14.(アルside)
「クレア様、………大丈夫ですか?」
「……まだ大丈夫」
久しぶりに人の多い場にいたからかクレア様の顔色が悪くなってきたように感じて外に出てきたのだが、伸びをしている様子を見るあたりどうやら大丈夫そうだ。
少し気分転換になればと庭で休憩をとった今では、「アルは私についてきてよかった?」なんて逆におれが気遣われてしまったくらいだった。
「おれはクレア様の護衛なんで全然大丈夫ですっ!」
慌てて首を横に振って答える。あのきらびやかな空間にいるよりも、こうやってクレア様の側にいさせてもらえる方が断然いい。
くるりくるりと変わる表情や、何気ない仕草を見つめたり他愛のないちょっとした会話をするだけで、……これをどう言い表せばいいのか、まだおれにはわからない。でも、なんだか胸の中があったかくなるのが嬉しくて。
ふと思い出したのはダンスパーティが始まって一曲目。
あまり目立たない中心の輪から外れた所で、悔しい事に大人の人のように上手くリードはできなかったけど、拙いながらも緊張する中2人で踊った事だ。
ふわりとクレア様が回って膨らんだスカートに、2人してよろけて笑いあった事や、おれの足を踏んでしまったからかやってしまった! とばかりに驚いたようなクレア様の表情も鮮明に覚えている。
話が逸れてしまったけど、なによりさっきおれが言ったようにおれはクレア様の護衛で。だから側にいるのが当たり前なのだ。という事にしていてほしい。
「あとどのくらいで終わるのかな?」
パーティ会場から漏れ出る光が眩しいのか、上を見上げたクレア様の目が少し細められている。
音楽は未だ鳴り止む様子を見せていない。この調子ならきっと夜通し続くのだろう。
それなら決して体が強いとは言えないクレア様の為に、いっその事ならこのまま切り上げさせてもらうのもいいかもしれない。
なんて事を頭の片隅で考えながら視線をなぞって上を見上げれば、クレア様がいるあたりに向かってひらりとハンカチらしき物が風に舞って落ちてくるのが見えた。
「あっ」
クレア様もその存在に気がついたのだろう。声が漏れたのが聞こえた。
そのまま思わず、といった感じで小さくジャンプしてクレア様はそれを手に取った。
ーーここまでは問題ない。
そして着地しようとした、ほんの少し前に落とし穴のようなーー黒く中の見えない円がクレア様の足元に突然音も無く現れた。
かくん、とちょうど穴の淵に足を置いてしまったクレア様がバランスを崩し、ゆっくりと、真っ黒な穴の中に向かって傾いていく。その一連の流れをおれの目は捕らえた。
「クレア様…ッ!」
距離は2m程。
例え何があってもクレア様を1人にしてはいけない。どうか間に合って、そう飛び込むようにして伸ばした手は幸いにもクレア様の腕をつかむことができた。
しかしバランスは立ち直る事なく穴の中へと落ちていくーー、かと思えば。穴をくぐった瞬間、景色が一変しておれたちはどことも知れぬ空中に放り出されていた。
ぐっと胃が持ち上がるような感覚と共に唸るような風が肌を撫ぜる。眼下に広がるのは木々。
咄嗟にクレア様を腕を引き頭を守ろうと胸に抱き寄せ、ちらりと穴が塞がってしまった事を確認しつつ、落下速度を落とす為にーー下から風が吹き上がるようにしてーー魔法を使う。この時ばかりは自分の魔法属性が風属性に適応していた事を心の底から感謝した。
とはいっても全て相殺できる訳ではなく、精々落下速度が少し遅くなったくらいで地面が刻一刻と近づいてきている事には変わりない。
「ーーっ、…!」
鈍い痛みが走った。
いくら結界を張っていもこのまま地面に激突するのは危ないからと、それを避けるために勢いをなくすべく強化魔法をかけ太い枝を掴めたまではいいものの、結界を消して丸出しになっていた左手をどこかの枝に引っ掛けてしまったようだ。
ぷらり、ぷらりと枝に捕まりクレア様を腕に抱いたままではどうしようもない。
地面は既に見えていて、10mもないこの高さならば風魔法を使うこともなくーー強化魔法のかかったーーこのままで十分だ。するりと手を離し、クレア様を横抱きにしつつぐっと膝を曲げ、衝撃を殺し着地する。ーーうん、うまくいった。
辺りをきょろきょろと見回し、空いているスペースを見つけて着ていた上着を枕にしてそっとクレア様を横にすれば、鬱蒼として暗い森の中。白い月明かりが木々の隙間から差し込み、クレア様の顔を青白く照らす。
ゆっくりと手を伸ばせば、震える指先がクレア様の頬に触れた。……あたたかい。でも、これがおれの指先が冷たいからだとしたら?
