043「ウィスパーボイス」
「ねぇ、テオくん。聞こえてるかしら?」
両手でペンダントを包み込むように握りつつ、エマは、質素な簡易ベッドの上で深い眠りに就いているテオに話しかける。エマがテオを見つめる目は伏し目がちで、どこか躊躇する様子がうかがえる。
「あのね。私は、この街に魔女になるためにやってきたの。だから、テオくんが騎士を目指してると知っていたら、きっと最初から避けていたはずなのよ。なのに、私たちは何度もめぐり逢い、そして、恋に落ちてしまったの。皮肉な話ね」
シニカルに口の端でフッと笑いをこぼすと、テオからの返事のないまま、さらに一人語りを続ける。
「憧れを叶えるためには、ここであなたを助けることは合理的でないわ。けど、理屈では分かっていても、目の前で苦しんでいる好きな人を見過ごすことは、私には出来ないの。魔女として、どうかしてるわね」
言い終わったあとも、なおも静かに規則正しい寝息を立て続けるテオ。エマは、安らかな寝顔を潤んだ瞳で見つつ、一度、服の袖で目頭をそっと押さえてから、再び決然とした表情になってペンダントを握り直す。
「これは魔導書の最後のページに載っていて、発動させると、対価としてしばらく魔法が使えなくなるという代物だし、万が一、私の中にある魔力素が必要量に足りなかったら、命を落とす危険性もある術式なのだけど。でも、私は誰よりも、テオくんのことを愛してます。ここままお別れしたくありません。だから、あえてリスクのあることに挑ませてね」
そう言うと、エマはペンダントを握った指のあいだに吐息でも吹きかけるようにしながら、囁くような声で詠唱する。
「ベントラカタブラ、カリフラクワバラ、エロヒムニラヒム。昏き睡りよ、醒めたまえ!」
すると、目がくらむほど眩いばかりの光が指の隙間から放射線状に広がるが、それはパーティションから漏れることはなく、ほどなくしてエマとテオに集中し、しばし二人は、赤に青にマーブル模様を描く球状の光に包まれた。