第四話 初恋
暗闇の中、暖かい光を感じた。
その暖かさを辿っていくと、静かに意識が覚醒した。
「お目覚めですか?」
優しい声の方へ向けると、水色の瞳が俺を見つめていた。
目が合うと、少女はニッコリと微笑む。
「……ありがとうございます……」
すぐに出てきたのは感謝の言葉だった。
助けてくれたのは間違いなく、この少女。
聖皇姫、エステル・ヴァン・ログレスだ。
「どういたしましてですわ、レイモンド殿下。ですが、お礼を言わなければいけないのはこちらのほうかもしれません」
「俺に……お礼……?」
「はい。どうやら今回の火事は同盟締結を阻止するためのモノのようですわ。ログレスが仕掛けたのだと思わせるモノ。少なくとも貴族の子弟と殿下が亡くなれば、我が国への不信感は拭えません。その危機を殿下が救ってくださいました」
静かに頭を下げるエステルを見て、俺は慌てて体を起こす。
彼女は命の恩人。
前世から続くトラウマから救ってもくれた。
頭を下げられてはこっちが困ってしまう。
「あ、頭をあげてください……! その、姫殿下のお役に立てたなら幸いです……!」
「聞いていたとおり、お優しいのですね。レイモンド殿下は」
「聞いていたとおり……?」
「はい。先日はステラを護衛してくださったとか。私の大切な友人ですわ。ありがとうございます。今回の件といい、いくら感謝してもしたりません」
「そんな大げさな……それにこちらのほうこそ感謝するべきです。あなたは助けてくれた。誰も助けには来てくれないと思った中で……あなたは助けにきてくれた。俺にはそれで十分です」
「少し、心の重荷が軽くなった気がしますわ。ありがとう」
ニッコリと笑うと、エステルは俺の額に手を当てた。
突然、綺麗な顔が近づいてきてドキッとする。
ガラにもなく、いい匂いだなんて思ってしまった。
「治癒魔法をかけます。レイモンド殿下が思っているよりも、危険な状態でしたわ。目が覚めても体はまだまだ回復しきっていません。しばらくはわたくしの治癒魔法で体の内側を治しますわね」
「あ、ありがとうございます……」
緊張してとりあえずお礼を言うことしかできない。
一体、俺は何をしているんだ。
そうは思いつつも、エステルの手から発せられた温かい光が俺の体を包むと、途端に眠気がやってきた。
それに抗おうとすると、エステルの心地よい声が耳に届く。
「眠ってくださいな。今のレイモンド殿下には眠りが必要ですわ。ご安心を。わたくしが傍にいますわ」
本当に落ち着く人だ。
感心しながら俺は再度眠りに落ちたのだった。
■■■
それから数日。
エステルの治癒魔法は何度も繰り返された。
外傷はすぐ治せても、体の内部の治療には時間がかかるらしい。
煙をかなりの時間吸ったことで、俺の体は相当ダメージを負ったようだ。
それを少しずつエステルが癒してくれている。
ログレス聖皇家の血筋にしか使えない特殊な魔法、聖天魔法による癒しだ。いくらエステルが幼いとはいえ、破格の待遇といえるだろう。
「だいぶ良くなった気がします……部屋から出てもいいですかね?」
「まぁ……病気の方はどうして、そうやってすぐ治った気になるんでしょうか?」
クスクスと笑いながら、エステルは俺が部屋から出ることを許可しない。
立ち上がっていた俺に対して、エステルはベッドに戻りなさいという視線を送ってくる。
仕方なくベッドに戻ると、エステルはよろしいとばかりに頷いた。
「レイモンド殿下は死にかけたのですよ? そう簡単に良くなるわけありませんわ。安静にしていてください」
「いや、でも、魔法のあとに眠らなくなりましたし……」
これは半分本当だ。
眠気は来るが、魔法の後に寝ると驚くほど長時間寝てしまう。
ここ数日は、寝ているか、エステルの治癒魔法を受けているか、このどちらかしかしていない。
さすがに暇なので、眠気に耐えているのだ。
「それでも駄目ですわ。どうしても暇だというなら、わたくしがお話相手になりますわ」
そう言ってエステルは笑みを浮かべる。
どうもエステルの笑みを見ると、反抗する気が失せる。
仕方なく、俺は頷いた。
「じゃあ、どんな話をしますか?」
「どんな話でも構いませんわ。レイモンド殿下が好きなように喋ってくださいな」
「それは困るなぁ……」
喋るほどの人生を送ってはいない。
何かを頑張ったわけでも、何かを成したわけでもない。
それは前世ですらそうだ。
他人と話す機会もあまりなかった。
友人らしい友人もいない。
前世では、あまりにも生きることが苦しかったから、そんな余裕がなかった。
今世では、生まれに甘えて過ごしているから、自分一人だけで平気だった。
面白味のない人間だ。俺は。
「あまり……話せることはないんです……」
「なぜですか?」
「……俺には何もないから……火事で死ぬなって思った瞬間ですら……何もありませんでした」
「何もない人はいませんわ。レイモンド殿下がそう思い込んでいるだけでは?」
「いやいや……」
「わたくしは知っていますわ。レイモンド殿下が火事の中、貴族の子供たちを助けたことを」
エステルは優し気に微笑む。
だが、その笑みが痛かった。
「いや、それは……年上だし、王子だったので……」
「王子ならば真っ先に降りるのではありませんか? 少なくともすべての王子がレイモンド殿下と同じ選択を取るとは思いませんわ。だから……子供たちを助けたのはレイモンド殿下自身の判断ですわ」
「でも、助けたのは姫様です……」