ふと、急に怖くなった。もしこのまま目を覚まさなかったら、なんて考えが頭の中によぎった。
「く、くれあさま」
みっともなく声が震えた。
外傷は無い。魔法による異常に関してはみられないけど、直前まで誰にも気がつかれず、おれ達が転移させられた事を考えれば何もないとも言い切れない。悪い方向へと思考が進んでいく。
「クレア様、クレア様……っ」
目の前が真っ暗になっていくような感覚の中、どうかはやく目を覚ましてほしいと藁にもすがる思いで呼びかければ、ぴくりとクレア様の瞼が震えた。
「クレア様……!」
ぱちっと、クレア様の瞼が大きく開いた。そうして驚いたように勢いよく飛び起きた肢体を抱きしめた。
「よかった…! クレア様がもう目を覚まさないんじゃないかと思っておれ、…っ」
体がこわばった事から、クレア様が状況を理解していなくて困惑している事が伝わってくる。
「あ、アル!? どうかしたの…?」
力一杯おれが抱きしめているからきっと苦しい筈なのに、ぽんぽんとなだめるようにおれの背を叩きながらかけられた言葉によって意識が戻った。
慌てて体を離して痛いところはないですか!? と聞けば、
「ええと、……大丈夫。痛いところなんてないよ?」
まだ何故そんな事を聞かれるのかわからないのだろう、そう小首を傾げながら返ってきた言葉におれは安堵した。
……どうやら今のところ大丈夫らしい。
安心した事によって気が緩みかけたが、まだ危険な状況から一切変わっていないのだとすぐさま気を引き締め直し、この状況を打破するべく意識を切り替える。
「ーークレア様。落ち着いて、聞いてください」
とにかくまずは意識を失っていたクレア様に状況説明をしなければならない。
「おれたちは今、……強制的に転移させられた状況にいます」
おれ自身が取り乱さない為にも、ゆっくりと確かめるように言葉を紡いでいく。
転移して上空にいた時にパッとあたり見た感じでは広範囲を森が占めていて、周りに川や山といった特徴的なものが見られなかったから何処に飛ばされたのかわからない事。
救助がくるまでに、どれくらい時間が掛かるかもわからない事。
これに関しては、木々の種類を見る限り他国に飛ばされているという可能性が低く救助されやすい、というのが救いだ。
黙っていてこれ以上不安を感じさせてしまうかもしれない事も考慮して、そうは言ってもまだ転移してからそこまで時間は経っていなくて、救助に至るまではもうしばらくかかるであろうという事も正直に伝えておく。
そこまでおれが説明し終えれば、自分自身の目でも確認しておきたいのだろう。クレア様は辺りを見渡し始めた目線の先を追うが、あるのは草や木など緑のみで、ここが屋敷の庭だとは到底考えられない。
「アル! アルはどこか怪我してないの!?」
状況を確認し終えて満足したクレア様の目線がおれに戻ってきたかと思えば、ハッとしたように問いかけられた。
「あー、……大丈夫ですよ」
さっと落下時に木の枝で擦りむいた左手を隠すも、どうやらすでにバレてしまっているらしい。
「……左手」
「えっと、ですね」
どうにか誤魔化そうとするも言葉が見つからない。
「左手見せて」
「……」
苦し紛れに視線を合わせずにいると、痛いほどの視線を感じる。
このまま見つめられていると穴が開いてしまうんじゃないだろうか、なんて馬鹿げた事を考え始めた時。
「ーー左手」
「は、はい!」
有無を言わさんばかりの声が聞こえておれは反射的に返事を返し、ここまできたら諦めるしかないと手を差し出す。
経験上、こう見えて頑固なクレア様が折れることが少ないのをおれは知っていたのだ。
差し出した左手を見てみれば、予想に反して手の甲にわずかに血のにじむ切り傷ができていた。思っていたよりも勢いよくやってしまったらしい。
「このくらいなんともないですよ」
普段から切り傷くらいつくってますからね。と続ける。
