049「娘をたのむ」
「ちょっと。いくらなんでも、飲みすぎよ」
「ウイッ。目に入れても痛くない愛娘を旅に出して、ようやっと魔女修業から帰ってきたと思ったら、生白い優男を連れて帰ってきたんだぞ? 飲まずにはいられないじゃないか。ヒック!」
酔いが回り、すっかり出来上がった男に、女が空になったビール瓶を片付けながら声を掛けると、男はトロンとした目をしながら、中空に向かって管を巻く。
テーブルの中央に置かれた、さばいた魚を乗せていた大皿や練り物が入っていた鍋は、ほとんど空になり、祝いの宴はたけなわを過ぎて、お開きとなっている。
「しょうがない人。――エマ。悪いけど、パパをお部屋まで連れてってちょうだい」
「ハーイ。――ほら、パパ。酔っ払ってないで、しっかり立って」
「おっとっと。つい、調子に乗ってメートルを上げ過ぎたかもしれないな」
エマは男の腕を自分の肩に回すと、千鳥足で歩く男を器用にコントロールしながら、のろのろと廊下へと向かう。
二人の姿が廊下に消えてから少しあいだを空けて、手洗いに立っていたテオが、ダイニングへと戻ってくる。テオは、部屋にエマと男の姿が無いのを認めていると、疑問を先読みして、女が口を開く。
「エマなら、酔っ払ったパパを部屋まで運んで行ったところよ。そのうち、適当に寝かせて戻ってくるわ」
「あぁ、そうですか」
「海の幸ばかりだったけど、お口に合ったかしら? 食べ慣れなくて、胃が驚いてるんじゃない?」
「いえ。どの料理も、美味しかったです。それより、一枚の大皿や、ひとつの鍋を、食卓に並ぶ全員でシェアして食べるということがなかったので、新鮮でした」
「あら、そうだったの。一人分の食事を、誰にも邪魔されずに食べる習慣が根付いてるなら、こういうのは抵抗があったんじゃなくて? 嫌なら嫌と、ハッキリ言ってくれて良いのよ、別に」
「とんでもない。こういう賑やかさは、悪くないと思いました」
「そう。それなら、ひと安心ね」
女は、そこで話を区切ると、窓辺に歩み寄り、シャーッと軽快にカーテンを開ける。窓の外には、漁火を焚く船が、静穏な水平線上にポツポツと浮かんでいるのが見える。
「これまで、海を見た経験はあるのかしら?」
「いいえ。今回が初めてです。トンネルを抜けてすぐに見えてきた、どこまでも続く青い海原と開けた空には、とてつもない解放感を感じました」
「ウフフ、そうでしょうね」
テオが、その青い瞳に漁火を反射させて輝かせながら語る姿に、女は好感を持ち、サッとカーテンを閉めると、手招きをして呼び寄せながら、近くのソファーに座る。それに応じて、テオも隣に腰を下ろす。女は、テオが話を聴く姿勢になったのを確かめると、静かに本音を語り始める。
「ねぇ、テオくん。あなたがエマを思う心に嘘はないでしょうし、エマがテオくんを慕う気持ちも、きっと本物でしょう。でも、あなたは騎士を目指していて、エマは魔女になろうとしてるの。そのことで、世間からの風当たりが強くなるときが、遅かれ早かれ、必ずやってくるでしょう。凪になるときもあれば、時化になるときもあるのと同じね。それでも、お互いを信じて、困難に立ち向かうだけの覚悟が、テオくんにはあるのかしら?」
「はい。どんな嵐がやってこようとも、二人で乗り越えてみせます」
真っ直ぐな濁りの無い瞳で、テオがキッパリと断言すると、女は満足げに頷き、テオの左手を両手で包むようにして持ちながら言う。
「それを聞いて、安心したわ。ふつつかな娘だけど、エマのこと、お願いね。頼んだわよ」
「はい」
力強く返事をしたテオに納得した女は、そっと手を離すと、大事なことを思い出したとばかりに付け足す。
「あっ、そうそう。パパが子離れできてないのは、妻である私から再教育しておくから、問題無いと思って」
「あっ、はい」
何を言われるのかと思って身構えていたテオは、予想外の内容に拍子抜けし、思わず頬を緩めて笑う。そこへ、エマが廊下から姿を現す。エマは、談笑するテオの姿を見るやいなや、タッタッタと足取りも軽く駆け寄った。
こうして、聖誕祭の前夜祭の夜は、至極平和に更けていくのであった。