050「息子をよろしく」
時は流れて、後夜祭の頃。魔力素が回復して以前の金髪碧眼の美少女姿になったエマと、どこか疲労の色を滲ませているテオの二人は、エマの両親に見送られながら再び汽車に乗り、今度はテオの実家である北国の洋館へとやってきている。その道中、エマは迎えに来た執事や馬車に驚いたり、どこまでも鬱蒼と茂る森に退屈したり、屋根裏にコウモリやネズミが棲みついていそうなくらい古めかしいレンガ造りの建物に圧倒されたりしていた。
そしてエマは、ろくにテーブルマナーがわからないまま、エスカルゴの殻を飛ばしたり、山羊乳のチーズを口に入れて派手にむせ返ったりしては執事の世話になりつつ、気まずい沈黙が支配する晩餐を終えたところである。
「テオ。少しばかり、エマ嬢と内密に話したいことがある。席を外しなさい」
「はい、お父さん」
テオに似た青髪青目の男が、重々しい口調で命じると、イスを引かれながらテオは席を立ち、そのまま先導する執事とともにダイニングから姿を消す。
男は、握った拳を口の前に添えて咳払いをすると、いきなり肩の力を抜いて上半身を背もたれに預け、さきほどまでとは打って変わった気の抜けたフランクな口調でエマに話しかける。
「貴族ごっこは、いったん休みね。アー、疲れる」
突然の変化に、エマが呆気に取られていると、男の横の席に座る銀髪の女が、口元に片手を添えて小さくクスッと笑いをこぼしてから、エマに向かって優しく話しかける。
「ビックリさせちゃったかしら? 私も主人も、テオの前でだけは、立派な男になってほしさに厳しく接しているの。本音を言えば、もっと構ってあげたいし、チヤホヤしてあげたいところなんだけど、それじゃあ、あの子のためにならないと思ってね。断腸の思いで我慢してるのよ」
「あぁ。……そうだったんですね」
エマが、急に暴露された事実を、心の中でゆっくりと消化していると、男は、真っ白なテーブルクロスの上にだらしなく肘をつきながら、さらに説明を続ける。
「メンタル、フィジカル、テクニカル。心身ともに丈夫でないと、貴族としても騎士としても、到底やっていけないからね」
「テオが独り立ちするまでは、私たちには親としての責任があるもの。どうしようもない子に育たないように、不用な優しさは硬質な仮面の裏に隠してるんだけど、私たちも心ある人間だから、ときどき、感情が抑えきれなくなってコントロールできなくなっちゃうの。それで……」
「情にほだされないうちに、顔を合わせずに済む方法として、距離をとることにしている、ということですか?」
エマが論点を先回りすると、二人は相好を崩して頷き、男はエマに要望を伝える。
「親に似て不器用な息子だけど、心優しくて、繊細な性格の持ち主なんだ。どうか、そばにいて支えてやってくれないかな?」
「はい。任せてください」
頼もしいエマの返答に、テオの両親が揃ってホッと胸を撫で下ろすと、再び居住まいを正して氷の仮面を装着し、男はテーブルの上にあるハンドベルを手に取り、スナップを利かせてチリンと涼やかな音を鳴らした。
すると、ほどなくして執事が姿を現したので、男はもったいぶった様子で歓談の終了を告げ、テオを呼び戻すよう命じた。