034「市場へ向けて」
「さっきのクッキーと同じで、オーブンの中は温度にムラがあるから、熱が均等に伝わるように、途中で前後を入れ替えたほうが良いよ」
「はい。う~ん、いい薫り」
アランは、縁がほんのりとキツネ色になってきた南瓜のパイを天板ごと取り出し、百八十度回転させてから再び窯の中に入れる。エマは、小麦に熱が加わったことで生じる独特の香ばしい薫りに、思わずペンを走らせる手を止め、頬を緩める。
「塩梅よく火が通ってる証拠だね。さて。完全に焼けるまでは、まだ時間があるから、ここで一旦、別の作業に移るよ。これを、向こうのテーブルに持って行ってくれるかな?」
「あっ、はい」
カウンターに、アランがマーマレードを詰めた瓶を次々に並べて置いていくと、エマは、すぐに表情を切り替え、テキパキ往復しては、それらをテーブルに運んでいく。
テーブルの上が、ほぼマーマレードの瓶でいっぱいになったところで、アランは店の奥へ行き、籐で編んだバスケットに、オレンジ系のタータンチェックの小さな布とリボンを入れて持ってきて、席に着く。そして、いくつか瓶を移動させてテーブルにバスケットを置くと、一つの瓶を手に取り、蓋の上に布をかぶせ、蓋と瓶のあいだをクルッとリボンを回して蝶結びにしてみせる。
「こういう具合に、残りの瓶もラッピングしていってくれるかな?」
「はい」
「リボンも布も、多めに切ってある用意してあるから、失敗しても気に病まなくていいからね」
「あっ、はい」
「あぁ、そうそう。ここにあるのは、明日のマルシェで配る分だけど、これ以外にも、まだ二階には、同じものがいくつもあるんだ。当日の予備として置いてあるけど、十中八九余るだろうから、里帰りするときに、君の両親に持っていきなさい」
「えっ、いただいても良いものなの?」
「あぁ。僕とクロエとマリーだけでは、いつも持て余してしまうんだ。貰ってくれると助かる」
「そうなんだ。それじゃあ、忘れずに持って行くわ。フフッ。きっと、ママも喜ぶわ」
嬉々とした表情を浮かべつつ、エマはアランと同じようにラッピングし、素っ気ない瓶に華やかさをプラスしていく。
半分ほどラッピングが終わり、バスケットの中が瓶でいっぱいになってきたところで、アランがハッとした表情で天井を見上げ、リボンを結ぶ手を止めて小声で呟く。
「しまった」
「どうかしたの、アランさん?」
「悪いんだけど、買い物を頼めるかな、エマくん。このあと、焼き上がったパイの表面に、照り出しと乾燥予防として、お湯で溶いた蜂蜜を薄く塗るんだけど」
小首を傾げているエマに、アランが言い辛そうに依頼と説明をする。それを聞いたエマは、即座に朝食風景を思い出してリアクションを返す。
「あっ! 今朝、クロエちゃんが使い切ってましたね」
「そういうこと。良いかな?」
「はい。すぐ、買ってきます」
「いつもより人が多いから、気を付けるんだよ」
「は~い」
エマは、急いで席を立つと、手早くエプロンを外してイスの座面に置き、バタバタと住居スペースへ向かいつつ、買い物に出かける準備を始めた。