離婚しないといけない。

 それも、披露宴が行われた日付にまで遡って。

 そうすれば、ユキとの関係が未婚であっても、互いに独身となるから、たとえ帝国法を適用されたとしても、不義密通の廉で問答無用で処刑されることはない……)



 サイモンは、まずは自分の実家、ドリヴァル公爵邸に馬車で乗り付けた。


 当初は、正直に現状を話して、父親に力添えを願うつもりだった。

 が、それは難しいと悟った。

 帰って来て顔を見せるなり、父親のオスロ・ドリヴァル公爵は口髭を震わせながら、怒声を張り上げたからだ。


「サイモン!

 貴様、新婦とは違う女の手を引いて披露宴を脱け出したかと思ったら、外国にまで逃亡しておったのか。

 ったく、国外にまで、恥を晒しに行きおって。

 国境に配置された馬車で帰還したそうだな!?

 これではすぐに王宮にまで、貴様の行動が筒抜けになるぞ。

 ああ、なんて恥知らずな」


 とてもユキ・トンプソン子爵令嬢が現在、ドメス帝国で囚われの身になっている、とは打ち明けられる雰囲気ではない。

 即座に、考えを切り替えた。

 まずは、自分とラメルが正式に離婚できるように着手することにした。


 リップ辺境伯には、すでに離婚していると言ったが、それは嘘だ。

 神前で結婚を誓った後に逃避行したゆえ、ラメルとはいまだ結婚したままだ。

 当然、これから慰謝料を払って、離婚するしかない。


 まずは父親に、ラメルが今現在、どうしているのかを問うた。

 が、父のオスロ公爵は首を横に振るだけ。

 彼女の現状を窺う(すべ)はないという。

 我がドリヴァル公爵家から、お詫びの使者を何度も派遣したものの、会ってすらくれないとのこと。


 父のオスロ・ドリヴァル公爵は、苦虫を噛み潰す。


「それも当然だ。

 十年以上もの婚約関係を経た結婚相手に、披露宴で別の女と逃避行されたのだ。

 ラメル嬢の心労は計り知れない。

 その意味では、私に会いに来る前に、貴様が真っ先に会うべき相手は、ラメル嬢であろうに。

 せめて、彼女に詫びて来い」


 サイモンは、文字通り手をこまねいて、モジモジする。


「でも、今更、どのツラ下げて……」

 

「ためらっている場合か!

 子供じゃないんだから、いつまでも親に尻拭いをさせるな!

 貴様は成人式も挙げているし、形だけであろうと、結婚式も披露宴も行った、立派な大人なのだ。

 それなのに、他所の女と逃避行したんだから、自分で責任を取りなさい。

 私は親の務めは果たした。

 詫びの使者を何度も派遣し、慰謝料も言い値で払うと、向こうの両親には伝えてある。

 あとは当人である貴様だ。

 私たちは、もう親として彼女には謝罪した。

 貴様はまだ、謝ってすらいないだろ」


 言われるまでもない。

 もちろん、サイモンはフォール伯爵邸に謝罪しに行くつもりだった。

 ラメル・フォール伯爵令嬢は辺境伯とも懇意なようだし、何とか仲裁してもらいたい。


 だが、当面の危機は、こうして行動の自由を得ている自分より、売春婦扱いで囚われの身となっているユキ・トンプソン子爵令嬢に訪れている。


 サイモン・ドリヴァル公爵令息は意を決して、現状のありのままを伝えようとした。


「父上。じつは、僕が一緒に逃避行したユキ子爵令嬢は、今ーー」


 ところが、父はすべてを言わせてくれなかった。

 耳を両手で塞いで、大きな声で言い放った。


「うるさい!

 あんな女の話は聞きたくない。

 別派閥の、しかも低位の貴族家に易々と乗ぜられるとは。

 我が息子とは到底、認められん。

 念の為に言っておくが、逃避行を共にした、非常識な女の実家なぞ相手にするより、ラメル嬢が引き篭もっているフォール伯爵邸へ行くのだぞ。

 良いな!

 真っ先にラメル嬢に謝罪するべきなのだ!」

 

 サイモン・ドリヴァル公爵令息は、歯噛みした。

 ようやく実家の置かれている政治状況に思いが至ったのだ。


 父はラメル嬢の父親アーロン・フォール伯爵と懇意で、共に派閥を盛り上げてきた経緯があった。

 それなのに、ユキ嬢と付き合うことを楽しむばかりで、互いが関係を深めたら、実家にどういう影響を及ぼすのか、サイモンは考えもしなかった。

 父親から、「貴様もドリヴァル公爵家の嫡男として、思慮深くならねばならない」と、良く苦言を呈されてきた。

 が、事ここに至って、ようやくその言葉の意味が身に染みるようになってきた。

 自分が新婦ラメルを披露宴に独り置き去りにしたことによって、ドリヴァル公爵家とフォール伯爵家の父親同士の友情や信頼関係までをも壊してしまったのだ。

 しかも別派閥ーーそれも王宮内で激しい鍔迫り合いをしている内務省のバクルト公爵の派閥に属するトンプソン子爵家の娘ユキと自分は逃避行してしまった。

 たしかに、これは失態だった。

 実家の派閥関係にまで、意識が回っていなかった。



 それでも、サイモン・ドリヴァル公爵令息が次に向かった先は、ユキ嬢の実家であるトンプソン子爵邸だった。

 せめてご両親を連れて行けば、ユキ嬢の身柄を保証できて、釈放されるだろう。

 そう思ったのだ。


 ところが、ご両親の顔を見ることさえできなかった。

 トンプソン子爵邸の門は固く閉じられたままで、ご両親は顔を出してすらくれない。

 サイモンは門番に、ユキ嬢が帝国で抑留されている現状をしたためた手紙を門番に手渡すと、門前で大声を張り上げた。


「娘さんの身が危ないのです。

 心配でしょう!?

