テレビドラマ『セクシー田中さん』の原作者で漫画家の芦原妃名子さんが亡くなられた件についての個人的な考え
去る 1 月 29 日、もう一週間前になりますが、漫画家の芦原妃名子さんが亡くなられたそうです。
……今うそを言いました。より正確に言い直すと、28 日午後から行方不明となり、29 日に死亡が確認された、ということです。
享年 50 歳。現場の状況などから自殺と考えられています。
この件は、特にニュースサイトや SNS、つまりは『Yahoo!ニュース』や『X(旧 Twitter)』などで大きな話題となり、色々な方がそれぞれの立場で意見を述べられています。正に議論百出です。
こんなことになった理由、つまり、自殺の理由とか、議論が盛り上がっている理由とかについては、こちらも色々です。
そもそもの発端は、昨年 10 月から 12 月に掛けて放送された、日本テレビ製作のテレビドラマ『セクシー田中さん』です。
このドラマは同名の漫画『セクシー田中さん』を原作としており、この漫画の作者が芦原妃名子さんであって、つまり、この漫画家さんはドラマの原作者様ということになります。
ドラマの放送は無事に終了しましたが、漫画の方は連載中で、作者の死去により未完となりました。
未完の原作をドラマ化したわけです。
原作のストックが多ければ、それでも問題ないのですが、今回はそうではなく、少し足りなかったみたいです。
このドラマは全 10 話のシリーズだったのですが、第 7 話までが原作と同じで、第 8 話以降がドラマオリジナルとなりました。
それで、どうも、このオリジナル展開、やはり賛否の声があったようです。
更に、第 8 話までの脚本家がなぜか降板させられて、原作者が第 9 話と第 10 話の脚本を担当するという、謎の事態が発生していました。
この状況。
あんまり良くない状況ですよね。
主に『賛否』のことですが。
皆様。
ここ『小説家になろう』で真面目に小説を投稿されている皆様。
『賛』はともかく『否』は嫌ですよね。
誰しも否定的なことは言われたくないものです。
あと、作者としては、肯定的な意見は適当に聞き流して、否定的な意見の方を気にしがちです。
『否』の方がより大きく聞こえる、ということです。
それでも自分の作品に自信があれば揺らがないのですが、この作品の場合は、そうではなかったようです。
まず、第 8 話までの脚本家の方が自身の Instagram に恨み言めいた内容を投稿されました。
正直ちょっと感じ悪いですし、SNS の使い方としては悪手なのですが、気持ちは分からないでもありません。
自分が書いた脚本でもないのに文句を言われても困るし、なぜか降板させられたしな。
原作者様は原作者様で、思い悩むところがあったようです。
視聴者の反応は賛否両論だし、脚本家は怒ってるし、うーん困ったな……。
悩みに悩んだ結果、脚本家の降板に至った『経緯や事情』をブログや X で説明することにしました。
この漫画を出版している小学館サイドとも相談して、自分たちから見た事実をできるだけ客観的に記述しました。
こんな事情があって、降板は仕方がなかったの、皆様ごめんなさい、ありがとう。
…………。
いや分かりますよ。
観客にも脚本家にも筋を通したかったんですよね。
ただ、その『経緯や事情』というのが、ちょっとひど過ぎたんですね。
製作サイドの対応が、一般社会の常識とは懸け離れた、意味不明なものだったんです。
誰に対しても誠実であろうとした原作者様と比べて、日本テレビと脚本家がいかにも不誠実に見えました。
と言うか、実際不誠実だったんでしょう。知りませんが。
こうなってしまうと、つまり、日本テレビや脚本家が分かりやすい悪者になってしまうと、これはもうネットイナゴの餌食です。
この時点で大炎上ですが、原作者様としては本意ではなかったようです。
誰のことも傷付けない、悪者にしないような文章を書いたつもりだったのに、その意図がまったく伝わらない。
表現者として大きな苦痛を味わったことと思います。
原作者様は投稿を削除して謝罪、そのまま行方不明となり、最後には遺体となって発見されました。
…………。
いやそうはならんやろ。
普通の精神状態で合理的に考えることができれば、この状況から自殺に至ることはありません。
原作者様としては、筋を通すつもりが逆に攻撃してしまって、本当に死にたくなったのでしょう。
他者を攻撃することに強いストレスを感じる性格だったのだろうと思います。
だからと言って、これまで 50 年も生活できていたのだから、そこは自分の中で消化できたはずです。
ですから、普通の精神状態ではなかったと、そこで踏みとどまれないくらいに弱っていたのだと、そう考えられます。
そこまで弱ることになった原因はよく分かりません。
例えば、前述の製作サイドとのやり取りのせいで『相当疲弊していました』ということはおっしゃっていますので、過労死ラインのようなものは超えていただろうと思われます。
要するに、日本テレビと脚本家のせいで死んだように見えるわけです。
あるいは、小学館が漫画家を働かせ過ぎたようにも見えます。
ただ、漫画家は小学館の社員ではないし、編集者は漫画家の上司ではないので、そこの部分、漫画家の働き方を管理することはできなかったでしょう。
逆に漫画家を休ませようとした可能性もあります。
結局、ドラマの放送中は最後まで休まなかったので、本当のところは分かりませんが。
*
このエッセイを書くに当たって、思ったことがあります。
リアルじゃねえな。
筆者は故人や関係者に取材してこのエッセイを書いたわけではありません。
ニュース記事や Wikipedia、故人のブログのアーカイブなどは確認しましたが、それだけです。
テレビドラマには興味がないし、原作の漫画すら読んでいません。
それでもこんな文章を書いています。
このように、自分の足で取材せず、インターネットなどで拾った情報を元に書かれた記事は、こたつに入ったままでも書けるということで、『こたつ記事』と呼ばれます。
ですから本稿は『こたつエッセイ』です。
筆者としては、この原作者様の身に起こったことについて、気の毒には思いますが、所詮は他人事です。
だからリアルじゃないです。
この原作者様の死を受けて、ここぞとばかりに持論や体験談、つまりは自分語りですが、そういった内容を公開される方も数多くいらっしゃいます。
そうすることに社会的な意義はあると思いますが、こういうのもリアルじゃないです。
例えば、持論とかは、この件を叩き棒に使っているものが多いと思います。
製作サイドの態度の悪さとか、以前からの恨みつらみとか、その内容は色々ですが、それはお前らの持論であって、故人の持論ではないです。
だからリアルじゃないです。
例えば、業界関係者の体験談とかはとても参考になりますが、こういうのもリアルじゃないです。
それはお前らのリアルであって、故人のリアルではないからです。
お前ら自分の話ばっかやな。
ちっとは人の話を聞けや。
もう少し、故人のリアルに寄り添ってもいいのではないでしょうか。
分かりませんか?
現実を徹底的に見詰め続けること。
芸術の基本ですよ。
今回の件、原作者をもっと尊重しろ、みたいな声も多く聞かれます。
原作者をないがしろにして脚本家が自己主張するのは害悪だからやめろ、という主張です。
言っていることは分かりますが、お前らに言われたくないです。
この原作者様のリアルをないがしろにしてお前らが自己主張するのはお前らの勝手です。
そうすることに社会的な意義もあります、多分。
意義がないとなると、それは時間と電気の無駄遣いということになるので、意義はあると思います。
だから、それはそれでいいんですが、筆者が言いたいのはそういうことではないです。
この原作者様のリアルを、例えば、原作と考えてください。
お前らのあれこれは原作のドラマ化です。
分かりますよね。
リアルですよ。
リアルが大事なんですよ。