031「東の島国から」
「今夜から、ベッドとベッドのあいだを二メートル以上開けよう」
「何でだよ。遠回しな絶交宣言か?」
テオとドミニクが、それぞれの机の上に水を張った洗面器を置き、顔を洗いながら会話している。テオの洗面器の横にはギンガムチェックのガーゼタオルが、ドミニクの洗面器の横には、唐草模様の手拭いが置いてある。
「違う。万が一、僕が君より先に息を引き取るようなことがあっても、生前の恨みを晴らすために化けて出てやるつもりだ」
「おぉ、怖い。それじゃあ、アレだな。そろそろ、理性が保てないんだろう? イヤン。僕たちは、清く正しい仲でいたいのに」
手拭いで顔の水滴を拭いたドミニクが、クネクネと動きながら滑稽にシナをつくってみせると、ガーゼタオルで手を拭いたテオは、背筋に氷を入れられたような強張った表情をしながら、手を交差させてワイシャツの上から二の腕あたりをさすりつつ言う。
「気持ち悪い真似をするな。僕に、そういう趣味は無い」
「なんだ、違うのか。まぁ、ソッチの気があったら、僕も困るんだけどさ。じゃあ、どうして?」
皆目見当が付かないとばかりに、ドミニクがあっけらかんとした無邪気な表情で訊ねると、テオは、その背後でフサフサと揺れるドミニクの尻尾を無遠慮に掴み、先祖の恨みでも果たさんばかりに憎々しげな気持ちのこもった低音ボイスで言う。
「貴様の寝相が悪いせいで、深刻な寝不足になってるからだ。安眠妨害になるから、コイツを引っ込めて眠ってくれよ」
「ウム。気の毒だけど、それは無理な相談だな。寝てるあいだは、どうしたって変身が解けるんだ。そういう仕様だと思って諦めてくれ」
アッサリと申し入れを却下するドミニクに、テオも仕方なく尻尾から手を離すと、ドミニクは窓の外に視線を移し、どこか遠くを見るような目をしながら、しみじみと言う。
「自己完結してる閉鎖的な島を、ずっと出てみたかったんだよね。外から見ないと分かんないことって、結構あるからさ。尻尾が生えてるほうがマジョリティーだと、寝てるときに出てる尻尾がどんな動きをしてるかなんて、誰も気にしないんだよ、テオ」
「そういうものか?」
「そういうものだよ。普通だとか常識だとか思ってることって、一歩その集団や地域を飛び出したら、特殊な習慣だったり、独自のルールだったりするものさ」
「そうだな。……そうかもしれないな」
テオは小さく呟くと、ドミニクと同じように窓の外を眺めた。
庭にそびえ立つ大樹では、小鳥がのどかに朝のうたをさえずっている。