第835話 私とソノギ姉さんの一日(前)
私の一日は毎朝、ソノギ姉さんの澄んだ優しい声で始まる。
「キャロットちゃん、起きて。
朝だよ。」
「ううん…、ソノギ姉ちゃん?
もうちょっと眠らせて…。」
「ダメです。お母さん達が狩りから帰って来たよ。
中庭でキャロットちゃんを待ってるよ。」
うちの朝は早いの。どのくらい早いかというと、母さんが毎朝狩りに出掛けるのは夜明け前だもん。
そんな早くから起きている人は、王宮の中でも夜勤の騎士か、厨房の下働きくらいしかいないって。
それどころか、母さんの狩りには何度か一緒に行ったことがあるけど、途中、街中を通ると人影は殆ど見かけないの。
それこそ、街の中央広場で朝ごはんを売るべく準備を始めた屋台のオジサンをちらほらと見掛けるくらい。
一度、母さんに何でこんな朝早くから狩りに出掛けるのを訊いたら。
「だって、トレントの狩場は冒険者が稼ぐところだもん。
母さんが居たら邪魔になるから、冒険者が狩りに来る前に終わらせないとね。」
と答えてくれたんだ。
「変なの。母さんはこの国で一番偉い人なんでしょう。
どうして冒険者に遠慮しているの?
もっとゆっくり寝てて、遅い時間に狩りをすれば良いじゃない。」
「母さんは別に偉い訳じゃないよ。
この国に住むみんなを代表して国を治めているだけだもん。
冒険者達は体をはって狩りをすることで、税を納めてくれるんだし。
砂糖やハチミツを供給してくれるんだ。
冒険者達が気分良く狩りを出来るようにしてあげるのは当たり前だよ。」
冒険者が来た時に母さん達が狩りをしていると、冒険者達に気を遣わせてしまうとからと言い。
「それに、狩りは母さんの趣味みたいなもので。
朝食の後は仕事をしないといけないからね。
狩りは朝食前に終わらないと…。」
毎日、トレントの森で狩りをしている母さん。女王の仕事を蔑ろには出来ないから、日課にしている数を朝食前に狩るためには早起きしないとダメなんだって。
物語に登場する女王様って、狩りをしているイメージが無いんだけど。母さんは少し変わっているらしい。
更に母さんには朝食間にもう一つ日課があって、それには私達子供も付き合わされているの。
そのため、私も毎朝早起きを強いられるんだ。
「おはよう。ソノギ姉さん。」
「はい、おはよう。キャロットちゃん。
早くお着替えを済ませて。」
着替えを手渡してくれたのはソノギ姉さんは一つ年上の実のお姉さん。
実のお姉さんといっても血が繋がっているのは、お父さんの方だけでお母さんは違うんだ。
ソノギ姉さんのお母さんは、女王夫妻付きのメイドで私の乳母をしてくれたウレシノ母さん。
私とソノギ姉さんはずっと一緒に育てられてて、私はウレシノ母さんから我が子のように可愛がられているし。
お母さんも、ソノギ姉さんを実の娘のように可愛がっている。
ただ、母さんも、ウレシノ母さんも私達に「公私の区別をしっかりつけなさい。」なんて難しいことを言うんだ。
王族の居住区画では姉妹として仲良くしないといけないけど、外では王女とお世話係として振る舞いなさいって。
そんな難しいことを言われても困るけど、取り敢えず母さんに言われた通りにしてて。
居住区の外ではソノギ姉さんは私を『姫様』と、私はソノギ姉さんを『ソノギ』と呼ぶことにしてるの。
今のところはそれだけ守っていれば良いって。
で、私が寝起きに渡されたのは、ソノギ姉さんとお揃いの木綿製の質素な服。所々、染みついた泥汚れが落ちてなくてとても『姫様』と呼ばれる女の子の着る服には見えないシロモノなの。
着替えを済ませて向かったの王宮の中庭。
中庭に入る扉の前ではウレシノ母さんが出迎えてくれるんだ。
「キャロット様、おはようございます。
ソノギも姫様の付き添いちゃんと出来たようで偉いわ。
マロン様、オラン様がお待ちですのでどうぞ中庭に。」
ウレシノ母さんは扉を開けると、私とソノギを中庭に通してくれたの。
この中庭は王族以外厳重立ち入り禁止の秘密の庭となっていて、自由に立ち入りが出来るのは王族のみなんだ。
そして、王族同伴の時に限り、例外的に立ち入りが認められている人が三人。ウレシノ母さん、ソノギ姉さん、そしてミンメイ姉さん。
ミンメイ姉さんは、母さんの育ての父親の娘なので叔母さんと言った方が正確なんだろうけど…。
母さんより八つも歳下だし、何より本人が叔母さんと呼ぶと怒るのでミンメイ姉さんと呼んでるの。
私とソノギ姉さんは毎朝、この中庭で作業をするのが日課になっているけど。ウレシノ母さんとミンメイ姉さんが立ち入ることは稀なの。
ウレシノ母さんは扉の前で誰も入らないように見張りをしているし、ミンメイ姉さんは王宮の外に住んでいるのでお泊りをした時しか機会が無いの。
「キャロット、ソノギちゃん、おはよう。
さあ、今日も張り切って刈り入れするわよ。」
中庭に入ると鎌を手にしたお母さんが、私達に鎌を差し出しながら出迎えてくれた。これも毎朝お決まりの風景。
私とソノギちゃんは、これから朝食の時間まで中庭の草刈りをするの。四歳の誕生日から毎朝してるんだ。だから、お姫様とは思えない薄汚れた服を着ているの。汚れても良い服装って訳で。
「ねえ、母さん、何で毎朝草刈りなんかしないといけないの?
