紅橙に惚れた夏
風景画しか撮らない自分が自発的に撮りたいと、この一瞬を残したいと、人物に向かってシャッターを切ったのは、恐らくこの日が初めてであっただろうと俺は自負している。
それは芦屋夏樹というひどく歪曲な世界に飛び込んできた、飛びっきりの被写体。
それはきらきらと煌めいてすとんと現れたのだ。
じとじととした湿気が多かった六月も終え、本格的な暑さを増した七月のある日の放課後。
もうすぐ夏休みを迎えるそんな時分であった。
「うにゃ!相変わらず夏樹はすっごいな!ミミがこんなに可愛く撮れてる!」
夏樹の目の前で無防備に揺れる橙掛かった紅がきらきらと煌めいて笑う。眩しい迄の笑顔だ。
「……んな当然だろうが」
抑揚なく至極当然のように告げた。
しかし当然とは思っては無い。こいつを喜ばせたくて必死に兎のミミを前に格闘した。こいつが気に入りそうなその一枚を撮りたくて。
だが夏樹にとってそんな余裕のない素振りなど一切見せれない。そんなかっこ悪い姿など見せられるわけないのだ。
意識的に意地悪く笑みを作りながら夏樹が相手を見ると、相手はにかりと笑った。
「でもありがと!夏樹」
ーこの一言が聞きたくて。
この真夏の一等輝いた太陽みたいな笑みが見たくて夏樹はなりふり構わず頑張っているのだ。
…なんて口が裂けても言えないのだが。
その場に広がる数々の写真を見てため息を零す。それは夏樹の密かな努力の証。
伝わらない想いの欠片。
溜まっていく想いの破片。
その欠片の一枚をつまみ上げ、その一枚越しに相手を盗み見る。甘やかな声でミミと呼ぶ声は、普段夏樹の事を呼ぶ声より甘くて、それだけでじりりと胸が焦げ付くように痛むことをこいつは当然知らないのであろう。
知られないようにしてるし、隠しているのだけど。
「夏樹ー!後でこれみんなに自慢していい?」
「好きにしろ」
了承するとやった!と心底嬉しそうな表情をする彼を、あぁ、その表情も撮りたかった。と夏樹は後悔しながら見つめた。
友人達を思い出してるのであろう楽しげな表情を浮かべた後、相手はきょとりと夏樹を見つめてくる。くるくると変わる表情は今は心配そうな面持ちで、情けなくも眉が下がっている様は面白い。と夏樹は思う。
次こいつが何を言うのか大変かわかりやすい顔である。
「夏樹、体きついの?」
ほら、やはり体調を気遣う言葉を言ってくれた。そっと、気遣うように暖かな掌が額に置かれたがその熱に抵抗すること無く夏樹は大人しくしておく。
全体的に成長が足りてない身体の様に子供体温であるこいつの熱は触れるだけでじんわりと汗をかいてしまうほどだが、不愉快な熱さではないし、わざわざ触れてくれるなんて機会滅多にないのだ。卑怯だろうがこの機会に縋っていたい。
「大丈夫」
夏樹が短く告げると、熱が無いことも確認取れて安心したのだろう。額の熱は離れていく。
離れてしまった熱にもう少し触れたかったと焦がれながらも言うことは出来ず、その手を見送る。
するとその暖かな手は夏樹の頭に伸び、優しく撫でてくれる。再び降りてきた熱に素直に従っていると相手は声を潜めてくすりと笑う。
「……なんだよ」
「なんも?」
目を細める姿は何か言いたげではあったが、ろくでもないことはその雰囲気で分かってたので無視する事とする。どうせこの馬鹿のことだ、猫みたいとか、可愛いとか大層巫山戯たことを抜かすに違いない。
動物を撫でるような優しい手付きで撫でてくれたあと、そういえばと小さな声が漏れる。
「いいの?オレばっかお礼してもらって。何にもしてないのに」
なんかいっつも悪いなぁとは思ってんだけど。
その言葉にいいと夏樹は告げる。
「俺の都合に付き合ってもらってるからな。このぐらいはお前の当然の権利だろ」
「へへ。モデルってほど大層なことしてねぇけど……頑張るな!」
恥じらいつつも満面の笑みにまたシャッターチャンスを逃したと胸に悔しさが滲んだ。子供らしいあどけない笑み。でも、太陽のような眩しい光と名前らしい光溢れる笑み。
