017「赤と黒と人生談義」
「ごくろうさま。クロエは、すんなり眠ったかい?」
「はい。横に添い寝して、小さな魚たちが協力して大きな魚を追い払う話を聞かせてたら、いつの間にかグッスリと」
「そうか。それなら、あとで本当に眠ったか確認しなくて良さそうだ」
スタンドライトだけがほのかに灯る部屋の真ん中で、アランとエマは、品の良いシックな花柄のカバーが掛けられたソファーに並んで座りながら、リラックスした様子で歓談している。ソファーの前にはマホガニー材のローテーブルがあり、その上には、ほぼほぼ砂が落ちている砂時計と、キルト地で作られたティーコージーをかぶせたティーポットなどが置かれている。
「そろそろ蒸らし終わったかな。香りが逃げないうちに、ペコーを」
「あっ、どうも。……キレイな色ですね。香りも良い」
アランは、ティーコージーを外してポットを持ち上げると、カップの中に紅茶を静かに注ぎ、ソーサーの端を持ってエマのほうへ近付ける。エマは、カップの中を覗き込んだあと、それを持ち上げて鼻に近付けて香りをかぎ、そしてフーッと吐息で冷ましてから一口啜る。
そのあいだに、アランはブランデーとキュラソーとオレンジ果汁を同量ずつシェイカーに入れ、両手の親指と小指でしっかり押さえると、手首のスナップを利かせつつ、カシャカシャと軽快な音を立てながら混ぜ合わせたあと、ゆっくりとカクテルグラスに注ぐ。
「クロエちゃん、寝たフリをするのね」
「演技派だからね。君も、それを飲んだら寝ないと駄目だよ」
「お化けにペロリと食べられちゃうから?」
「よく言うよ。信じてやしないくせに」
「エヘヘ。バレたか」
小さく舌を出してお道化ながら、エマはカップをソーサーに置く。アランも、グラスを口元から離してコースターの上に置く。
「見習い魔女であることは、くれぐれもバレないように。君の母親みたいに、地元で愛されている魔女を目指すのであれば、だけど」
「はーい、心得ます。これ以上、ややこしさの種を増やしたら、アランさんが困っちゃうものね」
「それは、クロエとマリーのことを言ってるのかい?」
「それ以外に、誰がいると言うの?」
「質問に質問で返すんじゃないよ、まったく」
そう言って、アランは楽天的に構えているエマに半ば呆れつつ、再びグラスを口をつけて喉を潤し、そのまま回った酔いによって軽くなった口で、弁舌を揮いはじめる。
「持てる者が持たざる者を養うのは、当然の義務さ。自慢じゃないけど、これでも近くのアパルトマンからの家賃収入があるから、流行らないカフェを開く余裕があるし、君を置いておくゆとりもある。貴族とは比べ物にならないけど、すぐに生活に困るほど切羽詰まった身分ではないんだ」
「だったら、なおさら再婚すれば良いのに」
「いいや、駄目だよ。クロエは、ともかく。マリーのことを邪魔に思わずに理解できる女性は、なかなか居ないものだよ。良くも悪くも、マリーは嘘をつけないから。他人にも、自分にも。ただ、思ったことをストレートに言うだけ、好きな絵を描きたいだけ、なんだけどね。そういう不器用な人間だから、兄として支えてあげなきゃ。彼女は幼馴染で、マリーのことをよーく理解してたから良かったんだけどさ……」
エマがアランの話に聞き入っていると、アランは眉根を寄せて目頭を三指でつまみ、とりとめもなく思い浮かんだ考えを払拭するかのように首を軽く左右に振ってから、指を離して立ち上がる。そして、トレーの上にグラスやシェイカーを乗せながら言う。
「いけない。アルコールが入ると、つい、愚痴っぽくなってしまう。僕は部屋で酔いを醒ましてくるから、君も飲み終わったら部屋に行きなさい。カップやソーサーは、そのままテーブルに置いてて構わないから」
「あっ、いえ。あとで、下まで持って行きますよ」
「いいから、いいから。今日は、朝から汽車に乗って、ココまで色々とあっただろう? きっと、身も心も疲れてるはずだ」
「いいえ。私も、手伝います」
「まぁまぁ。今日は、もう遅いから休みなさい」
「そう。……それじゃあ、お言葉に甘えて。おやすみなさい、アランさん」
「おやすみ。良い夢を」
そう言うと、アランは部屋をあとにする。
「ほろ酔い気分にならないと眠れないとは聞いたから、お酒を飲むと素直な気持ちを喋る魔法をかけたんだけど、失敗みたいね。夜風で醒まそうとするとは思わなかったわ。難しいなぁ」
エマは、そこはかとなく寂寥感を漂わせているアランの背中を見つめたあと、俯いて胸元に光るペンダントを見つつ、誰にともなく呟く。そして、ティーカップを手に取り、やや飲み頃を過ぎた紅茶をグイッと飲み干し、急いで自分の部屋に向かった。