実際訓練をしていく中このくらいならば日常茶飯事で、これはまだましな方だと思う。
ありがたいけども、ティメオ様は容赦ないから。……思い出して若干遠い目になってしまうのは、しかたのないことだと思う。
クレア様の両手で包まれた左手があたたかいものを感じとれば、みるみるうちに傷が塞がり、怪我一つない元の肌に戻っていく。
「他に傷はない?」
「これだけです」
ありがとうございますと言いながら、傷があった場所をおれは見つめる。相変わらずクレア様が使う治癒魔法は綺麗だと思う。
「クレア様はほんとすごいですね……。いつも傷跡が残らない…」
「あ、ありがとう」
場違いにも、頬を赤らめたのを隠そうと俯くクレア様が可愛らしいとつい、思ってしまう。
「場所を変えましょうか」
立ち上がりつつ言う。
いくら月明かりがあるとしても、今いるここはお互いの表情が分かる程度の明るさ。
先ほどは取り乱してしまって大きな声を出してしまったが、魔法を使って下手にこの森に生息する危険な生き物や、魔物なんてものにこれ以上刺激を与えてしまうのは避けたい。
幸い、足元は見えるのだから移動することができる。ここは子ども1人が寝そべられるくらいの広さしかなく、周りを木や茂みに囲まれているから見通しが悪く不意打ちで何かあったとしたら危ないことは容易に想像できる。
いくらクレア様の護衛といっても、子どもの力などたかが知れている。
「歩けますか?」
「大丈夫」
差し出した手に捕まりクレア様が立ち上がる。軽く足を動かす様子を見る限り、歩くことに問題はなさそうだ。
そして移動し始めようとしたところで、念の為にと張っておいた探知魔法に反応が出た。しかも一直線にこちらに向かってきていて、これが救助にきた者であれば何かしらのアクションがある筈なのに何もない。……つまりはそういう事だ。
「ーー失礼しますッ!」
急いでクレア様を抱きかかえ、身体中に強化魔法を張り巡らせる。
「ーーアル!?」
驚いたクレア様の声が聞こえる。けど今は余裕がない。
「クレア様、いいですか!? 今から少し本気で走るので、おれの肩にでも顔を伏せてなるべく話さないようにしてくださいっ」
舌を噛むかもしれないので、そう付け足してすぐ木々の間を縫うようにして走り出す。
強化魔法だけでなく後ろから押すように風魔法も追加して更に加速するも、確認するために魔力消費量を抑えつつ、範囲は狭いが探知魔法をかけ続けているのだが距離は刻一刻と縮まっていくばかり。
「アル! アル! 急にどうしたの!?」
「念のために仕掛けていた探知魔法に何か引っかかったんです!」
止まることなく説明する。
「今も軽く辺りを探ってるんですがっ! だんだん近づいてきてるんです……!」
息が乱れる。ばくばくと激しく動く心臓の音はうるさいし、肺が軋むように痛む。こんなに全速力で走ったのは初めてかもしれない。
なのに、距離が開くことはない。
クレア様の様子ではまだ肉眼で確認できる距離にはいないはず。だけど逃げ切れるとは限らないし、未だ追い続けてきているのを考えるによっぽど執念深いらしい。
「ーーアル! 左!」
ハッと左を向けば、かけていた探知魔法の範囲外からも迫ってきていたようだ。
大きな黒い塊がこちらに突っ込んできた。
「ぐっ、ぅーーッ」
回避はできないと結界を張るも薄く、軽い身体は吹き飛ばされてしまった。
勢いよく地面を転がる中、どうにかクレア様の頭を抱えて庇う。
どうやら開けた場所に来たらしい。体勢を立て直しつつ、辺りを確認してみれば障害物になるようなものはなかった。……どうりでよく転がったわけだ。
「アル! アル!」
同じく起き上がったクレア様がおれを見て声を上げた。
おそらく、おれの横腹から血が滲み出てきているところを見てしまったのだろう。ぶつかられた時に派手にやられてしまったらしい。
「クレア様、大丈夫ですか?」