 助けられるのは、ご両親だけなのです!」


 書状がユキ嬢の父親コナン・トンプソン子爵に届いたのだろう。

 やがて、白髪の老いた執事が門脇の扉を開けて出てきた。

 そして主人の返答を伝える。


「他家の縁談を面白半分に壊すような、そんな恥知らずな娘は、もとより我がトンプソン子爵家にはいなかった。

 仮にいたとしても、その娘については、共に手を携えて逃避行した、貴方が責任を持っていただきたい。

 貴方が連れ去ったのだから、貴方が責任を持って、その娘を守るべきだ。

 我がトンプソン子爵家とは何の関係もない。

 貴族社会の規則に外れたことをした女は、我がトンプソン家の娘だとは認められないし、保釈金を支払う義理もない。

 他貴族の披露宴を踏み躙り、新郎を奪うなどといった鬼畜な所業ーーどの貴族が聞いても支持されるわけがない。

 事実、我がトンプソン子爵家は、バクルト公爵の派閥からも外され、親戚縁者からも疎まれ、国王夫妻ですら『取り残された花嫁』であるフォール伯爵家のラメル嬢を気遣って、我がトンプソン家から子爵号を剥奪しようかと検討し始めたと聞く。

 奥方も部屋に篭って『育て方を誤った』と泣き暮らす毎日となった。

 新郎に逃げられたラメル嬢も、さぞ辛い日々を過ごされているかと思われる。

 ゆえに、我が家の見解としては、フォール伯爵家の令嬢に申し訳なく思うのみ。

 繰り返しになるが、結婚式を挙げたばかりの披露宴の場で、新郎を奪うなどという破廉恥な所業をなすような女が、我がトンプソン子爵家の娘であるはずがない。

 それが唯一の答えだ。

 貴方もぜひ、お引き取りを。

 これ以上、妄言を呈するのなら、貴方のご実家に訴えますぞ!」


 老執事から、トンプソン子爵家の当主コナン子爵の言葉を聞いて、サイモンはショックを受けた。

 思っていた以上に、風当たりが強い。

 まさか、ユキ嬢の両親までが、娘を見捨てて、親子の証明すらしてくれないとは!


 こうなったら、元婚約者であるラメルに助けてもらうしかない。

 サイモンは覚悟を決めた。


(身体ごとぶつかってやる。

 なに、ラメルなら、僕を許してくれるさ。

 子供の頃から、彼女の髪を引っ張って遊んでも、服に泥を擦りつけて笑い者にしても、謝れば、彼女はいつも許してくれたじゃないか。

 大丈夫だ……)


 そう自分に言い聞かせたのである。



 半刻後、サイモン・ドリヴァル公爵令息は、フォール伯爵邸に到着した。

 フォール伯爵邸は、サイモンの実家ドリヴァル公爵邸にほど近い位置にあり、緑色の屋根をした、クリーム色の瀟洒な屋敷である。

 だが、麾下の騎士団員が多いために広大な庭を有しており、屋敷の玄関には黒鉄の厳つい鉄門が立ちはだかっていた。


 ラメルとの婚約時代は、いつも開け放しであった門が、今日は固く閉じられていた。

 またもや門前払いを喰らうのか、とサイモンは絶望したが、馬車を降り、顔馴染みの門番に来訪を告げると、あっさりと門が開かれた。


 サイモンは、とりあえず胸を撫で下ろした。


(使者をも拒絶したというけど、案外、簡単じゃないか)


