第643話 夜更かしは苦手なんだってば…
ある晩のこと。
早寝早起きが習慣になっているおいらは、その晩も早々にベッドに潜り込んでいたの。
おいらがウトウトしている横では、おいら以上に早寝のオランがスヤスヤと寝息を立てていたんだ。
そんなおいらの微睡みを覚ますように…。
「陛下、マロン陛下、起きてください。」
おいらの耳元で、専属侍女ウレシノの囁き声が聞こえたの。
「うん…、眠い…、なーに?
何か、緊急の用件なの?
急ぎじゃなければ明日じゃダメ?
良い子はお眠の時間なんだけど。」
「いえ、急ぎかと問われれば、急ぎではございませんし。
何なら、陛下のお耳に入れるほどのことでも無いのですが…。
今宵、面白い茶番劇を見ることが出来るモノですから。
もし、よろしければと思い、お声がけした次第でして。
お休みのところ申し訳ございません。」
面白い茶番劇って、それ言葉として矛盾してない?
茶番劇って、見え透いたバカバカしい芝居のことだよね。
見ていて不愉快になっても、面白いことは無いと思うんだけど。
「捕縛者を尋問して分ったことですが。
連中、資金が枯渇して来たようでして…。
今晩、大掛かりな詐欺を働くようなのです。
ご興味がお有りではございませんか?」
ウレシノの言葉で目が覚めたよ。
なるほど、面白い茶番劇ね。
連中、追い込まれて起死回生の一撃を仕掛けるつもりなんだ。
面白いってのは、それが空振りに終わった時に見せる連中の顔かな。
必死に茶番を演じる連中の滑稽な姿を見て、笑ってやろうってことだね。
おいらがむくりと起き上がると。
「何やら、楽しそうな話をしておるのじゃ。
まさか、私を置いていくのではないじゃろうな。」
ぐっすり寝入っているかに見えたオランがちゃっかり聞き耳を立ててたよ。
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「いきなり家にやって来て、直ぐ仕度をしろは無いだろうが。
もう晩飯も終わった時間だぞ。
夜勤をさせるなら、せめて前もって言ってくれよ。」
途中、屋敷に寄ってタロウを連れ出したら、ご機嫌斜めだったよ。
「黙りなさい。
撒き餌が居ないでどうするんですか。
今晩の主役はタロウ君ですよ。」
ウレシノは辛辣な言葉でタロウを黙らせたよ。
「良いじゃない。
こうして夜の街に繰り出すのも乙なものじゃない。
私、夜の街は初めてなので楽しみだわ。」
そんな不機嫌なタロウを、マリアさんが宥めてたの。
タロウと腕を組んで歩くマリアさんは本当に楽しそうだった。
夜の繁華街を物珍しそうに見回し…。
「夜でもこんなに賑やかなのね。
以前は閑散としてて、夜は波の音くらいしか聞こえなかったのに。
本当に繫栄しているのね、皆、とっても楽しそう。」
街往く人々の楽し気な姿を見て、そんな呟きを漏らしながら目を細めてた。
そして、やって来たのは。
「ここは酒場かな?
おいらも、オランも、子供だけど入れるの?」
大きな酒場の前だった。
とても繁盛しているようで、店の喧騒が外まで聞こえていたよ。
「ああ、ここは王都で一番繁盛している酒場でして。
酒だけじゃなくて、食い物もいけると評判なんです。
そのため家族連れの客も多いのです。
まだ宵の口ですし、この時間なら子供もいますよ。」
ウレシノの話では、子供向けにジュースも置いてあるらしい。
てか、ウレシノに言われたよ、「陛下、早く寝すぎ」って。
良いじゃん、寝る子は育つと言うし、その分早起きしてるんだから。
王都で一番の繁盛店と呼ばれるだけあって、広い店内はお客さんでいっぱいだったよ。
隅の方にあった空いてる席に腰を落ち着けたんだ。
だけど…。
「じゃあ、タロウさんはあっちの空いてる席で一人で飲んでてくださいね。」
何故か、ウレシノはタロウだけ仲間外れにしたんだ。
「俺だけ別行動って…。
いったい何をさせようってんだ。」
「いえ、タロウさんの方がアクションを起こす必要はありません。
気張ならくても結構ですから、自然体で麦酒でも飲んでいてください。」
ウレシノはタロウにそんな指示を出すと、手の甲でシッシッとやって早く行けと促してた。
出掛けにタロウを『撒き餌』扱いしてたから、『教団』ホイホイに使うつもりだろうね。
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年齢的なこともあって、タロウはお酒が得意でないみたい。
ジョッキに入った麦酒を一杯頼むと、それをチビチビ啜っていたんだ。
その姿は、何時もの冴えない雰囲気と相俟って、何とも形容し難い哀愁を漂わせてた。
「おっ、兄ちゃん、一人かい。
麦酒一杯に、酒の肴も無しとは侘しいじゃねえか。
この世の不幸を一手に引き受けてるみてえだぜ。」
