5.
とうとうやってきてしまったお茶会当日。
大きな鏡がついたドレッサーの前に座る俺の周りを、10歳年上で14歳となる、俺付きの侍女であるリームがあーでもないこーでもないと忙しそうにしていた。
そんな中手持ち無沙汰な俺は、鏡にうつる俺の姿を見つめる。
色彩はたぶん、これがクリュッグ家特有のものなんだろう。
クリストフと同じく紺青色の瞳と、艶のある漆黒の髪ーー、黒い髪? ……黒髪? はて? 原作でのクレアノーラは確か、瞳の色は今と変わらないが髪色は白だったはずでは?
ーー何故この2年間気がつかなかった、俺。
幼女だとしても、すでに肩甲骨まで髪は伸びているのだから動く時や、そもそも普通に今まで鏡で見ていたはずなのに……、全くと言っていいほど違和感を感じていなかった。
あまりの酷さに思わず泣きたくなる。
「お嬢様どうかしましたか?」
リームが心配そうに聞いてくる。大方、あまりの馬鹿さ加減にショックを受けている俺が、お茶会に参加することを不安に思っているのだとでも捉えたのだろう。
「ううん、なんでもないの」
そう返せば、まだ納得はしていないようだがリームは作業に戻っていく。
それにしても抜けているにもほどがある。髪色が違うのが、俺の記憶違いならいいんだけど。
有力候補は俺がクレアノーラとなった為に、イレギュラーがおきたとか?
それともクリストフとティメオを見る限り元々?
「お嬢様、お茶会にはこのドレスにしましょう!」
俺が考え事をしている間に、どうやらリームはドレスを決めたらしい。
にこにこと、いかにもお嬢様を着飾れるのが嬉しいです! とばかりにリームが差し出してきたのは、クリュッグ家の服装は寒色系統が多い中俺の瞳を意識したのか、どこか上品さを思わせる瑠璃色のAラインのドレス。
露出と言っていい部分はなく、可愛らしくフリルがあしらわれている。きっと俺に良く似合うだろう。
なかなかに良い趣味をしているとみた。
鏡の中で着飾れていく俺をながめながら、黒髪も似合っていることだし、何が起こっているのかわからない現状そう深く悩むことはないだろうと、楽観的思考の持ち主な俺は判断した。
* *
「準備はできたか?」
「はい、おとうさま」
それはもうバッチリと。
大人でも全身を見ることができるような大きな鏡の前で、くるりと一回転。うむ、なかなかの美幼女っぷりで大変よろしい。
視界の端では壁に控えているリームが満足気に頷いてるのが見えて、思わず笑い出しそうになってしまう。
「なら行こうか」
いってらっしゃいませ、と頭を下げるリームを背景に差し出されたティメオの手を握る。
すると、
「……酔ってはいないか?」
ーー文字通り、景色が変わった。
ティメオが何か言っているが、驚いている俺の耳には入らない。きっと今俺はぽかーんと間抜け面を晒していることだろう。
まだ隠れて本を読んで知識があるだけの俺が、いまだ見たことがなかった魔法をなめていた事を嫌でも自覚させられてしまった。
これがきっと俗にいう転移魔法とやらなんだろうが、本当に一瞬で景色が切り替わったのは圧巻と言わざるおえない。
「ああ、クレアは初めてだったな。驚かせてしまってすまない」
衝撃から立ち直りかけているところの俺は首を横に振る。いやぁ、本当にすごい。
手を差し出されたのを見て、馬車まで手を繋いでいくのかな? なんて思っていた自分を殴り飛ばしてやりたいくらいには、すごい。
すごい、すごいと、俺の語彙力がないのは気にしないでほしい。
だって部屋の中にいたにもかかわらず、気がついた時には知らない場所の廊下にいたのだ。興奮しない方がおかしいってもんだろう。
「丁度良い時間に着いたな」
興奮冷めやらずのまましばらく歩いていれば、かなりの広さがある、中庭のようなところに辿り着いた。
周りを見てみるば俺の他にも、保護者に連れてこられたとみられる少女達がいる。
どうやらお茶会がはじまるところだったらしい。……一歩間違えれば遅刻となっていたが、ティメオのことだからそんなヘマはしないだろう。その点に関しては、安心していて良いと思われる。
気がつけば握っていた手をゆるりと離された。
不思議に思ってティメオの方を向けば、
「私はこのまま仕事の報告に行こうと思う。……クレアがお茶会にいる間、私は王宮にいる。何かあったら使用人を通して伝えなさい」