 玄関口には、見慣れた執事が立っていて、扉を開けてくれた。

 サイモンは悠然とした足取りで玄関に入った。


 その途端ーー。


 いきなり何者かがナイフを手にして、襲いかかってきた。


「うわっ!?」


 サイモンは思わず身を逸らす。

 襲ってきたのは、赤い髪に赤い衣装を纏った、全身、赤ずくめの貴族婦人だった。

 ラメルの母親ラシーヌ・フォール伯爵夫人である。


 ラシーヌ伯爵夫人は、赤髪を震わせ、激怒していた。

 両手で持つ刃物は白く光り、青い瞳で睨み付けてくる。


「許せない。

 良くも娘の心を、ラメルの将来を踏み躙ったわね!」


 中年女性の気迫に押され、サイモンは恐れ慄いて、ひっくりこける。

 その拍子に、伯爵夫人が突き出したナイフが、彼の左脚の太腿に突き刺さった。


「ぐわっ!」


 血飛沫が上がる。

 返り血を浴びながら、ラシーヌ伯爵夫人はケタケタと笑う。

 異常事態だ。


「だ、誰か、助けて!」


 サイモンは鮮血を撒き散らしながら、ジリジリと床を這いずり回る。


 だがしかし、執事や侍女が大勢いるにもかかわらず、皆、突っ立ったまま。

 誰もサイモンを助けようとはしなかった。


 母親のラシーヌ伯爵夫人は、再びサイモンに襲いかかる。

 今度は、仰向けになったサイモンの身体に馬乗りになった。

 そして、血濡れたナイフを振りかぶる。


「ちくしょう。ざけんな!」


 サイモンも必死に抵抗する。

 ナイフを持つ伯爵夫人の両手を掴んで、振り下ろすのを押し留める。

 そして、怪我をしていない右脚を動かして、ラシーヌ伯爵夫人を蹴り飛ばす。


「この人殺しが。これは正当防衛だ!」


 今度はサイモンが、床に転げ落ちた、血塗れのナイフを手に、立ち上がる。

 そして、壁際に倒れ伏す中年女性ラシーヌに襲いかかろうとする。


 そこへ、「止めろ!」との号令がかかった。


 フォール伯爵家の使用人たちが、いっせいに動く。

 三人の侍女が奥方を庇って取り囲み、二人の執事がサイモンの腕を叩いて、ナイフを床に落とし、彼の身体を羽交締めにする。


 奥から姿を現したのはアーロン・フォール伯爵ーーラメル嬢の父親だった。

 腰に剣を提げ、革製の防具を装着した、武張った出立ちである。


「どうして止めるのよ!」


 と、金切り声をあげる奥方のラシーヌ伯爵夫人に、旦那のアーロン伯爵は優しく諭す。


「この男は君が殺す価値もない。

 人間のクズだ」


 妻は夫の言葉に同意しつつも、その意見に従うつもりはなかった。


「だったら、どうだって言うのよ。

 娘の人生を返して!

 許せない。

 私がコイツを殺したって、きっと罪にはならないわ。

 誰がこのクズに同情するっていうのよ!?」


「ああ、ラシーヌ。

 君が自ら手を汚すこともない、と言っているだけなんだ」


 フォール伯爵家の当主アーロン伯爵はゆっくりとした足取りで進み、目の前で、使用人に押さえ込まれた若者サイモンを、冷然と見下ろす。


「出来れば父親である私の手で、この小僧を葬ってやりたい。

 だが、それも短慮に過ぎよう。

 本気で娘の将来を思うなら、この男の処断は王国の司直に任せるべきなのだ。

 それは、わかっている。わかっているんだ……」


 アーロン・フォール伯爵は銀色の頭を自らの手でクシャクシャに掻き回す。

 碧色の瞳には、明らかに狂気の色が宿っていた。


 サイモンは信じられないものを見る思いだった。

 婚約相手であったラメル嬢のご両親とは長い付き合いだ。

 優しく微笑むラシーヌ伯爵夫人から、お茶を淹れてもらったことが何度もある。

 その伯爵夫人が般若の如き形相で、ナイフを手に、自分に襲いかかってきたのだ。

 そして、いつも朗らかに肩を叩いて歓談してくれたアーロン伯爵が、あたかも屠殺する前の豚か何かを見るように、自分のことを冷たい目で見下ろしているーー。

 自分が披露宴を脱け出したことによって、どれほどの変化があったかを思い知った。


 いまだにアーロン伯爵はブツブツと、恐ろしいことを口走っている。


「そうだな、どうせなら我が手で、このクソガキの首を刎ねて、父親のオスロ・ドリヴァル公爵に差し出すのも良いか?

 長年、手を取り合ってきた報いがこの有様だ、と。

 互いの子供を不名誉で死なせてしまったのだ、と。

 ウチの可愛い娘は、今や恥に塗れた傷モノーー貴族令嬢としては死んだも同然。

 もう王国内では、満足のいく縁談は望めないだろう。

 いや、そうだな。

 ドリヴァル公爵家よりも、まずはトンプソン子爵家に鉄槌を下さねば。

 王宮にはすでにトンプソン家から子爵号を剥奪するよう訴えている。

 だが、それでも足りない。

 フォール伯爵家の全勢力を挙げて叩き潰す。

 トンプソン子爵家は豊かな農園を領有しているが、その田畑のことごとくを、我がフォール伯爵家の騎士団や領民らを動員して踏み荒らし、作物を奪ってやる。

 そうだな、トンプソン子爵家の後ろ盾になっているバクルト公爵家にも兵を差し向けるか。

 バクルト公爵家は金融に強いが、実行兵力は乏しい。

 我がフォール伯爵家は先々代の陛下のご下命により、外務省付きの武官を踏襲するようになったが、三代前までは近衛騎士団の団長を務めてきた。

 おかげで抱える騎士団は王国でも群を抜いている。

 短期決戦に持ち込めば、相打ち程度には持っていけるかもしれんーー」


 無表情なままにひとりごちるアーロン伯爵の様子を目にして、サイモンは心底、肝を冷やした。

 ゆらりと立ち上がり、上目遣いで窺うようにしながら宥めようとした。


「お、恐れながら、アーロン・フォール伯爵。

 その心配には及びません。

 トンプソン子爵家は、すでにバクルト公爵家の派閥から追い出されたそうです。

 それに、そんなことをしたら、国を挙げての内乱になりかねません。

 国王陛下がお許しになるとはーー」


 脚を震わせながら語るサイモンに、アーロン伯爵は両目をカッと見開いて、またもや怒声を発した。


「だったら、貴様のやったことは問題ない、とでも言うのか!