すると、見知らぬおっちゃんが、タロウの肩を軽く叩きながら話し掛けて来たんだ。
「うるせえ、ほっといてくれ。
薄幸そうに見えて悪かったな、俺はガキの頃からこうなんだよ。」
「何だ、兄ちゃん、そう気を悪くするなよ。
よし、不機嫌にさせた詫びだ。
今日は、俺が奢ってやろうじゃないか。
おーい、姉ちゃん、酒だ、酒。
それに酒の肴を片っ端から持ってい来い。」
タロウの許しも無く、勝手に相席したオッチャンは気前良く注文をしてたの。
「なんだ、オッサン、随分と羽振りが良いじゃないか。
見ず知らずの俺に奢ってくれるなんてよ。」
「なあに、兄ちゃんを見てると以前の自分を見てるようでな。
ほっとけなかっただけだ。
つい最近まで、俺も全然ツイて無くてよ。
ほれ、この店評判の肴が来たぜ。
遠慮しないで食え、食え。」
オッサンは、タロウに料理を勧めながら、自分はジョッキに入った麦酒を豪快に飲み干したの。
「オッサン、全然ツイて無かったと言う割には。
今は、随分と羽振りが良いじゃねえか。
何か、美味い儲け話でもあったんかい。」
「おお、良くぞ聞いてくれた。
それがよ、これを手に入れてから人生が変わったんだ。
ツキが回って来たって言うか。
商売繁盛だし、相場を張れば連戦連勝だ。
幸運を招くって評判は嘘じゃなかったぜ。」
オッサンはそう言いながら、テーブルの上にドンと壺を置いたんだ。
幾ら何でも、この場にそのデッカイ壺は不自然でしょうが。
お酒を飲みに来る時まで、そんな大荷物を肌身離さず持っていると言うんかい…。
「ねえ、あの猿芝居って…。」
「ええ、ご想像の通りです。
でも茶番はまだまだこれからですよ。」
おいらの問い掛けに、ウレシノが頷いて間も無く。
「何だ、奇遇だな。
俺もその壺を買ってから人生が変わったんだよ。
俺って、この通り若ハゲだろう。
嫁の来手が無くて、落ち込んでたんだが…。
その壺を買った途端に、良縁が舞い込んできてよ。
嫁ってのは、金髪がしっとり艶々の十八娘だぜ。
しかも遊んでた娘じゃなくて、正真正銘の生娘ときたもんだ。
俺なんか今じゃ、毎晩ハッスル、ハッスルだぜ。」
今度は隣の席で飲んでいたオッサンが、テーブルの下から壺を取り出して相槌を打ってた。
いやもう、どこからツッコめば良いのか…。
おいらが無言で視線を送ると、ウレシノも頷き肯定してたよ。
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「なあ、おっさん達、そんなに良いモンだったら。
その壺、お高いんだろう。
俺は見ての通りの素寒貧だぜ。」
タロウは壺の値段を尋ねたの。
「聞いて驚け。
それが、たったの銀貨百枚だ。」
「いや、高けぇよ。
そんな金があれば、こんなところで安酒啜って無いって。」
銀貨百枚に、タロウが軽く突っ込みを入れると…。
「兄ちゃん、たった銀貨百枚だぜ。
それで灰色の人生がバラ色に変わるんだ。
借金してでも買わない手は無いって。」
タロウに肴を振る舞ったオッサンが、この機会を逃すなと言うと。
「まあ、まあ、貧乏人にいきなり銀貨百枚はハードルが高いよな。
実際のところ、俺もそうだったし。
そんな兄ちゃんに、耳寄りな話を教えてやろうじゃないか。」
今度は隣のテーブルのオッサンが、タロウの事情を慮るように告げたの。
「耳よりの話だって? なんだ、そりゃ?
勿体つけずに教えろよ。」
「まあ、まあ、そう焦りなさんな。
ここだけの話にして欲しいんだが…。
この壺な、兄ちゃんが買う時に会員に登録するんだ。
そして、今度は兄ちゃんが、周りの人に幸せをお裾分けするんだよ。」
「幸せをお裾分けって?」
多分、タロウは分かっていて、敢えて惚けているのだと思うけど。
その問い掛けに、タロウが喰い付いたと思ったんだろうね。
隣のテーブルのオッサンは身を乗り出してきたよ。
「幸運の壺を売るってことだよ。
兄ちゃんが知り合いにこの壺を売るとするだろう。
するってぇと、その代金の一割が報酬として受け取れるんだ。
善行を施して、報酬が貰えるなんて素晴らしいだろう。
十人に幸運をお裾分けすれば、兄ちゃんが買った壺の代金はチャラだぜ。」
「ああ、てめえ、俺が兄ちゃんに教えようと思ってたのに。
なあ兄ちゃん、今、そいつが言ったことで終わりじゃねえぜ。
仮に、兄ちゃんが親会員、兄ちゃんが壺を売った人を子会員とすると。
今度は子会員が周りに幸せをお裾分けしたとするわな。これが孫会員だ。
兄ちゃんは、孫会員、曾孫会員と、永劫に代金の一%が貰えるんだぜ。
みんな幸せになって、兄ちゃんは大金持ちだなんて良いこと尽くめだろう。」
ここが攻め時と判断したのか、今度は二人掛かりでタロウを説得に入ったんだ。
でも、これって…。
お読み頂き有り難うございます。