「わたくしが助けたのはレイモンド殿下だけですわ。子供たちは助かったあとでした。あなたはあなたが思っているよりも、優しく、強い方だと思いますわ。あなたがあなたの判断で子供たちを助けたように……わたくしもわたくしの判断であなたをお助けしましたわ。火を消す以外にもレイモンド殿下を助ける方法はいくらでもありましたもの。でも……わたくしが助けたかったのですわ」
そう言ってエステルは俺の手を握った。
その手は暖かくて、その声はとても心地よくて。
自分を否定する思いが消えていく。
自分を肯定してもいいんじゃないかと、そう思わせる力がエステルにはあった。
「……あなたは不思議な人だ」
「好意的に受け取っても構いませんか?」
「もちろん」
「ありがとうございます」
その後、他愛のない会話が続いた。
自分のどうでもいいことをエステルには話せた。
どこかで読んだ本の話。
自分を溺愛する困った父の話。
抜け出す度にバレバレの追跡をしてくる護衛の話。
どれも大したことはなくて、面白くもない。
だが、エステルは楽しそうに聞いてくれたし、エステルらしい解釈を披露して、俺を楽しませてくれた。
だが、楽しい時間はいつまでも続かない。
「そろそろ……時間ですわね」
「時間?」
「殿下がある程度良くなるまでは、と我儘を言って出発を遅らせていましたの。まだ安静にしていたほうがいいですが、わたくしの魔法はもう必要ありませんわ」
「えっ……そうなんですか……」
「はい。元気になられて本当に良かったですわ。お話も……とても楽しかったですわ。わたくしにはあまり友人がいませんので。特に男の子と喋る機会はほとんどありませんでしたから」
そう言ってエステルは寂しそうに笑う。
その笑みを見ると、どうしてか胸が痛くなった。
エステルは静かにさようならと告げて、俺に背を向ける。
「ま、待ってください!」
思わず声が出ていた。
自分でも不思議だった。
呼び止めてどうするのか……自分でもわからない。
ただ、声が出ていた。
「はい?」
「えっと、その……」
エステルが振り返る。
だが、咄嗟に声をかけたものの、とくに話題があるわけではない。
エステルは小首を傾げて、不思議そうに俺の言葉を待つ。
沈黙に耐えかねて、俺は心のままに話すことにした。
「あの……もしも……お互いに大人になったとして……」
「として?」
「その……俺が……あなたの夫になることは可能ですか……?」
何を言っているんだ、俺は。
思わず自分を殴りたくなった。
最近会ったばかりの他国の姫に、将来の話をしてどうする?
しかも相手は俺と大して年が変わらない。
俺は前世では三十代まで生きた大人だ。いくら体の年齢に精神が引きずられるといっても、これはどうなんだ?
ただ、厄介なことに。
それは冗談でも、嘘でもなかった。
きっとこれは一目惚れというやつなんだろう。
前世も含めて、初めての一目惚れ。
それが今、来た。
前世からのトラウマから救ってくれた彼女は、俺にとっては女神だった。
そして先ほどの会話で、それが深まってしまった。いつまでも彼女と喋っていたいと思う。
それにエステルは誰がどう見ても美少女だ。
大人になれば絶世の美女になることは間違いない。
女性に免疫のない俺が惚れてしまうのは、きっと無理のないことのはずだ。
「それは……難しいかもしれませんわね」
だが、速攻で振られた。
思わず口を開けたまま固まってしまう。
そんな俺を見て、エステルはクスクスと笑う。
「我がログレス騎士皇国は、皇族の結婚相手を選ぶ時には円卓の聖騎士から優先して選びます。他国の王族と政略結婚をした前例はほとんどありませんわ。特にわたくしは次期騎士聖皇。しきたりでは円卓序列第一の聖騎士を夫に迎えます。ですから、難しいと申し上げました」
「それはつまり……俺が円卓の聖騎士になればチャンスがあるってことですか……?」
意外そうにエステルは目を見開く。
そして耐えられないとばかりに声を出して笑い始めた。
上品さは崩れないが、それでも心から笑っているようだった。その無邪気な笑い方は、どこかステラを思わせる。
やがて、エステルの笑いが落ち着くと。
「はい……もしも殿下が円卓の聖騎士になれたならばチャンスはありますわ。ですが、皇族との結婚は円卓の聖騎士の中でも重大行事。それぞれが思惑を持って、円卓序列一位を目指します。彼らを超えなければ私の夫には届きませんわ。それでも目指しますか?」
なんだか試すような問いかけだ。
水色の瞳にはどこか楽しんでいるような色もある。
だから俺は盛大に虚勢を張った。
「……全員蹴散らしてみせるさ……エステル」
「まぁ……豪胆ですわね。レイモンド殿下は」
「レイと呼んでもらえるかな? 親しい人はそう呼ぶんだ」
「はい。では、お待ちしていますわね、レイ。どうか、またその強い眼を見せに来てくださいな」
そう言ってエステルはニコニコと笑いながら、手を振って部屋を後にした。
それを見送った後、父上が俺の見舞いに来た。
そこで俺は宣言した。
「父上! 俺は円卓の聖騎士になります!」
「どうした、レイ!? 火事でおかしくなったか!? まだ寝ていろ! それがいい! さぁ! 早く!」
「いいえ! 俺は本気です! 俺は絶対に円卓の聖騎士になってみせます!!!!」
それは頑張らないと決めた俺が、頑張ると決意した瞬間だった。
前世では色恋とは無縁だった。
生きるために働いていた。生活の活の部分はなかったのだ。
そんな俺が初めて恋をした。活力が湧いてきたのだ。
この恋のために俺は頑張ると決めたのだ。