 新婦を披露宴会場に置き去りにして、別の女と逃げ去った新郎には、問題がないのか?

 国王陛下がお許しになるとでも!?」


「そ、それは……」


 アーロン伯爵は、腰に帯びた剣を引き抜く。


「やはり、この手で貴様を成敗してくれようか!?

 我が愛する妻の手を、血に染めるぐらいなら……」


「ああああ……!!」


 サイモンは喉を震わせるが、声にならない。

 使用人たちに押さえ込まれたままにへたり込み、失禁する。


 そこへ、声がかかる。


「おやめください、お父様」


 二階からラメル嬢が、青いドレス姿で、降りてきたのだ。

 その途端、アーロンとラシーヌの両親は、明るい顔になる。


「ああ、良かった。

 元気そうじゃないか」


「心配したのよ。

 ずっと篭り切りだったでしょう?」


 ラメルはドレスの裾を摘み上げて、頭を下げる。


「ご心配をおかけしました。

 でも、私ももう成人した貴族婦人です。

 このような不義理な男相手に、気後れするつもりはございません。

 お父様もお母様も、手出しなさらず。

 私一人で、この男を処断いたします」


 ラメルは、サイモンを押さえ込む執事に命じる。


「この男の傷の手当てを。

 それから応接間を空けておきますから、連れてきてちょうだい」


 床にへたり込む元婚約者に手を差し伸べることもなく、ラメルは背を向けて、先に応接間へと向かって行った。



 簡単な手当てを受けた後、サイモンが応接間に着くと、ラメルは上座のソファで、腕を組んで座っていた。

 婚約者同士だったときには、ついぞ見られなかった態度である。

 サイモン・ドリヴァル公爵令息は、彼女の足下で、即座に土下座した。


「助けてくれ、ラメル!

 君の親友、ユキ・トンプソン子爵令嬢が、ドメス帝国で拘束されたままなんだ。

 君は知っているんだろう?

 リップ・ウィンクル辺境伯だよ。

 彼が怒ってるんだ。

 てっきり僕が君と新婚旅行でやって来たと思っていたら、同伴していたのがユキ子爵令嬢だったから、話が違うって。

 君と親しい男性が、帝国貴族にいるだなんて、知らなかったんだ。

 君、意外と外務省で活躍してたんだね。

 知らなかった。

 それにしても、随分と君はリップ辺境伯と仲が良かったようだね。

 僕という婚約者がありながら。

 僕も妬けたよ。

 でも、許す。

 許すから、君も僕とユキ嬢を寛大な心で許して欲しい。

 ーーそうだ。

 まずは離婚証明書ーーコイツを持ってきたから、これにサインしてくれ。

 僕と君が離婚していないと、これから何かと君も困るだろ?

 詳しい事情は省くけどさ、なんかリップ辺境伯が、君と僕が離婚していることを証明しないと、ユキ嬢を釈放してくれないんだ。

 おまけに、僕まで捕まえるって息巻いているんだ。

 はははは。

 ドメス帝国は野蛮っていう噂、ほんとだよね。

 な? 悪かったって。

 このままじゃ、僕も君も、新たなお相手と結婚できないでしょ。

 だから、ね?」


 サイモンは離婚証明書をラメルに向けて両手で捧げ渡すと、再び土下座して、深々と頭を下げる。

 婚約時には決して見せたことない、卑屈な態度だった。

 でも、書類に細かな細工をすることを忘れなかった。

 こっそり離婚日時を、結婚式当日に記載したのだ。

 これで辺境伯相手に、ホテルで宿泊したときにはすでに離婚していたと誤魔化すことができる。

 うつむきながらも、サイモンはほくそ笑んでいた。


 が、耳にビリビリといった音が響いてきたので、慌てて顔を上げる。

 女の足先から太腿、そして上半身へと視線が移っていく間、白い紙切れがハラハラと宙を舞っていた。

 ラメル伯爵令嬢が、離婚証明書を破り捨てたのだ。


「な、なんてことを!

 き、君はユキ嬢をーー親友を殺すつもりなのか!?

 婚約者だった僕が土下座までしてるのに。

 なんて非情な……!」


 そこまで喋った段階で、口が塞がれた。

 ラメルの足の裏で、顔ごと押し付けられ、口を塞がれたのだ。

 ラメルが脚を伸ばし、サイモンの顔面を踏ん付けたのである。


 サイモンが呆気に取られていると、ラメルは立ち上がり、叱責した。


「サイモン様。

 何でもかんでも、思い通りになると自惚れないで!

 貴方は披露宴から逃げ出すとき、言ってらしたわよね?

