022「切れない縁」
「なんで逃げるんだよ、ドミニク」
「腕っぷしが強そうな相手に因縁つけられて、逃げないほうがオカシイよ。三十六計、逃げるは恥だが、負け知らずさ」
「でたらめな格言を持ち出すな」
「タイミングが悪いのは事実だろう? だいたい、いまの服装じゃ、何を言っても説得力がないもの」
肩で息をしながら言葉を吐き出すテオに対し、ドミニクは平然と言い返す。そして二人は、ドアを開けて店内に入る。静かな店内に、カランコロンと軽快なカウベルの音が鳴る。カウンターの内側では、アランが直火にかけていたマキネッタをコンロから下ろし、抽出が終わったエスプレッソを二つのデミタスカップへ均等に注いでいたが、二人が立てる物音に気付いて顔を上げる。
「いらっしゃい。おや? また、君たちか」
「こんちは、マスター」
「また来てしまいました」
申し訳なさそうにしているテオとは対照的に、ドミニクは遠慮なしにカウンターに近付き、身を乗り出して淹れたてのエスプレッソを見つける。
「おっ! ちょうど二つあるじゃないか。グッドタイミングだな、テオ」
「何が、グッドタイミングさ。厚かましい」
「ハハッ。まぁ、コーヒーに興味を持ってくれるのは、ありがたいよ。飲んでみるかい?」
「ヤッタね! いただきま~す。――グッ」
いわくありげな笑みを浮かべて、アランがカウンターに置いたカップを、ドミニクは何の疑いもなく手に取り、カップの半分ほどの量を一気に口に含んだ。その瞬間、目を見開いて口を押え、小刻みに身体を震わせつつ飲み込むと、カップに残った漆黒の液面を覗き込みながら、首を傾げる。
「……なんだ、これは?」
「これが何かも知らないで、よく飲めたな」
「だって、この前のコーヒーは絶妙だったから、不安より期待が勝つじゃないか。あぁ、苦い」
ベーッと犬のように舌を出し、ドミニクは片手でそれを扇ぐ。それを、横にいるテオが呆れた様子で見ていると、またしてもカウベルが鳴り、二人の少女と一人の幼女が店内に入る。
「まぁ、手狭で雑然としてる気がするけど、この際、贅沢なことは言わないでおくわ。アラ?」
さきほどエマとぶつかった少女が店内を見渡すと、すぐにテオに気付き、声を掛ける。
「ひょっとして、あなたは、テオ?」
「ゲッ。なんで、こんなところに居るんだよ、イザベル」
「居られちゃマズイことでもあって? まぁ、なんてことでしょう。やっぱり、私とテオは、見えない運命の赤い糸で結ばれてるのね」
「見えないのに、どうして赤いと分かるんだか」
イザベルと呼ばれた少女は感激し、テオは苦虫を嚙み潰したようような顔をしている。すると、クロエがドミニクに質問する。
「赤い糸って何なの?」
「将来、結婚する人と繋がってるとされてる糸のことだよ」
「ふ~ん。じゃあ、このお姉さんは、テオと結婚するの?」
クロエが、今度はエマに訊ねると、エマが答える前にイザベルが胸の谷間に揃えた指先を添え、堂々と答える。
「その通りよ。何しろ私は、テオの婚約者ですもの」
この爆弾発言が投下された刹那、カフェの空気は凍り付いたのであった。