草刈りなんて、使用人の仕事じゃない?
貴族のお嬢さんは草刈りなんてしないって言われたよ。」
一度、母さんにそんな質問を投げ掛けたことがあるんだ。偶々、話をした貴族のご令嬢が草刈りなんてしたこと無いって言ってたから。
「別に王族が草刈りしてもかまわないでしょう。
他人の言うことは放って置きなさい。他所は他所、うちはうちよ。
母さんは小さい頃からずっと草刈りしているのよ。」
お母さんは女王って立場なのに全然恥じることなく答えたんだ。
「でも、母さんは小さい頃、平民として育ったんでしょう。
今の私とは立場が違うんじゃ…。」
母さんは産まれて直ぐの内乱で一度この国を追われ、十歳になるまで平民としてミンメイ姉さんのお父さんに育てられたと聞かされてるの。
一時、そのお父さんが遭難して食べるのにも事欠いていたそうで、その時、この草の若い豆を売って収入を得ていたんだって。
若い豆は枝豆と言って、塩茹でにして食べると美味しいらしい。
でも、女王に返り咲いた今となっては、別に続ける必要もないんじゃないかと思ったのだけど…。
「今まで教えてなかったけど。
この中庭の草刈りは他人には任せることが出来ないのよ。
何でこの庭を厳重立ち入り禁止にしていると思って。」
「キャロット、良く聞きなさい。ソノギちゃんも。
これから大事なことを教えるわ。
王族だけの秘密だから、誰にも話したらダメよ。」
と言って母さんが教えてくれたのは、この草が王家の一族が秘伝としてる『スキルの実』をドロップする植物の魔物だということ。
母さんは、『スキルの実』を安定的かつ秘密裏に手に入れるためここで栽培しているんだって。
秘伝と言っても母さんが発見したことらしく、先祖代々なんて大袈裟なものでは無いらしい。
私、この草が魔物だなんて知らなかったよ。だって、私達のような幼い子供でも刈れる草なんだもん。
それが中庭一杯に茂っているシューティング・ビーンズと呼ばれる大豆型の魔物なんだ。
近寄るとまんま大豆のタネを飛ばして攻撃してくるの。豆の表面には弱い神経毒が着いていて、ネズミくらいの小動物なら痺れて動くなくなるんだって。動けなくなった小動物から絡めた根っこで養分を吸い取って生命を維持している魔物なんだって。
とは言え、その神経毒は人には殆ど無害で剥き出しの皮膚に当たった時に少しピリッとするくらい。
そして、ひ弱な私でも簡単に鎌で刈り取れるの。
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で、毎朝、せっせと刈り取っているシューティング・ビーンズだけど…。
「ねえ、母さん。私達のオヤツって何で毎日フルーツなの?
王侯貴族のお茶うけって、ケーキとか、甘いお菓子が普通なんじゃ?」
私が五歳になった頃、そんなことを母さんに訊いてみたの。
そう、草刈りをしていると収穫できるフルーツが毎日欠かさずおやつとして供されるの。
別に毎日のおやつが嫌いな訳ではないけど、物心ついた時から毎日毎日同じフルーツを食べてると流石に飽きてきたから。
「ああ、今まで教えてなかったね。
それタダの果物じゃないんだ。
スキルの実なんだよ。」
そう言って、お母さんはスキルの実について説明を始めたの。
母さんは「『スキル』というものがどんなものなのか」から初めて、毎日食べているスキルの実についてまで懇切丁寧に教えてくれた。
以前、シューティング・ビーンズがドロップする『スキルの実』が王家秘伝のものだとは聞いていたけど、詳しいことは教えてもらえなかったんだ。その時は幼過ぎて理解できないだろうって。
お母さんの話では、シューティング・ビーンズがドロップするスキルの実は四種類。それは、私も気付いたよ。毎朝、草刈りをしていると四種類のフルーツが地面に落ちていたから。
四種類とも世間ではゴミスキルと呼ばれ見向きもされないスキルを取得するための『実』らしい。
お母さんはそんなゴミスキルの実をせっせと栽培までして居るんだって。
「なんで、そんなゴミスキルを私達にも覚えさせたの?」
ゴミだと聞いて、思わずお母さんを問い詰めっちゃった。
私も、ソノギ姉さんも貴重なスキル枠を全てゴミスキルに使っているし、今でも毎日食べ続けているんだもの。
「話は最後まで聞いて。まだ、説明の途中だよ。
おいらが可愛い二人に無駄なことをさせる訳無いでしょう。
世間ではゴミスキルと呼ばれてるけど、実際は全然ゴミなんかじゃないんだよ。」
ゴミじゃないなら、いったいなんだと言うんだろう…。
お読み戴き有り難うございます。