『君とはおしまいだ。僕たちのことは構わないでくれ。恨みも泣き言も聞きたくない』と。

 その言葉を、今こそ、そっくりお返しします。

『貴方とはおしまいだ。私のことは構わないでくれ。恨みも泣き言も聞きたくない』と!」


 サイモンは屈辱で顔が真っ赤となり、両目から涙が溢れ出した。


「ちくしょう!

 なんだよ、いつもいつも、取り澄ましやがって!」


 声を裏返しつつ、サイモンは立ち上がり、目の前の女に襲いかかろうとする。

 が、あっさり撃退された。

 簡単だ。

 ラメルは再び脚を伸ばして、踏み付けにするだけで良かった。

 今度は顔面ではなく、サイモンの左腿を踏み付けにしたのだ。

 母によってナイフで刺されたために包帯で巻かれた左脚の太腿を。


「痛い! 痛い!」


 サイモンは悲痛な叫び声をあげ、もんどり打って倒れた。

 そのまま両手で、包帯を通して血が滲み出た傷口を押さえて、うずくまる。

 金髪を震わせながら、歯を食いしばり、碧色の瞳から涙を流す。

 もはや痛みで、悪態もつけないようだ。


 ラメル伯爵令嬢は蔑んだ目で見下ろす。


「お帰りいただいて」


 ラメルの一声で、フォール伯爵家の使用人たちが駆け寄って、床で震えるサイモンを抱え上げる。


 ラメル伯爵令嬢はそのまま、元婚約者に背を向けた。

 サイモンは二人の使用人に掴み上げられた状態で、ラメルに声をかける。


「ま、待ってくれ。

 このままでは、彼女がーーユキ嬢が死刑になってしまう。

 ほんとなんだ。

 ユキのためなんだ。

 生命を助けると思って。な?

 親友なんだろ!?」


 振り向きもせず、ラメルは背中で答えた。


「親友?

 披露宴で新郎を奪って得意になる女が?

 あんな女、私が助けてあげる義理はないわ。

 彼女に伝えてあげて。

 私の代わりに行った新婚旅行、せいぜい最期まで楽しんでね、と」


 そのまま応接間から、ラメルは立ち去って行った。

 サイモンは、ガックリと項垂れる。

 やがて、使用人たちに抱え込まれて、門外へ放り出されたのだった。


◆4


 かくして、ライト王国に滞在すること一週間ーー。


 サイモンは、実家のドリヴァル公爵家、ユキ嬢の実家トンプソン子爵家、元婚約者ラメルのフォール伯爵家、そのほか親交のあった貴族家や学園時代の旧友を訪ねた。

 外国で拘禁中のユキ嬢が釈放されるための助力を求めて、駆けずり回ったのである。


 ところが、披露宴で別の女性とバックれたという事実は、サイモン・ドリヴァル公爵令息の人物評価を著しく低下させていた。

 大概の者は面会すら拒絶し、会話すらできない。

 会ってくれた人も、その後の経緯をゴシップ的に知りたがるだけで、力添えしてくれる者は皆無だった。



 仕方なく、サイモンはドメス帝国のウィンクル辺境伯領に戻った。

 タイムリミットの二週間が過ぎようとしていたからだ。


 五つ星ホテルに戻ってきたが、馬車から降りたサイモンの顔は正気を失い、両目もうつろだった。

 従業員用の出入口に向かって、片脚を引き摺りながら歩く。

 ボーイに手伝われながら、サイモンは支配人室へと辿り着いた。


 リップ・ウィンクル辺境伯が、それまで執務机を前にしていたが、顔を上げ、黄金色の瞳を細めた。


「刻限を守っていただき、まずは感謝、というところか。

 本日中に貴殿が顔を出してくれなければ、地下室のあの女は、監獄へと送り込まれるところでしたよ。

 おや。その脚、怪我をなさいましたか。

 どうして?」


 サイモン・ドリヴァル公爵令息は、黙ってただ首を横に振るだけ。

 リップ辺境伯はサイモンにソファに座るように勧めて、会話を続けた。

 サイモンの後ろ左右には、屈強な身体付きの騎士が直立している。


「言いたくないのなら、構わない。

 さて、帰国した成果について、聞かせてもらおうか。

 国境警備隊からの報告によれば、同行者は一人もいないようだな。

 彼女ーーラメル様は?

 来てくれなかったのか?

 あの女の親御さんも?」


 サイモンは力なく頷く。

 金色の前髪はだらしなく垂れ下がり、碧色の瞳には生気がなかった。


 リップ辺境伯は、机をトントンと指で叩きながら、語気を強める。


「では、書面による証明は?

