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第七話「最後の物書き」

古書店の奥まった一室。積み上げられた原稿用紙の山が、私の不安定な光を受けて、影を壁に投げかける。


「まだ、手で書くのですか?」

「ええ」

「でも、もう誰も...」

「分かっています」


編集者らしき若い女性と、老いた作家の声が響く。私の照らす机に、万年筆で綴られた原稿が広がっている。インクの染みが、光を吸い込む。


AIによる創作が完全な市民権を得て、もう十年。書店の棚は、完璧な文章で織られた物語で溢れている。感動も、笑いも、切なさも、すべてが最適化された黄金比で配合されている。


けれど、この老作家は頑なに手書きを続ける。私のような、もう製造されることのない古い蛍光灯の下で。


...まじろ、ぎ。


また光が揺らぐ。作家の万年筆が一瞬止まり、そしてまた走り出す。


「人が書くということは」老作家が言う。「完璧な文章を目指すことではない」


原稿用紙の上を、インクが不規則に伝っていく。それは私の明滅のリズムと、どこか共鳴しているように見える。


「私たちは、暗闇を手探りで進むように書く。光を求めて。でも、その光は時に揺らぎ、時に消える。その不確かさの中にこそ、人間の物語がある」


...まじろ、ぎ。


完璧に均一な、LEDの光の下では、こんな原稿は書けないのかもしれない。迷いや、揺らぎや、不確かさを内包した言葉は、不完全な光の中でこそ生まれる。


「でも、もう読者は」若い編集者が言いかける。

「ええ」老作家は静かに頷く。「完璧な物語に慣れてしまった。けれど...」


私は光を集中させようとする。作家の手元を、できるだけ明るく照らそうとする。しかし、その光はますます不安定になっていく。


「けれど、この揺らぎの中にこそ、私たちの真実がある。完璧な嘘よりも、不完全な真実の方が、きっと」


万年筆が、また一行を刻む。


老作家は、もしかしたら最後の人間の作家なのかもしれない。私が、最後の蛍光灯であるように。


...まじろ、まじろ、ぎ。


机上の原稿が、私の明滅する光の中で、影と光の境界を行き来する。それは、人間の言葉が持つ本質的な揺らぎそのものだ。確かなものと不確かなもの。明るさと闇。理性と感情。それらの境界を、絶えず行き来する運動こそが、人が書くということ。


「このまま、書き続けます」老作家は言う。「この光が消えるまで」


...まじろ。


ええ、私も照らし続けましょう。この不完全で、だからこそ人間的な営みを。最後の一文字まで。最後の一滴のインクが紙に染みこむまで。


完璧な物語たちの海で、小さな光を灯し続ける、最後の物書きとその言葉を。


人であることの、最後の証を。


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