俺は出会ってから何度のこいつの綺麗だと思う瞬間を逃しただろうか、だから近くにいるのは嫌なのだ。溜まらない写真に思いを馳せて。自嘲気味に唇を歪ますと奴が撫でてくれるその手の感触に浸った。
奴こと七瀬光と夏樹が初めて出会ったのは去年の夏。
薄ぼんやりと裏庭の日陰で微睡んでいた時であった。
高校生なんて夏休みは有って無いようなもの。出校日か補習か忘れたがそう言った名目で学校に呼び出された後、八月いっぱいに提出しろと言われていた文化祭の作品にうってつけの場所を探し回っていた時であった。
今年一番の猛暑日と呼ばれる茹だるような暑い日に、動くのもめんどくさくなり、夏樹はお気に入りのカメラをその場に投げ寝転がる。
夏樹は写真部であった。始めたきっかけは覚えていない。なんとなく中学時代に始めたそれは夏樹の趣味としていつの間にか確立され、気づけばそれなりに有名な賞を取るぐらいの腕になってたらしい。
夏樹としては、幼馴染で双子である母方の従兄弟である星野春人が勧めるから春人が気に入った写真を提出したとしか言いようが無いのだが、その賞により知る人ぞ知る有名人になった夏樹は入学と同時に入部した写真部のホープとして、次も必ず良い賞を取って学校の知名度を上げろと無茶難題を学校から振られていたのである。
しかし最近、積極的に写真を撮りたいと思えない。
興味がある被写体も無いし、風景もない。
それに強制されて撮っても何もいい物は生まれないんじゃないか!とは夏樹の持論ではあるが、そんな事聞き入れてすらもらえないので、大人しく撮影してる振りをする。
振りさえしとけばセンスのない先生達はあれもこれもいいと褒めてくれるからそこだけは気が楽であった。
さて振りさえしとけば騙せるが、それじゃ問題が起きる。天才的な才能を持った芸術家、なんて称された自分である。別に自分が天才だとは思ってないが、それなりに自尊心はある。文化祭展示用の写真や大会出展用の写真を見られて、あいつ腕落ちたなとか、そんなに言うほどなくね?とか絶対言われたくない。何も知らない奴に馬鹿にされるのは我慢ならないのだ。
もうどうにもならない場合は春人の勧める写真を提出しようと考えながらも、そろそろ本格的に今回のテーマに沿ったモノをもう一回探そうと夏樹は体を起こした、その時であった。
「うにゃにゃっ!」
…となんだかアホっぽい鳴き声を拾ってしまったのは。
あまりにもアホっぽい鳴き声だったので一瞬何事か分からなかった。
とうとう俺の耳は未確認物体並びに、未知の生物の声を感知できるようになってしまったか…。いやはや自分の能力が末恐ろしい。と現実逃避をしながらも、若い男の声がした方へと身体を向ける。
それはほんの少しの好奇心であった。可愛らしい声なのに馬鹿っぽい鳴き声を出すそいつがどんな奴なのか。どんなアホ面を晒してるのか見てやろうと思った。
しかし夏樹は見てしまったことを後悔してしまった。
そこに居たのは夏樹が今まで見たことない様な眩ゆいまでの光。
夏の日差しを一身に浴び、その日差しに負けぬ様きらきらと煌めく少し長めの赤みがかった橙色の髪。その紅橙のその下で隠れきれてない意思の強そうな眉がその顔をさらに表情豊かにして。その眉の下には大きな双眸が一心に何かを見ている。
そこから伸びる肢体のしなやかさは少し童顔気味である顔に似つかわしいバランスのとれた身体であった。まるで作られた芸術品のような、ドールのようなバランスのとれた身体。
その顔が、身体が、強い日差しの中、まるで夏の化身の様な今までに見たことないような強烈な光を持って夏樹の前に現れた。
ーなんて錯覚をしてしまうほどに、一瞬で目の前のこいつにすべて持っていかれていたと思う。
「撮りたい」と思った。
どうしても残したいと思った。
寝転がってうさぎと楽しげにじゃれてるそいつを。
滴り落ちてくる汗すら気にせず、炎天下で笑うそいつを。