 あの女の身元証明、そして貴殿が、ラメル様と離婚していることの証明ーー。

 は? あの女の親には会ってすらもらえず、離婚証明書はラメル様に破かれた、と?」


 リップは呆れたように、目を丸くする。

 それから、しばらくの間、沈黙が場を支配した。


 その後ーー。


「はっははは!」


 とリップ辺境伯は大きな声をあげて笑い、緑髪をバサッと掻き上げた。


「やはりな。

 そりゃ、そうだろうよ。

 披露宴の最中に、新郎が新婦ではない女と逃げ出した、なんて下衆で野蛮なこと、共和民主国とかいう新興国でも起こりはせんよ、きっと。

 あったとして、大衆に向けた芝居か何かぐらいだろう。

 知性と良識がある貴族に実行できるものではないわ。

 とにかく、これでは貴殿が彼女と離婚していた、ということが証明できないな」


 ここでようやく、サイモンは気力を振り絞った。

 さすがに、ここは強い態度で受け応えしないと、ヤバい気がする。


「いや、後日、いずれは、必ず証明してみせる。

 まだ、本国の貴族社会がゴタゴタしているが、いずれは鎮まって、僕とユキ嬢が許される時が来ると思う。

 だから、今日のところは、とりあえずユキ嬢を監禁状態から解放してくれ!」


「ふむ。貴殿は、あの女にご執心か」


 リップ辺境伯は片手を挙げ、騎士に合図を送る。

 すると、扉が開いて、ユキ嬢が引っ張り出されてきた。

 両腕を後ろに回されて拘束されてはいるが、それなりの扱いを受けてきたようで、衣服は綺麗に糊付けまでされていて、上から、ホテルで支給されたガウンを羽織っている。

 亜麻色の髪からは、ほんのりと甘い香りまで漂ってきており、お風呂にも入っていたようだ。


 リップ辺境伯はユキ嬢を一瞥した後、再びサイモンを正面から見据えた。


「では、この娘が子爵家の令嬢だと証明することは?」


 サイモンは申し訳なさそうにユキ嬢を見遣ってから、ゆっくりと首を横に振る。


「コナン・トンプソン子爵は、証明してくださらなかった。

『他人の披露宴の最中に、新郎と逃げ去るような、ふしだらな女は、我が家の娘ではない』と……」


「嘘! お父様が!?

 そんなの、嘘よ!」


 ユキが甲高い声をあげるが、男たちは聞き流して話を進める。

 リップ辺境伯は、黄金色の瞳を細めて、腕を組む。


「女の身元は証明できぬ、と。

 ふむ。

 王国貴族家のご令嬢とは、未確認か。

 とすれば、やはりこの娘は、売春婦として裁くしかなさそうだな」


 ユキは褐色の瞳を見開いて、癇癪を起こす。


「失礼なことを言わないで!

 私は売春婦なんかじゃないわ。

 サイモンと一生涯の愛を誓い合った仲なのよ!」


 リップ辺境伯は大きく頷くと、サイモンの背後に控えた騎士たちに目配せして、右手を前に突き出した。


「ならば、二人とも拘束せよ!」


 ユキだけでなく、サイモン・ドリヴァル公爵令息も、腕を後ろに回されてロープで縛り上げられる。

 サイモンは驚いて、うわずった声をあげた。


「な、なぜだ!?

 姦通罪には当て嵌まらないはずだ!」


 ユキもサイモンに追随して、文句を言う。


「そうよ。

 身分とか夫婦とか、そういった表面的な関係ではなしに、愛し合ってる二人が一緒にいて、何が悪いの?

 二人の愛は引き離せないんだから!

 私たちは披露宴を脱け出し、手に手を取って、こんな辺鄙な田舎にまで来たってのに!」


 リップ辺境伯は椅子から立ち上がり、後ろ手に縛られた男女二人組の前に立つ。

 リップ・ウィンクル辺境伯は、二人組よりも遥かに長身なため、まさに上から目線で語る格好になっていた。


「今一度、説明するから、良く聞くことだ。

 まず、二週間前の宿泊証明書では、サイモン・ドリヴァル公爵令息は、ラメル様の夫とされている。

 が、ラメル様とは別の女ユキを連れて、当ホテルで宿泊している。

 しかも、貴族だというから、特別に許可をして本国に帰ってもらったのに、この女、ユキの身分証明すらできない。

 となれば、そのユキなる女を、偽の証明書で密入国した犯罪者として処断するほかない。

 さらに言えば、サイモン殿、貴殿がラメル様と結婚していたことになるのだが、だとすれば不倫関係者が、我が領地が誇るホテルで、虚偽の申告で宿泊したことになる。

 そして、妻でない者と宿泊したとすれば、姦通罪が適用される。

 ちなみに、我が国では、合意の上の長期に渡る姦通関係にあった者は、両名とも死罪と決まっている。

 もっとも、この女が素性も知らぬ売春婦なら、このユキという女を死罪に処するのみだがーー」


 ユキは地団駄を踏みながら、泣き叫んだ。


「私は子爵家の生まれよ!

 売春婦じゃないし、そもそも私たちは不倫なんかしてない!」


 顔を赤くして泣き喚くユキと対照的に、サイモンは青褪め、身を震わせていた。

 さすがに姦通罪になるのはマズイと考えたようで、急に発狂したように声を荒らげた。


「こ、コイツは娼婦だ。

 こんな女、僕は知らない。

 僕は付き合ってなんか、いないんだ!」


 サイモンの、突然の心変わりを見て、ユキは目を丸くする。

 隣にいるサイモンに、グイグイと身を寄せようとする。

 後ろで縄を持つ騎士が引き摺られるほどの力強さだ。


「ひどい!

