007「狼煙を上げる」
「ふ~ん。謙遜は美徳だけど、行き過ぎると卑屈にしかならないぜ?」
「だけど、父親に敵わないのは明白な事実さ」
ベッドの端に並んで座りながら、上着を脱いだテオとドミニクが、リラックスしながら仲良く会話を交わしている。
「なるほど。偉業を成し遂げた父親の息子だから、さぞかしよくできるのだろうという期待が、重荷になってるわけか。ここに入学できるってだけでも、世間からすれば優秀で恵まれた人間だって証拠になるのに。うーん」
しばし首を傾げ、腕を組んで黙考したドミニクは、何かを閃いたとばかりにポンと拳を平手に打ち合わせ、窓に向かって駆けだす。
「どうしたんだ?」
「こんな湿っぽいところで青春を空費するより、街に出ようぜ」
「はいっ? 下の談話室には、交代で上級生が常駐してるんだ。どうやって説明するのさ。外出許可を認められるような理由なんか、何もないじゃないか」
「そんなもの、一階に降りずに抜け出せばいいだけの話だよ。おあつらえ向きに、窓の外には立派な大樹がある」
驚いて立ち上がるテオをよそに、ドミニクは中指を親指の腹へ弾いてパチンと鳴らす。すると、ワイシャツとスラックスの隙間から面妖な黒い煙が立ちのぼり、耳と同様にシマリスのような尻尾が出現する。
「あのさ。ケホッ、ゴホッ」
何かを言いかけたテオが、まともに煙を浴びてむせると、ドミニクは窓を開けて煙を逃がしつつ、下枠に片足をかけ、もう片方の足で弾みをつけてしゃがみ込む。それから、部屋に入ってくるときと同じように両足でジャンプし、両手両足で樹の幹にしがみつく。そして、片手を離して顔をテオのほうへと向けると、フサフサの尻尾を左右に振り振り、挑発的にテオを誘う。
「話は、飛び移れたら聞いてやるよ。ここまでおいで~だ」
「戻って来いよ、ドミニク。入学早々、問題行為を起こさないでくれ」
「お利口さんだな、テオは。でも、そんなチキンハートじゃ、父親を超えることなんて出来ないぜ? まっ。一生、大きな影に怯えて暮らしたいなら、それでもいいけどさ。――ハッハーン。さては、高いところが怖いんだろう。弱虫やーい」
ドミニクが顔の横で手をヒラヒラさせながら舌を出して馬鹿にすると、テオは眉間に縦皺を作りながら言い返す。
「言ったな、このチビ助!」
テオは、下枠に両足を載せると、一瞬、窓下を見て肌を粟立たせたが、すぐに前を向き、立ち幅跳びでもするかのように踏み切る。ところが、臆病風に吹かれたせいか、勢いが足りなかったテオは、庭に向かって自由落下をはじめる。
「アッ……」
「オッと、いけない!」
テオの危険を素早く察知したドミニクは、尻尾の先をテオの右腕に巻き付ける。そして、左右に揺れるテオが藁にもすがるように尻尾を掴んだのを確かめると、スルスルと樹を降り、二人は庭に着地する。
「ハァ~、これで終わりかと思った」
「大袈裟だな。まだ、始まったばかりじゃないか。それより、さっきは何を言いかけてたんだ?」
胸に手を当てて大きく息を吐きながら安堵するテオに対し、ドミニクがあっけらかんと質問する。テオは、しかつめらしい顔をしつつ、こめかみに指を当てて数秒ほど考えたが、すぐに平生の顔に戻り、首を横に振りながら返事をする。
「忘れた。さっきのショックが大きすぎて、記憶が消し飛んだらしい」
「そっか。まぁ、大した案件じゃなかったんだろう。それじゃあ、自由の世界へ行こうぜ」
「あぁ、行こう」
ドミニクが右手を差し出すと、テオは左手を出して手を繋ぐ。そして二人は、そのまま足音を忍ばせつつ、壁際を中腰で歩いて行った。