絶対この一瞬を残したいと、人物に向かってシャッターを切りまくったのは恐らくこの日が初めてであっただろうと俺は自負している。
それは芦屋夏樹というひどく歪曲な世界に飛び込んできた飛びっきりの被写体。
それはきらきらと煌めいて夏樹の前に現れた。
もっと近寄りたいと身体を引き起こした途端、突如吹く突風。
まるで夏の台風の様な激しい突風はその一瞬後に、夏樹の前から煌めいたそれを吹き飛ばしたのであった。
それはほんの刹那の邂逅。その奇跡は夏樹の心に荒れ狂うような嵐を引き起こしたのであった。
その姿は忽然と姿を消した後で。
ーそれからどこの誰か分からぬまま二、三ヶ月が経った。名前も分からないしどこの学年でどこのクラスかも分からぬその人物は、夏樹の中で消えない存在となって胸の中で存在を示し続ける。
またあの笑顔が見たい。そう、切に願う。
そっとポケットに入れていた携帯端末を出すと、待ち受けを表示させる。
そこに現れたのはあの日夏樹が撮った陽だまりのような彼。肖像権の侵害だとかストーカーだとか訴えられたら一発で負けかねない待受だが、それでも陽だまりのような彼を常に見ていたかった。常に独占して閉じ込めていたかった。
他の写真はそっとまとめて持ち歩いてるが、自分的に一番よく撮れたと自信を持って言えるこれだけはすぐ視界に入るところに欲しかった。
勿論こんな画像や写真は家族にも従兄弟で仲のいい春人にも見せていない。優しい幼馴染であり従兄弟だが、流石にこの画像を見て敬遠されたらと思うと怖くて見せられない。こんな嵐がずっと巣ごもって勢いを増していくだけの綺麗ではない感情、穏やかで優しい彼に知られるわけにはいかないのだから。
夏樹はそっと画面を撫でる。横顔ですら、ふくふくの頬ですら、夏樹を魅了してやまない。
欲しい。会いたい。声を聞きたい。会ってあの笑顔を閉じ込めたい。あの笑顔を撮りたい。撮り続けたい。
……ふ、と夏樹は自嘲気味に笑う。我ながら気持ち悪い。こんな感情を持つ男が全く知り合いでない彼に会って何になるというのか。
拒絶されるのがオチではないか。分かりきってる答えであり考えるまでもない。考えるまでもない答えなのだが、導かれた答えにぐずりと胸が痛む。それでも拒絶されたくないなんて、都合のいい考えで笑える。
緩く頭を振って都合の良い考えを振り払っていると、ぽん、と肩を叩かれる。
「うおっ!!」
驚きで後ろを振り向くと、同じ様に驚いた顔をした春人が固まっていた。
「は、春人…急にどうしたんだんだよ、驚くじゃねぇか」
「ごめんね…考え事してるみたいだったから一応声掛けたんだけど、聞こえてなかったみたいだね」
眉を下げて謝る春人に大丈夫だと返答する。呼んでくれていたと言うのに気付かなかったのは夏樹の落ち度なのだから。
それで何かあったのかと尋ねる。
「何って…夏樹の写真がエントランスに飾られるから見に行こうって言ったじゃない」
あぁ、そういえばそうだった。
ふっ、と笑う夏樹。
コンテストに出した写真は今年ももれなく最優秀賞を受賞しており、今日から一ヶ月限定でエントランスにパネルで張り出されるとのことであった。それを見に行こうと朝一に声を掛けてくれたのは春人であった。おめでとう、とお祝いの言葉とともに。
わざわざ見に行くのは気恥しいことこの上ないし、今更自分の撮る写真に感動などしないが、大好きな従兄弟が親切で誘ってくれてるのに断るつもりなど夏樹にはない。
端末の電源を切って、画面を非表示にさせると椅子から立ち上がる。
朗らかに笑う春人と伴って、夏樹はエントランスへと向かった。
道中で他愛もない下らない話をする。春人が所属する天文部で冬の天体観測を計画しているということ、隣のクラスの担任がこの前二十三回目のお見合いをしたこと、二年の誰々先輩が生徒会長に立候補していること。
尽きることなく、しかし矢継ぎ早ではなく優しく教えてくれる春人。
彼の優しい雰囲気に触れながら二人はゆっくりとそこに向かう。