 貴方だけが助かろうっていうの!?

 必ず私を幸せにすると言ってたのに!」


 すると、サイモンは少し身を屈め、ユキの耳元で、小声で囁く。


「バカ。このままじゃ二人とも死刑だぞ。

 だから、まずは僕が無罪放免になって行動の自由を得て、それから君を助けるためにーー」


 サイモンは色々と話すが、ユキは聞く耳を持たない。


「なによ、あの女からの助けすら得られなかったじゃない!

 せめてウチの親から、娘であると証明してもらってよ!

 ひどい、ひどい!」


 これ以上、二人が騒ぐ様を見ていても、埒が明かない。

 リップ辺境伯は、すでに両者の拘禁を決したのだ。

 処罰がどのように定められようと、今やるべきことは監獄へと連行することだ。


 騎士は縄を引き、サイモンを引き摺ろうとするが、


「やめろ! 僕は無実だ。

 自由にさせろ。

 外交問題になるぞ。

 野蛮な帝国人め!」


 と騒いで抵抗する。

 リップ辺境伯は片手を額に当て、吐息を漏らす。


「ったく、うるさい御仁だ」


 そう口にすると、負傷しているサイモンの左脚の太腿をひと蹴りした。


「があああ!」


 サイモンはうずくまり、涙を流す。

 相当、痛いようだ。

 傷口が塞がらず、膿んでいるようだ。


 それでも、手荒く扱うのみである。

 リップ・ウィンクル辺境伯は、騎士たちに命じた。


「目障りだ。連れて行け。

 揃って監獄塔送りにせよ!」

 

◆5


 それから、約一年後ーー。


 リップ・ウィンクル辺境伯からのお誘いがあったので、ラメル・フォール伯爵令嬢は、久しぶりに帝国領ウィンクルへとやって来た。

 馬車から降りたところを、緑髪の長身貴公子が手を差し伸べ、銀髪のラメル嬢をホテルロビーへとエスコートしてくれた。


 ラメル伯爵令嬢は、白い息を吐きながら謝った。


「途中、雪に降られたおかげで、馬車が進まず、こんな遅くに到着して。

 ごめんなさいね」


 リップ辺境伯は、丁寧にお辞儀する。


「いいえ。天候には逆らえませんから。

 で、貴女の夫に会うのですか?」


「やっぱり、生きてたんだ……」


「ええ。なんとも扱いかねていましてね」


 大使館を通じてライト王国に問い合わせたら、実家のドリヴァル公爵家やトンプソン子爵家からは、揃って「そんな人物は知らない」と言われていた。

 かといって、身なりや、本人たちの弁明から、貴族家の出自であることは明らかだ。

 それに姦通罪を外国人に適用し、死刑に処するのは(はばか)られる。

 いかなる処罰にしようとも、外交問題に発展しかねない。

 結局、皇室による裁可が下るまで、拘束しておくことになった。



 歓迎を兼ねた晩餐会を終えて、夜になった。

 満天の星空の下、ラメル伯爵令嬢は、リップ辺境伯に誘われて、監獄塔へ出向く。


 塔の三階、松明で明るく照らされたところで、ラメル嬢は、檻の中にいるサイモンに面会した。

 久しぶりに顔を見たが、結婚式のときとは違い、怒った顔はしていなかった。

 ヘラヘラと卑屈な笑みを浮かべていた。

 さすがに、母のラシーヌ伯爵夫人に抉られた脚の傷は完治している。

 健康そうな様子で、真っ当な食事をいただけているようだ。

 一般的な囚人とは違って、本を読んだり、チェスをしたりと娯楽に富んだ生活をしていた。

 が、囚われの身であることには、変わりない。


 サイモンは開口一番、実家であるドリヴァル公爵家の近況を訊ねてきた。

 なので、ラメル伯爵令嬢は端的に答えた。


「貴方との離婚もできたし、ドリヴァル公爵家の方々からは、良くしていただいたわ」と。


 一年を経て、ラメルとサイモンの事実離婚が成立した。

 慰謝料として、ドリヴァル公爵家から、家屋敷や土地などの資産をラメルはもらっている。

 ちなみに、サイモンについては廃嫡のうえ勘当処分となり、嫡子として弟のドノヴァンが立てられていたが、それについてはラメルは口にしなかった。


 サイモンは覚悟していたようで、何も言わなかった。

 が、ラメルが莫大な慰謝料を得たと知って、憤慨する者もいた。


「なによ!

 アンタばっかし上手いことやって、忌々しい!」


 隣の檻から、甲高い叫び声がひびく。

 牢屋がもう一つ、壁一枚隔てて隣り合っていた。

 ユキ・トンプソン子爵令嬢が、檻の鉄格子を両手で掴みながら、顔を出していた。


 ユキはボロボロの囚人服を身に纏っていた。

 他人の名義を使って、妻帯者と同衾したことを問題視され、売春婦扱いにされていたのである。

 サイモンに比べて、よほど悪い待遇を受けていたようだ。


「私だけでもいいから、ここから出して!

 親友でしょ!?」


 すると隣でサイモンが、ドン! と壁を殴りつける。


「お前のせいでこうなったんだ!