なるほど、ここからは1人という事だ。
周りを再度見回してみれば他の人達もそうしているのが見えたから、保護者は参加不可なのだろうとみた。
「……はい、おとうさま」
背中に手を添えられた。行きなさい、という事だろう。
ちょうど周りの少女達が動き出した為、ゆっくりと流れに乗っていく。途中、中庭に入る手前で後ろを振り向いてみたのだが、ティメオの姿はない。つくづく魔法は便利なものだと思った。
* *
中庭に入ってみればレースのテーブルクロスが敷かれ、センターには青色の布が掛けられているテーブルがいくつか置かれていた。
もれなくその上には、アフタヌーンティーセットのような、ちょっとしたサンドイッチやら美味しそうな焼き菓子やらが並んでいる。
椅子の数は少なく、どうやら立食式のようだ。
確かに、この人数なら立食式でなければ王子に挨拶などできないだろう。
周りの少女達を見る限り、俺くらいの少女が最年少といったところか。上は10歳くらいで、6歳の王子のことを考えればこんなもんだろう。
皆もうすぐやってくるという王子が気になるのか、そわそわとしているのが可愛らしい。
残念な事といえば、俺が少女達の会話に混じれないという事ぐらいではなかろうか。
興味のない王子《野郎》について笑顔で話せる気はしないし、そもそもこの世界での、このくらいの年齢の少女達が話す内容など俺にわかるはずがない。
まぁ、色とりどりのドレスを着て楽しそうに少女達が話してるのを見るだけで、十分癒されるから問題ない。
そうやって待っていれば、奥の方から少女達のわっという歓声が聞こえた。
どうやら王子様が登場したらしい。
ティメオもああ言っていた事だし、一度挨拶だけして後は目立たないようにしておこう。
そう決めた俺は王子に近づいて行こうとするが、王子の周りを囲む少女達がかなりいて、これがなかなかうまくいかない。
皆もうお見合いは始まっているとばかりに王子に猛アピールしているのだが、おっさんからしてみると正直言って怖い。
バリケード並みの強さを誇る囲みって、一体なんなんだ……。
思わず現実逃避しかけたが、しかしここで王子に挨拶しなければ帰ることができない。
なんとかもう一度挨拶してみようと王子の方に行ってみるが、ままならず。
よくよく見ていれば化粧をバリッバリにしている子なんかいたりして、肉食系少女達に囲まれて王子様は大変だなぁ、と思う。
そんな事より頭がくらくらしてきた。
……たぶん、王子の周りにいる一部少女達の香水の匂いにやられたのだと思う。中にはこれでもかってほどつけている子がいるようで、良い匂いを通り越してもはや鼻が痛い。
なんか、王子が現れてから俺の中での少女像が崩れていっている気がする……。
この調子じゃ到底挨拶などできそうにないので一旦落ち着こうと、王子から離れた場所にある木陰の下の椅子に腰掛けて紅茶を飲んでいたのだが、……どうやら予想以上に香水でダメージを受けていたらしい。
ーー気分が悪くなってきた。
転生してからは好みが180度変わって、昔は肉を食べる肉食系男子だったのに対し、今はコーヒーよりも紅茶。肉よりも甘いもの。
といった具合に女子力溢れるように俺はなっていたのだが、どうにも食欲が完璧に失せていて、大好物であるお菓子もとても食べられそうにない。
紅茶はさておき、この世界では砂糖をたっぷり使ったお菓子は贅沢品だったので、お菓子を好きなだけ食べられる機会などそうそうなかったからかなり悔しい。
……そろそろ紅茶を飲むのさえ辛くなってきた。
俺はまだ4歳の幼女であり、しかも些細なことで熱を出しやすい方だ。この2年間の間にも、何度か熱を出していた。
無理して後からしんどい思いをするのも嫌だよな……。
そう思った俺は近くにいた使用人を呼び止め、紅茶のカップを返しつつーー、仕事で王宮にいるはずのティメオに気分が悪くなったことを伝えてもらうように頼んだ。
そうすれば最悪王子にまだ挨拶ができていないことで怒られたとしても、別室で休ませてもらう事くらいできるだろうなんて考えていれば、5分程経った頃にティメオがやってきた。
一瞬幻覚かと思ったが、どうやら本人が駆けつけてくれたらしい。
そのまま俺はティメオに抱えられてお茶会を退場したのだが、結局翌日熱を出して寝込むことになった。
……解せぬ。