10 オークと逃亡
そのオークは一直線にこちらに走ってくる。
その動きは、とても足元が悪いものの動きとは思えない。
オークが走ってきたのは、俺たちから見てゴブリンの群れの反対側からだ。
当然のごとく、ゴブリンの群れの中心に向かえば向かうほど、足場は水によってより柔らかくなっているはずだ。
人間より大きなその体は、その分重量があるはずだ。
普通は柔らかい地面を歩けば、足をとられるのが道理だ。
だが、そのオークはまっすぐ、よどみない動きで俺の方向へ向かってくる。
何故だ!?ゴブリンが足をとられていたことから、地形に効果がないとは考えられない。
他に何か理由があるはずだ。
そう思いながら、オークの足元を確認する。するとすぐに答えは見つかった。
思えば、オークが機敏な動きを見せ始めたのは、ゴブリンの群れの中央に差し掛かったあたりだ。
その足元の土はもうすでに少し固まっている。
原因はすぐにわかった。
魔物を倒したときに出るあの灰だ。
見ればそこそこの数のゴブリンを倒していることに気づく。そうともなれば、出た灰の量はかなりのものになるだろう。
それが原因で思ったより足場が固まっていたのだ。
しかし今はそんな考察をしている場合ではない。
目の前にオークが迫ってきているのだ。
オークというのはゲームによって強さがまちまちの魔物であるが、その強さが平均して中盤の初めのほうに出る魔物だ。
間違えても、今のような序盤も序盤ではないだろう。
今までの経験上から、オークの大体の強さを推測した俺は、素早くやるべきことを理解する。
「おい、ノア!!撤退だ!!」
そう、逃亡である。
何故こんなところにオークがいるのかは想像できないが、まずは逃げることが先決だ。
ノアにそう指示を出した俺もすぐに逃亡を試みる。
しかし、獲物が目の前にいるオークがそれを許すはずもない。
オークは背を向けた俺に対して全速力で走ってくる。
そしてすぐに俺の真後ろについて、その手に持っているこん棒を振らんと振りかぶる。
それを察知した俺は真横に飛びのく。
その瞬間、ズドン!!という大きな音が俺の耳に届いた。
あのまま走っていたら危なかったということだろう。
俺はすぐに立て直してオークのほうを向く。
そいつは醜悪な笑みを浮かべながら、こん棒を構え直している。
どうやら、逃げることはできなさそうだ。
俺は木の剣を構える。
その剣は何度もゴブリンにたたきつけたせいか少しくたびれているように見える。
―――大丈夫だ。相手はオーク、何度も戦ってきた相手だろう。
俺は自分にそう言い聞かせる。
ちらりと横目に見ると、ノアは見えない。
もう逃げ切ったのだろうか?
目の前の俺が目を離したからだろう。
オークはその見た目にそぐわない素早い動きで、こん棒を振ろうとしている。
目を戻した時にはもう目の前まで来ているオークに、少し焦りはしたが、俺は木の剣を持ってそれを受け止めた。
その瞬間、俺の体に大きな衝撃が走った。
力のステータスが足りていなかったのだろう。
俺の体はその衝撃に耐えきれずに吹き飛ばされる。
吹き飛ばされた俺の体はそのままゴロゴロと転がっていく。
幸いだったのは、吹き飛ばされた方向が街の方向だったことだろう。
もしこれが仮にゴブリンの群れの方向に飛ばされていたら、挟み撃ちを食らってしまいもう打つ手がなくなっていたところだ。
よろよろと体を起こしながらも、オークの方を確認する。
オークはこん棒を振りぬいた体勢のまま止まっている。
それはよかったのだが、俺の目には他の悪いものが映った。
ゴブリンの群れがこちらに向かってきたのだ。
少し時間がたってしまったため、足場の悪い地帯を抜けて追いかけてきているようだ。
もう、あまり時間は残されていない。
このままではオークに加えてゴブリンの群れも同時に相手にすることになる。
そうなれば、さすがになすすべなくやられるだろう。
俺は再び、オークから逃げるように街のほうへ走る。
街までの距離はあと少しだ。
その上、先ほど吹き飛ばされたおかげでオークとは距離が開いている。
ゴブリンの足は見た感じかなり遅いため、これでもし逃げ切れなくても、時間を稼ぐくらいのことはできる。
微々たる差かもしれないが、ゲームではその差が大事になることが多い。
俺は逃げることに何の躊躇もなかった。
俺はできる限り早く走る。
オークもすぐに追ってくるだろう。そう思ったが、あの巨体が追いかけてくるような音は聞こえない。
―――これならいけるか?
そう思った時だった。
俺の体は大きく前に吹き飛ばされた。
背中には痛みが走る。その為、体がふらついてしまい体を起こそうにももたついてしまう。
何が!?そう思ったが、その答えは目の前に転がっていた。
目の前には、先ほどまでオークが持っていたこん棒が転がっていた。
どうやら、投擲されたそれが俺の背中に当たったみたいだ。
何があったのかを瞬時に理解した俺は、すぐに再び走り出そうと試みる。
だが、背中の痛みのせいでうまく走れない。
思えば、今までゲームの中で様々なダメージを受けてきたが、痛覚が搭載されていない為、こんな痛みとは無縁だった。
言ってしまえば、俺自身の痛みに対する耐性が足りていないのだ。
よろよろと走る俺の耳に、重いものが近づいてくるのが聞こえる。
状況から判断するに、オークだろう。
これはやばいな。
俺はもうこれ以上は逃げられないだろうと思い、ゆっくりとそちらを振り向く。
ここから俺に残された生き残る方法は、オークを素早くノーダメージで倒すことだけだろう。
この世界に来て早々、死ぬわけにはいかない。
諦めの悪い俺は、ここを自分の死地とは認めずに、目の前の絶望的状況に正面から向かっていくのだった。