192 違和感と不穏
匠が倒された後、彼に守られていたノアもあっさりと敗北した。
ノアの母親であるエスリシア。
わかっていると思うが彼女は元冒険者だ。
それも、かなり長い間やっていた事もあり実力は並大抵のものではない。
真正面からの打ち合いになっても歴代勇者に消して引けを取らない戦闘力を持つエスリシア。
そんな彼女にたった1人でノアがどうにかできるはずがなかったのだ。
まぁ、結果として負けはしたが善戦したと言っておこう。
善戦と言っても、イドルの風の防御力に物を言わせて効果のない攻撃を繰り返しただけだったのだが・・・・
「う〜ん、完全に伸びちゃってるね。」
負けはしたが無事なノアが攻撃を受けて未だ目を覚まさない匠を見ながら確認する。
匠はエスリシアの『エレメンタル・フル』バーストの無力化に失敗した結果、こうなってしまったのだ。
「そりゃそうや。うちの『エレメンタル・フルバースト』は最強の攻撃やよ?残りのMP全部つこうた攻撃を受けて気絶だけで済んで寧ろびっくりやわ。」
エスリシアが放った攻撃、『エレメンタル・フルバースト』は彼女の最強の攻撃力を誇る攻撃だ。
そのスキルの効果はすべての属性を持つ攻撃を残りのMPをすべて消費して放つ言うもの。
余裕があるときほど威力が高く、逆に消耗しているときはさほど威力が出ない。
それ故に最大の攻撃なのに状況を打開する力は一切ないのだが・・・
今回はかなり余裕を持って発動した攻撃だ。
MP総量で言えば後9割は普通に残っていたのだ。
当然、そんなものを食らえばひとたまりもない。
匠が乱入しなければイドルの全力の防御を軽々突破しその上でノアを戦闘不能にする力はあった。
しかし現在、彼女の目の前に伸びている男は事もあろうことかその攻撃の間に割って入ったのだ。
流石のエスリシアもそのことには少し肝を冷やした。
自分の娘が連れてきた男。
それを自分の手で殺すことになると思ったからだ。
明らかにあの男は『エレメンタル・フルバースト』を甘く見ている。
もう間に合わない。彼女はそう思った。
そしてそれは正しくもあり、間違っていた。
確かに、匠は甘く見ていた。だからこそ今気絶する羽目になっている。
だが、それとは逆に彼はそれに簡単に対抗する手段を持っていた。
それを見たときエスリシアは思った。
甘く見ていたのは自分だったのだと。
ほぼフルパワーに近いそれを両断してみせたのには驚いた。
今までそんなことがあっただろうか?
記憶を探って見てそんなことをできたのはほんの一握り。
しかもそれは人間ではないものたち。
言ってしまえばできる素質を持っていた者たちだ。
それとは逆に匠は人間だった。
エスリシアを一番驚かせたのはそこだった。
「おーい、匠。起きるんだー。」
自分の娘が気絶している匠の頬をペチペチと叩き呼びかける。
まだ、目を覚ます様子はないがいずれ目を覚ますだろう。
気絶こそしたが、ダメージはそれほどでもないはずだ。
エスリシアは当人が眠っている間に少し、娘と話をすることにした。
「なあノア?少し聞いてええ?」
「ん?何々?」
「そいつ、誰?」
エスリシアは倒れたままの匠を指差してそう問いかけた。
それを聞いたノアが何を言っているんだと笑って答える。
「だからタクミだよ。ボクが冒険者になって初めての仲間!」
前半だけで事足りたのだが、彼女は後半も嬉しそうに答える。
「ああ、言葉が足りんやったな。ごめんごめん。うちが聞きたいのはそいつ、ほんまに人間なんってこと。」
ここ数十年、魔族だなんだと奇異の目を向けられているエスリシア。
そんな彼女を見ても種族を確認しただけでそれ以上の反応を見せなかった。
いや、見せなかったわけではないが、通常のものと違っていた。
それに、夫であるカンヘルも昨夜の夕食の際に観察するように見ていた。
憶測ではあるが、カンヘルがノームとドワーフのハーフということに気づいているのだろう。
エスリシアはそう考えていた。
ノームとドワーフ。それは通常では混ざり合うことがない種族だ。
彼らは犬猿の仲。大地の精霊と言われるノームと大地の子供と言われるドワーフ。
彼らは自分たちと同じような許せないのかは知らないが、仲が悪いのだ。
争いこそすれ、歩み寄ることなどするはずのない2つの種族。それらが交わった結果がうちの夫であった。
