西方天使伝
紀元前、西方の果て、タルゴの丘に舞い降りた女神ウルはヒッポス王メキに心を奪われ、メキを不老不死にする約束を交わしたが、ウルは別の王に心を奪われ、メキとの約束を忘れてしまった。怒りと嫉妬に狂ったメキは宰相サドと企み、女神ウルを洞窟に閉じ込め約束を果たすようにせまった。ウルは助けを天上の神々に求めた。神々は怒り、ヒッポスの台地は荒地になり、たくさんの人々が死に、タルゴの丘は悲しみに覆われた。神々はメキが困り果て、ウルを解放するだろうと思ったのだが、メキは「約束を守らない奴はこうだ!」とウルの首を刎ね、首を陽光にかざし、勝どきをあげたのだった。あまりの衝撃に神々は声もでなかったという。
この神をも恐れぬヒッポス王メキの話は西方世界に伝わり、神を信じない、神は死んだという風説が蔓延し、やがて神々は忘れ去られていった。しかし、ことはそう簡単にはすまなかった。
ヒッポスの石柱には「数千年の時を経て、タルゴの丘に舞い降りし天使は時の鐘を鳴らすだろう。不安と焦燥に駆られた人々は未来への行進を永遠にはじめるのだ。」と綴られていた。
ヒッポス王メキが没し、その息子ラルゴが跡を継ぎ、盛大な戴冠式が催され、周囲の国々からたくさんの祝いの品々が届けられた。中でも人々が喚声を上げたのが、隣国バランから贈られたメキ王の巨大な石像だった。天空を睨み、右手には剣を、左手には女神ウルの首飾りを握りしめていた。生き返ったかのような石像に人々はひれ伏した。タルゴの丘にはメキ王の石像が立ち、勇気と戦の神として崇められ、戦士の勝どきが絶えることが無かったという。
だが、神々の復習は用意周到だった。メキ王の石像の中に時を知らせる天使を忍ばせておいたのだ。天使は石像の心の臓に隠れ、そこから天空に飛翔し、時の角笛を鳴らしはじめた。はじめはのんびりと1年に1回、次に2回、そして日の入りと日の出、・・・・・やがて人々はいつも角笛を聞くことになり時間に縛られるようになった。
時の認識とともに人々は今よりも未来のために働くようになり、立ち止まることを恐れ、不安と焦りの中で競い合いが始まったのである。
こうして幾千年の時が経った。
タルゴの丘の博物館にいたる道には小さな起伏があったがメイはいつも難なく駆け上がった。テオは息を切らしてメイを追いかけるのがやっとだった。博物館の入り口でメイが「早く」と手を振る。ブザン港からの夕方の潮風は心地よく、海は夕日でキラキラと輝き、海岸沿いの白い建物は光につつまれたかのようだった。メイとテオは博物館に忍び込もうとしていた。博物館にメキの石像が展示されると聞いたからだ。
メキの石像にはこんな伝説があった。
「宵の明星が夜空に輝いて三日月の端に最も近づいた時、ボーザーバンデンの湖に光の柱が輝きだすだろう。その光が輝いている間にヒッタイトの鉄矢で石像の胸を打ち抜いた者は真の勇者として永遠にその名は刻まれるだろう。」と。
伝説は語り継がれたが、メキの石像に弓を射る者は誰もいなかった。メイとテオは閉館後の博物館に忍び込み石像の胸を射抜こうと考えたのだ。
太陽が水平線のかなたに消えて、宵の明星が輝きだしたとき、ボーザーバンデンの揺らぐ湖面に月光が反射して、湖の真ん中にあるゲマン神殿の残骸のエンタシスの柱を煌々と照らしだした。
博物館の窓から月光が差し込んで、メキの石像が照らしだされた。それは精悍な勇士の姿だった。天上を睨みつけ、大きな剣で獲物を仕留めた瞬間を捉えていた。左手にはしっかりと女神ウルの首飾りが握られていた。振り乱れる髪や肩から胸までの躍動する筋肉の陰影が見事に掘り込まれ、まるで生きているかのようだった。
淡い光の中で、静寂な時間が過ぎ、不思議な空気が漂いはじめた。その時、メキの石像の胸から飛び出した天使がメイに小さなハープを渡し奏でることを命じたことは誰も知らない。
紺色の夜の帳が下りようとしていた。急がないとボーザーバンデンの湖面の光の柱が消えてしまう。キリキリと弓を引く音が博物館こだました。テオが石像の胸を射ようとしたその瞬間、石像から何かが放たれ、テオの胸に深く突き刺さった。メキの石像の横からメイが走り去るのをテオは見た。何かを言おうとしたが事切れた。
明けの明星が夜空に輝いていた。潮風が心地よく吹いていた。メイは博物館の入り口の赤レンガの階段にすわり、飛翔する天使に「危なかった」とつぶやいて、夜明けを待った。
これ以降、西方では勇者は表れてない。