003「オレンジの恋心」
ここは、オレンジシティー中央駅。南北に長い大陸のほぼ中間地点に位置するこの場所は、全国各地の列車が発着する一大ターミナルである。その広いプラットホームでは、どこもかしこも汽車や人や荷物がひっきりなしに行き交い、喧騒と色彩に満ち溢れている。
「これで、よし!」
改札口付近にある洗面所から自信満々に出てきたエマは、服装と荷物はそのままに、誰もが羨むであろう美人へと変身している。頬と鼻に散らばっていたそばかすは消え去り、パーマっ気のある赤毛は、絹糸のような金髪へと置き換わっている。耳をすませば、あの少女は何者だという噂声がチラホラと聞こえてくる。
オレンジシティーには、パリとアムステルダムを足して等分割したような街並みが広がっている。市の中央駅を囲むように位置する繁華街を見渡せば、街の名の通り、青果店を見ても生花店を見ても、嫌でもオレンジの色彩が目に飛び込んでくる。
潮騒の青い港町からオレンジの都市へと移動し、環境の変化に敏感に反応しながら、ボストンバッグ片手に華やかな街にウキウキと上機嫌でスキップするエマの姿は、どう見てもおのぼりさんそのもので、どこか微笑ましいものがある。
そんな上機嫌のエマとは対照的に、モノクロからカラフルへ、薄暗い森から光あふれる都市へと変わったことで、錐体細胞と桿体細胞にダブルパンチを受ける少年がいる。テオだ。人里離れた邸宅で育った少年には、聴覚にもダメージが及んでいるようで、静かに休憩できる場所は無いかと、俯き加減で探し歩いている。
「キャ!」
「ウワッ!」
上を向いていたエマと、下を向いていたテオ。どちらも、まともに前を向いて歩いていなかった二人が改札口を出てすぐの角で衝突するのは、避けされないことである。背中からぶつかられてたたらを踏んだテオは、振り返ってぶつかった人物エックスが少女であると認めると、ボストンバッグを持っていないほうの手を差し出しながら、気遣わしげに言う。
「大丈夫ですか? 怪我しませんでした、か?」
「アイタタタ。もう。気を付けてよ、ね?」
エマは「手を引いて立たせる」という意味で差し伸べたテオの左手を無視したまま、乱暴に裾のホコリを払って立ち上がる。テオは、当たり前のように男に力を借りようとしてくる貴族の娘たちと違ったエマの逞しさに驚きつつ、差し伸べた手をさり気なくポケットに動かし、ハンカチを出して渡す。
「これで汚れを拭いてください」
「あぁ、ありがとう。気が利くわね」
エマは、細やかな気遣いなどしないガサツな海の男たちとは異なるテオの雅で洗練された優しい仕草に戸惑いつつ、ハンカチを受け取って軽く手を拭いてから返し、横倒しになっているトランクを持ちあげる。そして二人は、何も言えないまま簡単に会釈を交わすと、そのまま互いの目的地に向かって歩きはじめる。
何気ない日常の風景のようであるが、公平な観察者の視点に立てば、二人が相互いに惚れ、惹かれ、そして恋に落ちる音が聞こえたことだろう。そして、それは同時に、波乱の幕開けを告げる音でもあるのである。