エントランスに着くとざわざわと部活や委員会、下校など様々な理由行き交う生徒達で溢れかえっていた。そのとりとめない話は足音はたくさんの不協和音をそこに生み出していてた。
音が音でなくなる煩わしいその空間。
夏樹は自分の拾うはずの音なのに何処か遠くでさざめきあってる様な言いようのない気持ち悪さに辟易しながらも、その中を春人の声だけ器用に拾い集めながら進んでいく。春人の声すら拾えなくなる恐怖に少しだけ怯えながら。
ーーあったかいな、これ。
それは思考に溺れる夏樹の中の不協和音を切り裂いて、ポツリと落ちてきた音であった。水が砂漠に落ちた時に染み込むような早さで、耳元で何のためらいもなく話された様な声量で、刺すように夏樹の鼓膜を揺らす。
その言葉だけを不協和音が鳴り響くざわざわとしたこの空間で拾い上げてしまい、夏樹の鼓動は強くなった。ドクドクとドクドクと鼓動は早さと音量を増して、エントランスの不協和音を壊し春人の声すらも排除してただ鳴り響く心音。
まさか、と脳裏に浮かぶ。
その音を聞き間違えることは無い筈だ…その甘やかで優しい音をもう一度だけでも聞きたいと何度だって願った音だから。
こきゅり、と夏樹は一度嚥下する。 乾いてしまっていた喉はそれで少しだけ潤いを得た気がした。
柄にもなく緊張しているようで、手が震える。
うにゃにゃ!なんて間抜けな喋り方以外も出来るのか。と存外アホめいた思考が夏樹の頭の中によぎった。
人並みが揺れ動き、その波が消える。
音を拾って驚きのうち無意識のうちに止まってしまっていた足。目の前に現れるその人影。
月夜にかかる雲が途切れたかのような緩慢な動きの人のモヤが消えた先にいたのは、待ち望んでいた紅橙であった。日光に当たってないのに変わらず淡く光る赤橙。それと、蜂蜜色を混ぜた翡翠の宝石。それがやつを彩る基本色。それと、ふくふくとした横顔。
望んでいた全てが夏樹の目の前に晒され、夏樹の目は細められる。どこに居ても暗い場所にいても変わらない眩い光。そう知って夏樹は口元に笑みを浮かべる。ひとつ増えた君の知ってる事。
そんな姿を目を透かして眺めていると、ん?と聞きなれた声が聞こえた。
「芦屋ー?何してんの?」
空気を読まないお前への殺意を抱いてた所だと述べてやりたい。しかし出来ないので夏樹は眉間に皺を寄せて、別に。と呟く。
紅橙の横に居たらしいその男、(ド派手な見た目のくせに何故か写真部にいる)大庭隆之介は「なになに冷たいじゃーん」なんてけらけらと笑っている。失礼な。俺の全身全霊の優しさだぞ。お前がこちらを振り向いたせいで視界に紅橙が映らなくなった事にも文句の一つでも言ってやりたいのに言わずにいてやる俺。あぁ、間違いなく俺は優しい。
そんな自画自賛に浸りながらも、隆之介の後ろに気を遣ってると、赤橙が傾いたのが隆之介越しに見えた。
翡翠が揺れて、夏樹を伺っている。
そのアーモンドみたいな大きな双眸に捉えられた瞬間、呼吸が止まるんではないかと言う衝動に圧された。
じぃと彼は夏樹を見つめるとアーモンドみたいな目を綺麗な半月にし、にかっ、と音が聞こえる程の満面の笑みをこちらにくれる。
どくん、と血が逆流する感覚が身体中を支配する。頬まで一気に血が巡り、じわじわと体温が上がる。もうそろそろ本格的に寒くなりそうな時期なのに、自分の身体は真夏の日差しを浴びたかのように体温を上げていく。なんだ、その笑み。そんなの反則じゃないか!と言ってやりたい。可愛くて眩しくて痛い。
そいと彼は夏樹から目線を外ふと隆之介の服の裾を掴み、なぁなぁと甘えた様に声を上げる。
「な、りゅう、りゅう!」
「なんだい、光くーん」
「んや、某ネコ型ロボットの真似しなくていいし。似てないし。誰なの?」
あぁ、その微妙な喋り方は青色の猫ロボットの真似か。…似ていなかったが。
十人中十人が思うであろう感想を抱きながら夏樹は二人の様子を伺う。
「声のかけられ方がつい。そして俺は青い狸じゃないし…こいつがアレだよ。話してた芦屋夏樹くん」
「へぇー」
