039「思わぬ訪問者」
「ただいま」
「おかえり。遅かったね。蜂蜜は買えたかい?」
アランが眉根を下げ、労をねぎらうような慈愛に満ちた表情で迎えると、エマは買い物かごから蜂蜜の瓶を出し、静かにコトリとカウンターに置くと、何も言わないまま、重たい足取りで奥の住居スペースへと進んでいく。
アランは、その様子を見て、瞬時に何かあったと悟るが、あえて何も言わないままエマの姿が見えなくなるまで背中を見つめる。そして、足音が聞こえなくなったタイミングで、カウンターの下からガラス製のティーポットや茶葉を量る金属製のスプーン、砂時計などを用意しはじめる。
「蒲公英か、金盞花か。……いや。ここは過敏な神経を抑える意味も含めて、花薄荷だな。ささくれ立った気持ちを静めなければ」
ガラスの曲面に反映する自分の顔を見ながらブツブツと考えを口にしたあと、おもむろに厨房スペースに隣接する食品庫へ移動し、棚に陳列している瓶の中から目的の物を手に取ってから、再びカウンターへと戻る。
客が来ないのを良いことに、アランがせっせとハーブティー作りにいそしんでいる頃、エマは自分の部屋のベランダに出て、窓下に広がる街並みを眺めつつ、手すりの上に両手と顎を乗せ、大きなため息をつく。
「あぁ、テオくん。どうしてあなたは、騎士なのよ」
伏し目がちで愁いを帯びた表情をしつつ、どこぞのシェイクスピア悲劇のヒロインのように物憂げに呟くと、今度は眉根を寄せて難しい顔をする。
「このまま恋心を捨てて諦めてしまうか、それとも修業中の魔女だと告白してしまうか。それが問題だわ」
脚本が変わった。この調子だと、そのうち「ドミニク、お前もか!」とでも叫び出しそうなくらい、エマは情緒が不安定になっている。そこへ、コンコンと控え目にドアをノックする音がする。
「空いてるわよ。どうぞ」
「良かった。間に合ったみたいね」
「あっ。あなたは、いつぞやの自称婚約者ね」
おおかたアランだろうと予想していたエマは、そこにハーブティーを載せたトレーを持って立つ人物がイザベルであることに気付くと、振り返って目を丸くする。
「自称は余計よ。それより、早くコレを飲んでちょうだい。時間が無いから、立ったまま飲みながらで話を聞いてもらうわ。お行儀は悪いけど」
「ずいぶん焦ってるのね。まさか、毒を盛ったんじゃないでしょうね?」
「淹れたのは、下にいるマスターよ。いいから、グラスを持ちなさい」
苛立たしげな様子でトレーをエマに近付けると、エマは言われた通りグラスを持ち、火傷しないように慎重に飲み始める。その態度に満足したイザベルは、かいつまんで話をはじめる。
「愛しのテオが、この祭りの警護に当たってると言うから、見物がてら来たんだけど、本人に会う前に、ここの小さな看板娘が一人で急いでどこかへ向かうのを目撃してね。慌てて口走る支離滅裂で要領を得ない話をよくよく聞けば、あなたを探してるって言うのよ。なんでも、テオが怪我をして大変だから、エマに会わせなきゃいけないって。それを聞いたら、私としても、あなたに抜け駆けさせられないじゃない。だから、すぐに私と一緒についてきてほしいの。――飲んだわね。グラスを置いて、これを持ってちょうだい。ナイフとフォークより重いものは、一秒でも長く持っていたくないの」
飲み干したエマは、トレーにグラスを置いてイザベルの手から預かると、踵を返してツカツカと足早に部屋を出て行く彼女の後ろ姿を、カタカタと音を立てながら早足で追いかけた。