「私は大丈夫だけどアルがっ」
「……ありがとうございます。ですが今はこれを気にしている余裕がないですね」
止血する余裕がないことからわかる通り、もちろんクレア様に治療を頼む余裕なんてものもない。
爛々と輝く赤い目がじっとこちらを見つめていて、いつ飛びかかってくるかわからないから、目を離す余裕さえもない。
緊張のあまり、息をするのを忘れてしまいそうだ。
「アル、あれ…」
「……魔物です」
狼を大きくしたような姿をしていて、それが2体。じりじりとこちらに向かって近づいてきている。
「……応戦します」
ゆっくりと息を整える。
横腹の怪我に関しては痛い、というより熱い。といった感じに麻痺していた。
おかげで動きに大きな支障はなさそうだ。
とはいっても、もう一度クレア様を抱えて全速力で逃げる事は体力的にも魔力的にも無理だ。
たとえ走れたとしてもどうせ追いつかれてしまうのだから、ここでやり過ごすしかないだろう。
焦らすようにゆっくりと魔物が近づいてくる。それに伴って時間も1秒1秒が長く感じてもどかしさを覚えたが、急に飛びかかられても困る。
永遠にも続くかと思われたその中、
「クレア様!?」
ぞっとするような嫌な予感がして後ろを振り向けば、ドンッという音が聞こえた。
クレア様が咄嗟に張った結界に後ろからきた魔物が体当たりした音のようだ。
3体目の存在を少しも考えていなかった自分の迂闊さを恨めしく思いつつ、急いでクレア様の結界上から被せるようにしておれの方でも結界を張り巡らせば、ドンッドンッとこちらを見ていた2体も体当たりを始めた。
力任せに破ろうとしているのか、念の為にと結界を強化していく間も3体の魔物は体当たりをやめない。……タチが悪いにも程がある。
とにかく、後はもう救助を待つしかないと魔物から目線を外してクレア様の方に向けてみれば恐怖からか身体を震わせ、青ざめた顔色の中目には今にも零れ落ちそうなほど涙をためている姿が見えた。
結界の範囲はクレア様を中心として直径3m程。意味もわからず知らない場所へ転移させられた挙句、いきなり子どもであるおれ達よりもはるかに大きな姿をしている魔物にすぐそこまで迫られているのだ。ーー恐怖を感じないわけがない。
「クレア様、クレア様、落ち着いてください。おれも一応結界を張っておきました。だから大丈夫です」
どうにか少しでもそれを紛らわそうと、血が付いていない方の手でクレア様の手を握り声をかければ、弱くだが握り返される。けど顔色が悪いことには変わりない。
「ーークレア!」
ーーどうか早くこの時が終わってほしい。そう祈ればティメオ様の声が後ろから聞こえた。
と、同時にクレア様の緊張が途切れたのだろう。ふらりと傾いた体を咄嗟に抱きとめてみれば、どうやら安堵から気を失ってしまったらしい。
「ティメオ様……」
振り返ってみれば魔物達は血を流し地面に倒れていて、こちらに向かってティメオ様が歩いてくるところだった。
「無事か? いや、……」
おれの横腹を目にしたティメオ様が申し訳なさそうに眉を下げたのを見て、慌てて気を遣わせまいと声を上げようとすればそっと、おれの横に来たティメオ様が、少しぎこちなさを感じさせる手つきでおれの頭に手を乗せられた。
「遅れてすまない。そして、ーーよくやった。クレアを守ってくれてありがとう」
なんて。
クレア様に怪我を治してもらったり、気がつかなかった魔物を知らせてもらった挙句逆に守られてしまったりと助けられてばかりで、おれは何もできなかったのに。
「そんな、おれ」
「いいや、本当によくやった。きっとクレアだけでは切り抜けられなかっただろう」
滲んだ視界の中、地面に膝をつけたティメオ様と目線が合う。
「後は我々大人がなんとかする。だからもう肩の力を抜きなさい」
すとん、と不思議とその言葉がおれの中に落ちてきて、ようやくほっと肩の力が抜けた気がした。