しょうねん
あるところに一人の青年がおりました。
人は彼をまじめでおとなしいといいます。
物静かで誠実そうだと。
事実、彼はあまり目立った行動はしません。
集団の中で表立って行動することはあまりありません。
与えられた役割を粛々と淡々とこなします。
些細なトラブルは独力で解決します。
それができないときはできるだけ速やかに周囲に相談します。
彼が関わった事案が大きな問題となることはまずありません。
ゆえに彼の仕事には一定の信頼が与えられています。
必然、彼自身にも相応の信用が与えられます。
けれどそれが大いなる間違いだということに気づく人はほとんどいません。
それが彼の擬態であると気づいたものはほとんどいません。
彼は、決してまじめではありません。
幼少期からおとなしかったわけでもありません。
自分の価値観が他人とは違うと。
自身の感覚が他人とは違うと。
同じことをしても咎められる者とそうでない者がいると。
そして、自分の言葉と考えが他人には伝わらないと。
二桁にも満たない年の頃にそう気づいた彼は、
周囲になじみ、目立たない為に、自身を押し殺すことを覚えたのです。
それ以上不用意に傷つかないために身に着けたペルソナと外套。
彼の奥底に眠る狂気と衝動を押さえ込むことにしたのです。
目立たなければ傷つけられることも無い。
矢面に立たされることも無い。
深く静かに傷つけられた心を守る為に彼は自身を偽り続けます。
弱さを隠す為に虚勢を張って着飾ります。
周囲が彼をまじめと評価し始めた頃から、彼は万能である振りをし始めました。
周囲の人々がそれを求めたから。
周囲の人々を落胆させたくないから。
周囲の期待に応えられず、幻滅されることが恐ろしかったから。
そうして自身の評価が落ちることが怖かったから。
そうして十数年が経ち、
彼自身、己の心根が見えなくなってしまった頃。
偽りと着飾りのペルソナたちが十を越えた頃。
彼はある言葉に出会います。
「君は君のままでいいんだよ」
「無理して背伸びすることはないんだ」
それが単なるきれいごとであればどんなによかったか。
ありのままを拒絶されたことのない人間が吐いた、当たり障りのないおためごかしであればよかったのに。
傷つき虐げられ続けた人が発した言葉だったから。
苦難にあって、己を曲げなかった人が発した言葉だったから。
彼の心は激しく揺さぶられたのです。
ペルソナも外套も貫いて、彼の心を抉ったのです。
彼は問います。
「それなら自分のこれまでは何だったのか?」
周囲と肩を並べ、同調し、自身を欺き続けた自分のこれまでを、真っ向から覆す言葉でした。
自身の弱さから目を背け続けた自分をまっすぐに否定されたような。
彼は思います。
「それでも遅すぎた」
いまさら生き方を変えることは、今の彼にはもう出来なくなっていたのです。
だって、彼はもう知ってしまっていたから。気づいてしまったから。
本当の自分自身は、幼い頃のまま、弱いままでいることを。
偽り続け、着飾り続けた彼の心は、
変わることなく繊細で、弱く幼いまま。
ペルソナを投げ捨て外套を脱ぎ去った自分には何も残らず、
周囲の圧に耐え抜く力もないと。
飾り気もなく晒された狂気が無作為に周囲を傷つけるだろうと。
ああ。
もしも幼い彼にそう言ってくれる者がいたのなら。
これまでの彼の人生に、その弱さに気づく者がいたのなら。
そうして寄り添い支えてくれる者がいたのなら。
彼の今は、まるで違うものになっていたのでしょう。
だから彼は決めたのです。
自分はもう変われないし変えられない。
ならばせめて他の誰かを支えよう。
自分と同じように苦しむ人たちが、自分と同じ道を辿らぬように。
社会と周囲に否定される人たちを、受け入れ、支えていこうと。
「みんな違ってみんな良い、なんてことは言わない」
「けど、君には君の良さがある」
「それは余人には理解されないかもしれない」
「だけど私は知っている、見えている」
「他の誰かに否定されていいものじゃあない」
「君は他の誰とも違うけれど、それでいい」
「周囲に合わせて、自身をごまかす必要はないんだ」
「だって少なくとも君は、私よりは上等な生き物なのだから」