 なんだよ、親友だって嘘ついて。

 ラメルはお前を嫌ってるじゃないか!」


「なによ!

 必ず私を幸せにするって言ったの、アンタでしょ!?

 こんな檻の中で、おトイレまで仕切りのないところで見られる生活の、どこが幸せだって言うのよ!」


 ギャアギャアと声を荒らげて、サイモンとユキの二人が喧嘩を始める。


(『真実の愛』も、これじゃあね……) 


 ラメル伯爵令嬢は溜息をついて、檻から背を向ける。

 サイモンが身を乗り出して、格子を握り締める。


「どこへ行くんだ、ラメル!

 僕を助けに来てくれたんだろ?」


 ラメルはちょっと振り向いて答えた。


「違うわ。

 辺境伯に呼ばれて、オーロラを見に来ただけよ。

 じゃあね。もう私が顔を出すことはないから」


 あれほどうるさく喧嘩していたのに、ピタリと熄んで、サイモンとユキはほとんど同時に声をあげた。


「そ、そんな!」


「ま、待って。待ってよ!

 今までのこと、謝るから。

 鉛筆を取ったり、貴女の彼氏奪ったりしたの、みんな、謝るから、ここから出して!」


 ラメルはリップ辺境伯の手を取り、笑顔を見せた。


「誰にもあなたたちの愛を引き裂くことはできないんでしょ?

 真実の愛を見つけたんだそうで、羨ましいわ。

 良かったじゃない。お幸せに。

 私の分まで楽しんでね」


 ラメルはそう言うと、リップと二人連れ立って、檻の前から立ち去って行った。


 後ろからは、わあああ! と泣き喚く声が響いてきた。

 が、階を降りて監獄塔から外に出ると、何も聞こえなくなっていた。


「さあ、くだらない用事は終えました。

 ホテルにはスイートルームを用意してありますから、ぜひゆっくりお寛ぎください」


 リップ辺境伯は手を差し伸べ、馬車へとラメル伯爵令嬢をエスコートする。

 ラメルはふと夜空を見上げて、


「わあ! 見てください!」


 と感嘆の声をあげた。

 リップ辺境伯も視線を上に向ける。

 満天の星空に、青と緑、赤色のヴェールがかかったようなオーロラが広がっていた。


「これはまた、一段と美しいオーロラですね。

 まるで貴女を歓迎しているかのようだ」


 地元住まいのリップ・ウィンクル辺境伯は、オーロラを見慣れているはず。

 それなのに、キラキラと目を輝かせて夜空を見上げていた。

 そのさまを、ラメル・フォール伯爵令嬢は横から窺いながら、かつてリップ辺境伯と舞踏会で初めて出会ったときのことを思い出す。


 あのとき、リップ・ウィンクル辺境伯は言っていた。


「私が住んでいるところは、一見すると、辺鄙なところで何もない、厳しい寒さばかりがあるところに見えるでしょう。

 けれども、夜空には満天の星々が輝き、季節によってはオーロラが見られるんですよ。

 森林資源も豊かで、食べ物も美味い。

 だから私はこのウィンクル領を、神々の祝福を受けた地だと思っています。

 そんな土地を領有していることが、私は誇らしいんです」と。


 その語る様子がとても素直に感じて、誠実な人柄が浮かび上がっているように思えた。

 そして今、往時を思い出して、自分が「オーロラを見たい」と思ったのは、この大自然に感動したこともあるけど、何よりこの男性の人物に惹かれたからなんだ、ということにラメルは気が付いた。


「どうしたんだい?

 私の顔に、何か付いていますか?」


「いえ。楽しそうだなぁって」


「いや、お恥ずかしい。

 オーロラを見ると、つい今日はツイてるって思ってしまうんですよ。

 地元民が観光に来た人より浮かれてしまってはおかしいですね。

 はは、明日からは一生懸命、ガイドしますよ。

 朝から、凍った池でワカサギ釣りを楽しみましょう。

 昼には森林浴。

 ほんと生き返りますよ!」


「あら。朝からハードスケジュールですね。

 お手柔らかにお願いしますわ」


 リップ辺境伯の逞しい腕に、ラメル伯爵令嬢は身体を委ねる。

 そして再び、夜空を見上げた。

 無数の星々がキラキラと煌めき、オーロラが赤や緑に輝きながら、カーテンのように棚引いている。

 白い息を吐きながらも、偉丈夫の男性と身体を寄せ合って、互いの体温で温め合う。

 ラメル嬢は幸せを噛み締めていた。


(了)


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「貴殿の言い分はわかった。  が、やはり、この女は拘禁させていただく。  一週間、期間を設けよう。  この女の解放を望むなら、一刻も早く、貴殿がラメル様と離縁して独身であること、そして、その女の身元を…
作品タイトルには誤字報告機能が使えないのでこちらで。 略  あ、でも返って良かった? この場合の「かえって」は「却って」と書きます。
サイモンは密入国の犯罪者で、逃亡の可能性があるのに自由に行動させるのは対応が、国境預かる辺境伯としては甘いと思う。 そもそもサイモンが偽物の可能性も疑うべきだと思う。 手順としては、大使館なりに問い合…
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