通常ならこちらも世間一般から見た自分と同じような目、もしくはそれ以上の差別の目を向けられるのが当たり前の存在だった。
だが、それに気づいた上で匠はなんの興味も示してしないようだった。
ノアは匠が種族の差別云々に関しては気にしない人間だとは言った。
だが、それにも限度があるだろうと思った。
天使と悪魔が番った末の子供。自分の夫はそれくらい特異な存在であることをエスリシアは理解している。
だからこそ、匠の態度は明らかに異常であると言えた。
まさか、彼自身も・・・・そう思ってノアに、彼をよく知るであろう娘に聞いたのだ。
「何を言ってるの?タクミは立派な人間だよ!本人がそう言ってたしそこには何か隠してる感じはしてないよ。」
だが、帰ってきたのはあっさりとした答えだった。
「でもノア、あんたお父さんの出自に気づいてなんも反応せんとか普通やありえんやろ?」
エスリシアが気づいたことに、当然ノアも気づいている。
いや、寧ろそのことはノアに教えてもらったのだ。
匠は初対面の相手は遠慮なく観察する、ということを。
「う〜ん、タクミのことだからその意味を知らないっていうのはあるかも?」
「知らない?」
「ほら、お母さんがエルフってわかってもボクたちが説明するまでそれの意味に気づいてなかったでしょ?タクミは常識が抜けているところがあるから結構あり得ると思うよ?」
そう言われて、どこか腑に落ちた。
知らない。それならば納得だ。だが、逆に知らなということがあり得るのだろうかという気にもなってくる。
ノームとドワーフの関係は常識の中でもかなり高位のものだ。
小さい頃にはどことなく聞かされ、大きくなる頃には絶対に知っている。そのレベルだ。
それすら知らない常識知らずというのにエスリシアは首をひねった。
ノアはその思いを察知したみたいだ。
自分でもおかしいことを言っている。そのことを話し始める。
「でも常識がないって言ってもあることになると急に詳しくなったり、種族そのものは知っていたりするからおかしいとは思うんだよね?それに、その常識がないって言ったらかなりの田舎に住んでいるかってところなんだけど、タクミってば家名を持ってるからなぁ・・・」
ノアはそのことに関してはおかしいと思っていた。
この世界の人間には基本的に家名はない。
それを持っているのは貴族などの上流階級の一部のものだ。
それを持っている匠が、どうしてそんな簡単なことを知らないんだろうか?
疑問に思うことは多々あったという。
「なあノア。考えれば考えるほどおかしくない?種族は知ってて、特徴も知っているのにお父さんのことに興味を持たんのは・・・」
「それについては連れてくる前からわかってたけどね!」
「どうして?」
「だってタクミ、一回ボクと敵対してまで悪魔の盾になってたし。」
懐かしむようにノアはそう言った。
対するエスリシアは初耳だという感想とともに、あり得るのかという思いも抱く。
悪魔といえば魔族の一種で人類共通の敵だ。そんな相手をかばい立てする人間なんて異常者くらいしかいない。
「なあノア。悪いことは言わんからこの人とは別れた方がええんやない?」
エスリシアは気づいたらそう進言していた。
考えれば考えるほど、匠という人間が不気味に感じられたからだ。
それに、彼女には先ほどの戦いの攻撃が思い浮かばれる。
それは相手の実力を測ろうと放った牽制の攻撃、匠はそれに一切の躊躇なく飛び込み剣を振り抜いた。
本人に聞けばそれをした理由は「そっちのほうが確実に早く終わりそうだったから」というのだ。
確かに、そうした効率面を考えて己の身を顧みない人もたくさん見てきたエスリシア。
だが、彼はそのどれとも少し違う気がした。
「むっ、どうしてなのさ!!!タクミは危なくない!!」
自分が感じたものを、ノアは感じていないみたいだ。
それは匠をよく知っていたから、多少人とは違うところがあっても彼が優しいと知っていたからの主張。
だが、エスリシアはそんなことは知らない。
突然帰ってきた娘。それが連れてきた得体のしれない人間という認識でしかない。
我が子を守りたい母として、なんとか説得せねばという衝動に駆られる。
何を口にするべきか、そう言葉選びを開始した。とりあえず何か粗を探そう。
そう思いエスリシアは匠に視線を向けた。
「ーーーっ!!?」
彼女は思わず飛び上がりそうになった。
匠の瞼は開いていた。