第五話 十年後
十年後。
ログレス騎士皇国の聖都・アルビオン。
聖騎士隊舎。
任務から帰ってきて小隊長室に戻った俺は、机に書かれているレイベール・ロートレックという名前に小さくため息を吐いた。
俺の聖騎士としての名前だ。
レイモンドという名前で聖騎士になることはできない。ガリオール王国の王子だとバレれば、ガリオール王国のスパイだと思われかねない。だから経歴を偽る必要があったのだ。
そのための偽名。だが、まだまだ馴染みがない。
「早く慣れなきゃな……」
顔だけでバレることはほぼない。俺は基本的に表には出ていなかったし、十年前の俺を知る人間も俺には気づけないだろう。
小太りだった頃の俺はもういない。自分でいうのもなんだが、痩せて精悍になった。背だって平均くらいには伸びたほうだ。
すべては十年前の恋のためだ。俺は変わった。
聖騎士になって一か月。
ここまでは順調だ。
聖騎士団への入団試験を断トツの一位で突破し、初日の任務後に小隊長へ昇進した。最短記録だそうだ。
異例の昇進。どう扱っていいものか騎士皇国も困っているようで、俺は新設の独立小隊として三人の部下を与えられた。
勝手に動いていいというお達しを受け取っていたので、国内の高ランク任務には必ず顔を出した。
代わりに解決してやったのに、周りからは手柄泥棒とか、横取りとか言われている。
ついたあだ名が〝無法騎士〟。聖騎士にあるまじきあだ名だ。不本意なことこの上ない。
そもそも任務の邪魔をしたことはない。チンタラしている部隊の任務を先に終わらせているだけだ。
遅い方が悪いし、なにより文句を言っている奴らは何もやっていない。文句を言うのはおかしいだろう。
実際、上層部は問題視していない。気をつけろとは言われているが、やめろとは言われていない。
まぁ向こうからすれば結果を出せば何でもいいんだろう。
Sランク任務というのは、通常の小隊では解決できないレベルの任務だ。
それを俺は単独で終わらせた。
確かに別の部隊の任務だったが、終わらせたのは俺だ。
だが、いまだに城にお呼ばれしない。
「はぁぁぁぁぁぁぁ……」
「ため息を吐くと幸せが逃げていくという言葉がありますが?」
「それは困るなぁ」
誰もいなかったはずの部屋に金髪ポニーテールの少女が現れた。
聖騎士の鎧を身に着けたその少女の名は、ミラ。
聖騎士団に所属する騎士小隊長であり、俺の部下でもある。
同僚でもあり、部下。
そんな不思議な関係だ。
もっといえば幼い頃からの付き合いでもある。
なにせ、ミラは俺と一緒に火事に巻き込まれた子供たちの一人なのだから。
「それで? 何の用だ?」
「いえ、特に用はないのですが、Sランク任務を解決しても姫殿下にお会いできずに落ち込んでいるレイ様を見に来ました」
「いい趣味してるよ、本当に……」
蒼色の瞳で真っすぐ俺を見据え、表情を変えずに毒舌を吐いてくる。昔は物静かだったのに、どうしてこうなったのやら。
まぁ毒を吐く分、有能ではある。
俺の最大の協力者といえるだろう。
「一応、中間報告ならできますが、聞きますか?」
「頼む」
「かしこまりました。私が手に入れた情報によりますと、現円卓の聖騎士内で姫殿下の夫の地位を狙っているのは七名です。最近は緊張が高まっているようですね」
「十二人中七人か。まぁ円卓の聖騎士のほとんどが大貴族出身だからなぁ」
ログレス騎士皇国の最強戦力である円卓の聖騎士は実力主義だ。
実力がなければ円卓の聖騎士は名乗れない。
だが、ここ最近、ほとんどの円卓の席は限られた大貴族たちによって独占されている。
それは彼らが円卓の聖騎士の座を守るために、血筋を強化してきたからだ。
ログレス聖皇家の聖天魔法のように、その血統にしか使えない特殊な魔法〝血統魔法〟を代々受け継ぎ、磨いてきた。ゆえに彼らを打ち破るのは難しい。
だから俺はミラを聖騎士団に潜入させている。
ミラは城の警備をする聖騎士だ。そこで情報収集をしている。
主に円卓の聖騎士の情報を、だ。
「いずれは挑む相手だが……小隊長程度じゃ円卓の聖騎士に挑むことはできないからなぁ」
ログレス騎士皇国は二つの軍事力を保持している。
国境を守備する軍と皇族直属となる聖騎士団だ。
聖騎士団には厳しい入団試験があり、入団者がいない年もあるほど練度が高い。
数名からなる騎士小隊、複数の小隊からなる騎士中隊、複数の中隊からなる騎士大隊がある。
精鋭揃いの聖騎士団だけあって、ちょっとやそっとの功績では昇進できない。
そういう中で大隊長にまで上り詰めた者だけが円卓の聖騎士に挑戦することができる。
俺は現在、小隊長。