感嘆符が飛んでそうな惚けたような声に、夏樹はドキリとする。何の話をされてたが知らないが隆之介の事だ、おおよそろくなことは話して居ないだろう。
アイツ後で絞めるか、と夏樹が脳内で計画を立てていると隆之介が紅橙色に向かってニッコリ笑う。
「ほら大好きな芦屋くんに自己紹介は?」
聞き間違えかと思うその言葉は普段は絶対耳にしたくないと思っている隆之介の声を都合よく夏樹の鼓膜の中にストンと入れた。今こいつなんと言った?なんと質の悪い冗談かと一発殴ってやりたい衝動に夏樹は駆られながらも、嘘でなければと一抹の期待を乗せ紅橙を見ると、その紅橙の頬は薄らと紅く染まっていた。
「ばっ、あっ!飛躍させんなっ!」
…飛躍、の意味は分からないが、好きかどうかは別として少なくとも嫌われてる様子ではなくて安心する。
目尻に雫を溜め、涙ぐむ姿は夏樹の撮りたいと願う欲をそっと煽る。可愛らしい眉が下がって、捨てられた小犬の様なその表情すらも残したい。きっとまだ見たことない表情がたくさん有るのだろう、その全てを残したいと思い、無理な事を悟って首を振る。
男が男を撮りたい、なんてー
嫌がられること請け合いだな、と夏樹が結論を出していると紅橙の声があのな、と漏らす。
震える声を一文字残さず拾い上げようと耳を傾けると紅橙は逸らすことなくこちらを見上げ、あのな、ともう一度繰り返す。
「隆之介の言葉は冗談だから置いといて。写真綺麗だなって思ってたんだ…だから会えて嬉しい」
砂糖菓子みたいなとろとろな言葉。
俺は初めて彼に貰ったこの言葉をきっとずっと忘れないのだろう。
「あ、オレ、七瀬光!宜しく」
そう笑って言って差し出されたその手の温もりはとても熱くて。じんわりと滲んだ汗すら愛おしいと思った。
名前すら彼を彩るに相応しい綺麗な名前だと思った。
宜しく、とそう言いたくて。しかし夏樹の喉は全ての水分が抜けたかのようにカラカラに渇き、声帯が何一つ動こうとしない。
「あ…」
漏れ出たのは一つの母音。礼の言葉を紡ぐ最初の一文字。
「あ?」
「アホっぽい」
…しまったやらかした、と思った時にはまずかった。伝えた事は何一つ伝わらず明らかに初対面では伝えないであろう言葉。
素直に言えないのは夏樹自身、悪癖だとは分かってたけど、まさかここで発揮してしまうとは。自分のひねくれ具合に自己嫌悪に陥った。確実に嫌われた。ほぼ初対面なのにこんな言葉を言ってしまって、嫌われない確証なんてほぼ無い。
全身の血の気が引いたような恐怖に駆られながらも、斬首台に立つ死刑囚の様な覚悟を決め、夏樹はもう終わりだという絶望的な気持ちの中、彼からの非難の言葉や断罪を待つ。
「なぁー隆之介」
光は隣にいる隆之介に顔を向けると「これって褒められてんの?」と大変見当違いな事を聞いている。
「んー光の前向きな考えは隆ちゃん嫌いではないけど多分褒められてはないと思うんだなー」
多分誹謗中傷って奴ですよー?と隆之介はこちらを見ながら世間一般の正答を出す。そっか、と落ち込む彼の憂いの表情が胸に刺さる。そんな顔をさせたかったわけでも傷付けたかった理由でもないのに。
夏樹は謝罪をしようと口を開くが、さらに嫌われたらと思うとその口からは何ひとつ音を紡ぐことは出来ない。
どうしていいか分からず固まっていると隆之介からは困った様な笑い声を漏らす。その目に宿る哀れみの色が見えてやはりアイツは一回殴ろうかと思っていると奴は光の名を呼ぶ。
「この子極度の恥ずかしがり屋さんだから、光に好きーって言われたり写真綺麗ーって言われて動揺したんだよ。真正面から言われることに慣れてない子だから許してあげて?」
納得したらしい彼はそっかとふにゃふにゃの笑顔を浮かべる。…なんだその顔、可愛いとか有り得ないじゃないか。
「…宜しくな。俺ずっと仲良くなりたいって思ってたんだ」
はにかんだ様な笑顔でとどめを刺され、夏樹はなんとか頭を縦に動かした。
それが奴の思う初めて出会った日。
そして二度目の出会いの日であった。