明らかに小隊長では解決できないレベルの任務をこなしているが、それでも昇進の気配はない。
円卓の聖騎士の中で、エステルの夫の座を狙う争いが始まりそうな以上、さっさと出世したいのだが、大隊長の座は遠い。
それ以外の方法は二つ。
一つは円卓の聖騎士側から決闘を申し込んできた場合。この場合は相手の地位は関係ない。
もう一つは。
「やっぱり勲章を得て、返還するしかないか……」
地道に手柄をあげ続けるというやり方では限度がある。
だから抜け道を使うしかない。
それが三つ目の手段。勲章の返還だ。
本来、素晴らしい功績に対して勲章は送られる。だが、その勲章を返還することで円卓の聖騎士への挑戦権を得ることができる。
勲章を返還するということは、一切の褒美も返還するということだ。メリットは円卓の聖騎士に挑戦することができるということだけ。
デメリットは計り知れない。勲章と褒美を捨てて、得られるのは挑戦権。つまり確約はされていない。
円卓の聖騎士を倒さなければ、円卓に名を連ねることはない。
これまでそれを使用したのは数人だけだ。それだけ愚かしい行為ということだ。
だが、円卓の聖騎士を倒せるだけの実力があれば、悪い制度じゃない。
あれから十年。
俺は強くなった。
死すら感じるほどの修行で、円卓の聖騎士にも負けないという自信を得て、この場にいる。
いまだに修行時代を思い出すと、体が震えてしまうが。
「どうかしましたか? 悪夢でも見た後のような表情ですよ」
「その通りだ。悪夢を思い出した」
「かつて吸血鬼の始祖を討伐した剣聖との修行時代ですか。人類史でも指折りの英雄です。大陸中の剣士が羨ましがるでしょうね」
「そいつらに味わわせてやりたいよ……生き物という枠を超えた始祖を討伐するような奴との修行をな」
今から八年前。
まったく魔法の才能がないということを突き付けられた俺は、ガリオール王国の端にある森で隠遁していた剣聖を訪ねた。
どうしても強くなりたいと弟子入りしたのだ。
魔法が使えない俺では、並みの特訓では強くなれない。とにかく円卓の聖騎士への最短の道だと思った。あの時は。
今思えば、間違いだった。
奇跡の連続で今、生きているが、死んでいてもおかしくなかった。
隠遁している森には馬鹿みたいに強いモンスターが生息していたし、課された稽古の数々は人がするようなものじゃなかった。
あえて両腕を折られて、サバイバルさせられたり、気分で師匠が夜襲してきて一か月間ろくに寝れなかったり。
今でも深く眠ることができないのは、あの人の夜襲を恐れているからだ。
「ですが、レイ様が挑む相手もその類です」
「まぁな。だから情報が必要だ。対策もなしに挑むのは自殺行為だしな」
焦る気持ちを抑えて、俺は深く息を吸い込む。
挑むならば勝たねば。
勝つためには情報が必要だ。その情報が集まるまでは功績を上げていくしかない。
「とりあえず狙いを絞るか。狙い目はいるか?」
「円卓序列第十位〝クリフ・ライオネル〟かと」
「〝無敗の騎士〟か……」
「円卓最高の防御を持つ相手です。彼の防御を破ることができれば、他の円卓にも攻撃が通用します。本人も姫殿下の夫の座を狙う急先鋒。真っ先に叩くべきかと」
ミラの提案はもっともだ。
円卓の聖騎士。その中でも円卓序列一位は特別だ。任命権を持つのは騎士聖皇のみ。つまり現序列一位はエステルの父が選んだ。
そんな序列一位に挑むには、円卓の聖騎士の半数以上から推薦がなければならない。
だから円卓の聖騎士たちは決闘をする。負ければ自分を推薦しろという誓約を交わして。
それがエステルの夫を巡る争いだ。
ラスボスは序列一位。だが、すぐには挑めない。周りの中ボスを倒さなければいけないのだ。
だから俺は静かに頷いた。先手を取るのは大切だからだ。
「何かライオネルについて情報は?」
「相当な自信家のようです。とにかく傲慢で不遜。女遊びも派手な様子で、聖皇姫様を未来の嫁といって憚らないとか」
「よし、エステルの目の前でぼこぼこにして二度と舐めた口を聞けないようにしてやる」
円卓の聖騎士は最強の騎士集団ではあるが、最高の騎士集団ではない。
中には実力はあるけど、クズな奴もいる。
その筆頭ともいえるのがクリフなんだろう。
「意気込みは買いますが、挑戦権を得なければ決闘を申し込むこともできませんよ。彼はその自信から、ときたま自分の屋敷で技を披露してるようです。聖騎士たちを招いて」
「手の内を見せているのか。馬鹿か、それとも策士なのか。読めないな。それで? その稽古とやらはいつだ?」
「明日の夜です」
「そうか、明日の夜か。うん? 明日の夜!?」
「はい」
「なんて急な……仕方ない。次まで待つのは面倒だからな。明日の夜に見学しにいくとしよう」
「かしこまりました」
ミラは深く頭を下げてその場を後にする。
だが、そんなミラの情報収集も俺が挑戦権を獲得しなければ意味がないし、挑戦権を獲得としても円卓の聖騎士に勝てなければ意味がない。
「見に行くとするか。超えるべき壁の高さを」
■■■
ミラが去った後。
小隊長として、任務の報告書を書き終えた俺は部屋から見える城を眺めていた。
高く聳える城。
騎士皇国の象徴でもある聖天城だ。
これを見上げるのが最近の日課になりつつある。
ミラのように城の警備をする聖騎士となれば、城に行くことはできる。だが、そうすると手柄を立てる機会を失う。
悩ましいものだ。
「気軽に会える立場じゃないからなぁ……」
王子として過ごしてきたから多少はわかる。
エステルに自由はない。俺は第三王子だが、エステルは病弱の騎士聖皇の代理だ。
実質的な騎士皇国の王。
騎士皇国を導く立場にある。
たとえ王子として騎士皇国に来ていたとしても、気軽には会えない。
一介の聖騎士ではなおさらだ。
「遠いなぁ」
呟きながらも俺はこの状況に焦ってはいなかった。こうやってじっくりやっていくのも楽しいと思える心の余裕があった。
転生したばかりでは考えられない考え方だろう。
心境の変化はたしかにあった。
生きるということに必死だった前世。それ以外に頑張ることはなかった。
だが、今、小さな恋のために頑張っている。
充実しているというのは、今みたいなことを言うんだろう。
だが、充実しただけでは終われない。
目的はちゃんと果たさなければ。
そう思っていると、突然扉が開いた。
「隊長~、明日の任務を受け取って来たっす~」
「ご苦労。だが、ノックくらいはしろ」
「あ、すみません……」
入ってきたのは金髪の若い聖騎士。
名前はブレント。
年は十六。半年前に入団試験を突破した俺の先輩だ。
とはいえ、階級は俺のほうが上だし、年も上だ。
入団試験に年齢による制限がないため、聖騎士の中には若い者も多い。
その中でも十代半ばで合格する者は逸材といえるだろう。
そんな逸材であるブレントがどうして俺の下にいるかというと、命令違反の常習犯だからだ。
無駄口も多いし、軽薄だ。
素行面でどこの小隊も引き取らないため、新設された俺の独立小隊に回されてきた。
押し付けられたというほうが正しいか。
「まぁいい。次の任務はなんだ?」
「それがっすね……聖都の治安維持なんすよ」
「そうか。わかった」
恐る恐る口にしたブレントは、俺の反応に拍子抜けした表情を見せた。
こいつが考えそうなことはわかる。
「俺が不満に思うと考えていたのか?」
「いや、その……正直、どの小隊でもできる任務っすよ? この前はSランクの任務も無事に終わらせましたし……横取りとはいえ」
「お前が考えているとおり、俺は手柄が欲しい。それは認める」
「それじゃあ」
「だが、誰でもできるような仕事は、誰かがやらなくちゃいけない。聖都の治安維持なんて、大して手柄にはならないだろう。問題が起きるとも思えないしな。一日中、散歩して終わりだ。だが、それも必要だ。だから任務として回ってきた」
「意外に隊長ってまともなんっすね……」
「俺は常識人だぞ」
「それには賛同しづらいっすね……」
俺は資料を受け取ってブレントを下がらせる。
確かに聖都の治安維持だ。間違いない。
だが、何か妙だ。
ぶっちゃけた話をすれば、騎士皇国は敵が多い。
大抵の国は大陸中央部にある騎士皇国を破りたいと思っている。だから周りは敵ばかりだ。
そんな騎士皇国が落ちないのは、聖騎士が強いからだ。強すぎるといってもいいだろう。
一国で破る力がある国はほぼない。
だから内側から崩そうと、他国は色々と騎士皇国にちょっかいをかけてくる。
たとえば普通の強盗団に強力な護衛を派遣して、派手に活動させるとか。そういうことだ。
そんな騎士皇国において、実力のある小隊を聖都の治安維持に回す理由が見当たらない。
「問題行動が過ぎたか? それとも手柄を上げさせたくない誰かの仕業か?」
今更、上層部で俺の行動を問題視する奴はいないだろう。あまりにも遅い。
そうなると誰かの妨害という線が浮上するが。
今の俺は小隊長。まだまだ小物だ。
俺に手柄をあげさせたくないと思う者は、そんなにいないと思う。いくら俺が急速に手柄をあげているにしても、だ。
円卓の聖騎士たちだって俺のことは眼中にないだろう。
そうなるとどちらでもないとなるが、それが何なのかわからない。
「まぁいい。粛々とこなさせてもらおう。聖都をよく見て回るのも悪くない」